紫布(しのぶ)@駅メモ @stmm0422 @MUSASINO_EXP 一時期ヒマさえありゃ見てましたw 東京兵器補給廠、川崎河岸、武蔵野グリーンパーク、川寒川、松田の砂利線、都電砂町線などなど。 千葉や大網や塩尻の移転前の駅や線形も、今でも航空写真で判別できるんですよね👓 2023-08-30 23:58:19
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福井県永平寺町で、廃線跡を整備した遊歩道を活用し、自動運転車両による輸送サービスが行われています。まもなく本運行から1年となるこの路線、乗り心地や利用状況はどのようなものでしょうか。 全国初の「無人・自動運転バス」 福井県永平寺町の鉄道廃線跡で、無人車両による自動運転モビリティ「Zen Drive」の運行が行われています。 拡大画像 福井県永平寺町で運行されている自動走行車両(乗りものニュース編集部撮影)。 無人運転が行われている現場は、旧・京福電鉄永平寺線の終点・永平寺駅付近の廃線跡約2km。鉄道は2002(平成14)年に廃止され、廃線跡は「永平寺参ろーど」と名付けられた歩行者自転車道として整備されていました。 政府の掲げた「ラストマイル自動運転」(最寄り駅などから最終目的地までを自動運転移動サービスで結ぶシステム)の実現に向け、2018年11月から実証運行が開始。その結果をうけ、202
鳥取との県境に近い、兵庫県の山あい。ここの森の中に、約50年前まで総延長44キロもの鉄道が張り巡らされていました。 この知る人ぞ知る鉄道をいま、地元の人たちがよみがえらせようとしているというのです。なぜ今、鉄道を復活?地元の人たちの夢とは? (神戸局ニュースカメラマン 福本充雅) 市の面積の9割を占めるのは… その場所は兵庫県西部の宍粟市。県外の方は読めないかもしれませんが「しそうし」と読みます。東の千葉県匝瑳市(そうさし)と並んで、西の難読地名の自治体として、ちょっと知られています。 その宍粟市は江戸時代から林業が盛んで、実に市の面積の9割を森林が占める森の町です。大半は人工林で、兵庫県内で最も多くスギやヒノキなどの針葉樹を生産しています。 「地元の人がかつてあった森林鉄道を復活させようとしている」と話を聞いて、私は取材を始めることにしました。 「鉄道復活」のきっかけ 話を聞いたのは、地
廃線となった鉄道の線路が道路に転用され、その跡をたどれるケースがあります。東京の街なかにも、そうした「元・線路」の小さな道がいくつも隠れています。 気づかない? そこはかつての線路 廃線となった鉄道の線路は、しばらくそのままになっていたり、車道などに転用されたりすることもあれば、自転車道や遊歩道として整備されていたりすることもあります。とはいえ、時間が経つにつれ、線路があった頃の記憶は人々から薄れていくことでしょう。 一方で、そうした線路の痕跡をたどる廃線めぐりは、様々な楽しみ方がある鉄道ファンの趣味のひとつとしても広く認知されています。今回は東京の街の風景に隠れた「元・線路」の小道を5つ紹介します。 新宿ゴールデン街の廃線跡:新宿遊歩道公園「四季の路」 日本一の歓楽街・新宿歌舞伎町の東側に、小さな飲食店が密集し文化人が夜な夜な集うともいわれる「新宿ゴールデン街」があります。「四季の路」は
昭和の終わりの国鉄改革で廃線となった倉吉線の跡地が「日本一美しい廃線跡」と呼ばれ、人気ウオーキングコースとなっている。 昭和の終わりの国鉄改革で廃線となった倉吉線(鳥取県倉吉市)の跡地が「日本一美しい廃線跡」と呼ばれ、人気ウオーキングコースとなっている。竹林の中を2本のレールがまっすぐに延び幻想的な雰囲気を醸す区間は、鉄道ファンのみならず訪れる人たちを魅了する。近年相次いでテレビ番組で紹介されたことで人気に拍車がかかり来訪者が増加しており、倉吉市は9月、廃線跡近くに観光案内所を試験的に開設。観光客を呼び込み、地域の活性化に役立てたい考えだ。 竹林の中を延びるレール 旧倉吉線は現在のJR倉吉駅を始点に、倉吉市を貫いて流れる小鴨川に沿って南下し同市関金町の山あいにあった旧山守駅に至る延長20キロ(9駅)の路線。このうち終点側の約1.5キロが散策コースとなっている。ほとんどの場所にレールが残り、
今から25年ほど前、廃線になった鉄道を訪ねることがブームになった。そのきっかけとなった本は『鉄道廃線跡を歩く』(JTBキャンブックス)。1995年に発行されると、鉄道分野の書籍としては異例の人気となり、シリーズ化が決定。続刊が2003年までに10巻発行された。「鉄道廃線跡」という着眼はどこから来たのか、ブームの実態はどのようなものだったのか、同書を生み出した編集者・大野雅弘さんに話を聞いた。 出版のきっかけは「好きだから」 ――『鉄道廃線跡を歩く』はどこから思いついた企画だったのですか。編集会議で企画は問題なく通ったのですか。 「そんな本が売れるのか」、「だれが買うのか」と訝しがられ、反対された。鉄道ファンというのは、車両など生きている鉄道に興味があるのではないか、と。そこをなんとか説得して、発行の承認を得た。 この企画を立てたのは、自分が鉄道趣味の1つとして、廃線跡にもよく行っていたから
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JR北海道の深川駅からバスで3時間半。降り立ったところは暗闇だった。雪の中、去りゆくバスの後ろ姿を見送りつつ、不安になって辺りを見回す。遠くにポツンと灯りが見えた。あそこだ。私は、灯りに向かって早足で歩き出した。 「おかえりなさい」 宿の主人の「とどぐま」さんこと富岡達彦さんが、そう言って玄関先で迎えてくれる。初めて来た場所なのだが、思わず「ただいま」と答えてしまった。まるで自分の家に帰ってきたかのような懐かしさを感じる。 ここは旅人宿「天塩弥生駅」。北海道名寄市弥生にある民宿だ。天塩弥生駅というのは、1995年9月に廃線となった深名線に実際に存在した駅である。廃線時に駅舎は撤去されてしまったが、その天塩弥生駅の跡地に、北海道らしい三角屋根の木造駅舎を蘇らせ、民宿にしたのがこちらの旅人宿「天塩弥生駅」なのだ。 FM番組に強制出演 靴を脱いで上がると、真ん中に大きなストーブを備えた広間があっ
JBpressで掲載した人気記事から、もう一度読みたい記事を選びました。(初出:2023年5月4日)※内容は掲載当時のものです。 赤字ローカル線の存廃をめぐる動きが加速している。4月21日には、国会で改正地域公共交通活性化再生法が成立。今後進展する国・沿線自治体・鉄道事業者による再編協議の末に、廃線に至る路線が出てくるのは避けられない状況だ。では、実際に廃線を迎えた地域は、その後どうなっていくのか。「人々を駆り立てるロマンが廃線にはある」。そう締めくくられる事例研究のリポートをまとめた、日本政策金融公庫総合研究所の桑本香梨・主席研究員に聞いた。(聞き手:河合達郎、フリーライター) ※参考:『調査月報』(2023年4月号)研究リポート「廃線を町おこしのインフラに ―三つの地域の事例から学ぶ―」 【前編から読む】 ◎ローカル線「廃線後」をどう生かす?危機を好機に変えた地域に学ぶべきこと 【激変
サイクリングをする人が増えているいま、サイクリングを通して国内外に日本の魅力を発信するため、国が「ナショナルサイクルルート」を指定しています。全6ルートのなかには、絶景のほか鉄道にもゆかりのあるポイントが多数存在します。 「世界に認められた絶景」や「広大なスケール」を楽しむサイクリング 「運動不足解消」「エコ志向」を後押しに自転車ブームが続くなか、国が「ナショナルサイクルルート」の指定を行っています。 「ナショナルサイクルルート」とは、サイクルツーリズムを推進を国内外にアピールしていくことを目的に、ソフト・ハード両面から一定水準を満たすルートを、サイクリングロードのいわば"日本代表"として国が指定するものです。 最初の指定ルートのひとつ「ビワイチ」(琵琶湖一周)の風景(画像:滋賀県)。 2019年に最初の3ルートが指定されると、2021年5月に第2弾の指定ルートが発表。北海道の「トカプチ4
みんなー!うしるだよー☆ 前回、釧路湿原の中を歩けるただ一つの木道の温根内木道を散策したうしるきゅん 今回はねえ!釧路湿原探勝歩道って言う鉄道路線跡を探検するんだ! 刮目して見てね♡ 釧路湿原探勝歩道とは? 釧路湿原探勝歩道(旧鶴居軌道跡) 北斗遺跡 史跡展望台 ひだまり広場 丹頂広場 北斗展望台園地 サテライト展望台 釧路湿原展望台 釧路湿原探勝歩道とは? 釧路湿原探勝歩道は、かつて根室本線の新富士駅から釧路湿原を通って北海道鶴居村までを結んでいた鉄道「鶴居村営軌道」の廃線跡を活用した歩道なんだ! ちなみに美しい日本の歩きたくなるみち500選にも選ばれてるんだぞ! 廃線跡ってなんかワクワクするよね!? 釧路湿原探勝歩道(旧鶴居軌道跡) それでは釧路湿原探勝歩道を出発進行!ナスのお新香!! お?看板に蝶々が止まってるの! こんなにカメラを近づけてるのにそれに全然逃げない!? 釧路湿原みたい
秩父鉄道旧武甲貨物支線の廃線跡に作られた秩父市の遊歩道に、鉄道の電線を支える架線柱9本が残っていたことがNPO法人「秩父まるごと博物館」と毎日新聞の調査でわかった。架線柱には100年以上前の欧米製レール少なくとも14本が再利用されていたことも判明。最も古いレールは1880年ドイツ製だった。鉄道や秩父地域の近代史を伝える貴重な遺産だ。【山田研】 「秩父鉄道五十年史」(1950年、同社)、論文「戦前期秩父鉄道にみる資金調達と企業者活動―借入金調達を中心に」(2010年、恩田睦「経営史学第45巻3号」)などによると、武甲貨物支線は影森・武甲駅間1・4キロを結んだ。武甲山で産出される石灰石を運ぶ専用線として、秩父鉄道が建設。1918(大正7)年、貨物列車の運行が始まった。当初は蒸気機関車がけん引したが、22(大正11)年の電化で電気機関車に変…
大の鉄道好きマンガ家・文筆家のYASCORN(やすこーん)さんが、気軽に行ける女性一人旅を紹介。今回はソーシャルディスタンスが取れる自転車旅。自転車旅といえど、しっかり鉄道とも関係しているんです。※2021年7月取材当時の内容です 自転車で楽しむソーシャルディスタンスな旅 2020年6月19日、県境をまたぐ移動が全国解除されました。しかし3密は避けたいし、混み合う場所には行きたくない。そう考え思いついたのが、かねてから行きたかった「つくば霞ヶ浦りんりんロード」を自転車で走る旅です。 つくば霞ヶ浦りんりんロードとは、旧筑波鉄道の廃線跡と、霞ヶ浦の周りの湖岸道路を合わせた全長180kmのサイクリングコース。しかも2019年11月に国土交通省から全国3か所の「ナショナルサイクルルート」のうちの一つとして認定されました。さらに2020年3月、土浦駅に「星野リゾート BEB5土浦」という魅力的なホテ
大船~湘南江の島間(6.6km)を結ぶ湘南モノレールが、2021年7月2日に全線開通50周年を迎える。筆者は現在、湘南モノレールの公式サイトにて、全線開通50周年記念連載「湘南モノレール全線開通までの全記録」を連載中である。 ドリームランドモノレールは「ドリーム号」「エンパイア号」の2編成が運行されていた(提供 : 横浜市史資料室) ところで、かつて大船駅を起点とするもうひとつのモノレールがあったことをご存じだろうか。大船駅からドリームランド駅(横浜市戸塚区俣野町)まで結んだドリームランドモノレール(ドリーム交通が運営)である。 同路線は1966(昭和41)年5月2日に開業したが、わずか1年半後の1967(昭和42)年9月24日に運行休止した非常に短命な路線だった。間もなく開業から55年が経過するドリームランドモノレールはどのような路線だったのか。わずかに残る資料を頼りに、その歴史をたどり
福岡市東区の筥崎宮の前には、路線バスのみ通行可能な専用道があり、大型の路線バスが参道を横切るように走り抜けていきます。もともと鉄道の廃線跡を活用したもので、その名残を随所に見て取ることができます。 鳥居の内側を通るバス専用道 福岡市東区にある「筥崎宮」(はこざきぐう)は、博多どんたく・博多祇園山笠と並ぶ「博多三大祭り」のひとつで毎年9月に行われる「放生会」(ほうじょうや。独自読み)で知られるほか、年間を通して絶えない参拝客のために、昔から鉄道・バスなど交通機関が整備されてきました。 そのなかで、境内の大鳥居の西隣にあり1日150本以上のバスが来る西鉄バスの「箱崎」バス停から、ひとつ隣の「馬出(まいだし)通り」までは、周辺の道路と少し雰囲気が異なります。ここは西鉄バスだけが通れる路線バス専用道になっているのです。 拡大画像 筥崎宮境内、二之鳥居前を通過する西鉄バス(宮武和多哉撮影)。 福岡市
三木鉄道は 兵庫県三木市と加古川市厄神間の7km弱の距離を結んでいたローカル線。 三木特産の金物を輸送する路線として活用されていたが次第に衰退。 平成20年に廃線となる。 別所ゆめ街道は、 その廃線跡に整備された遊歩道。 舗装された遊歩道のそばにそのまんまの線路と駅舎。 当時の三木鉄道の面影は今もここに遺されている。 駅舎の向こうに広がるのはのどかな田園風景。 線路跡の遊歩道。 その傍らにぽつんとベンチ。 なんか癒やされるいい風景だなぁ。 当時の信号機も撤去されずにそのまんま。 地元の小学生が描いたゆめ街道ののぼり。 この遊歩道沿いには 農産物市場や食堂、カフェなどが地元の人たちの手によって運営されている。 廃線跡も大切に活用され続けるこの三木鉄道。 きっといろんな人たち愛されてきた路線だったんだろうな。 ありし日の三木鉄道の車両。(三木鉄道ふれあい館にて写真資料を撮影) 地元の人たちの心
信号のない円形の交差点「ラウンドアバウト」が栃木県内で初めて開設されました。その場所は、もともと鉄道が交わっていた交差点です。この場所で起こっていた課題の解決に、ラウンドアバウトが合理的だったといいます。 「旧東野鉄道線」の交差点にラウンドアバウト 栃木県大田原市で、県内初の環状交差点「ラウンドアバウト」が2020年6月5日(金)に開設されました。 「ラウンドアバウト」は、2014(平成26)年9月の道路交通法改正でその定義と交通方法が定められて以来、2020年3月末時点で全国100か所において導入されています。交差点の中心に「中央島」と呼ばれるスペースがあり、その外周を取り囲むドーナツ型の通行路「環道」から放射状に道路が伸びるという構造で、「環道への進入および流出は左折で」「環道内は時計回り(右回り)で進行」「環道内を走行しているクルマが優先」といった通行ルールがあります。 拡大画像 大
JR大阪駅から区間快速で約35分。途中駅の同宝塚駅からは10分足らずで、武庫川の渓谷を望み、都会の喧噪(けんそう)を忘れさせるJR福知山線の高架駅「武田尾駅」(兵庫県宝塚市)が現れる。鉄道マニアからは〝兵庫の秘境駅〟と称される武田尾駅。プラットホームの約3分の2がトンネル内という独自の構造に加え、周辺には旧国鉄福知山線の廃線跡を巡るハイキングコースなどもあり、同駅とその周辺は人気の観光スポットとなっている。 JR宝塚駅から下りの区間快速に乗車して約10分。プラットホーム南側が第2武庫川橋梁(きょうりょう)上にあり、北側が第1武田尾トンネル内にある武田尾駅に到着した。先頭車両に乗っていたため、降り立ったプラットホームはトンネル内のほうで、トンネル内を流れる冷たい風を感じた。 神秘的な光景プラットホームで乗ってきた下りの電車をそのまま見送ったが、その先に続くトンネルの暗闇の中へと電車が消えてい
都心にほど近い京王線の笹塚駅付近では、単線だけの地上区間があります。そこにある唯一の踏切も、1本分の幅しかありません。どうしてこのような形になったのでしょうか。 寂しげに走り抜ける電車 都心と多摩地域を結ぶ大動脈である京王線ですが、東京23区内に「線路が1本だけの踏切」があります。笹塚駅の東側にある「幡ヶ谷3号踏切」です。 この「単線区間」は新宿方面の線路で、踏切のある場所では、八王子方面と、京王新線の線路はすべて、地下を通っています。なぜこの1本の線路だけ、地上にあるのでしょうか。 拡大画像 地上の単線区間をゆく新宿行きの列車。 踏切に近い跨線橋から線路を見下ろすと、そのヒントを得ることができます。笹塚を出ると、京王新線は甲州街道の下を、京王線はその南側をそれぞれ走行していますが、笹塚駅では4本の線路のうち真ん中の2本が京王新線なので、京王線の新宿方面の線路は、いったん京王新線と交差する
いったい、尾小屋鉄道の遺構はどのような形でその姿を保ち続けているのか——。 文春オンライン移動編集部は石川県小松市を訪れ、「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」の会長・坂井稔樹さんの案内のもと、現地を探訪した。 尾小屋鉄道開業当時の客車が保存された「ポッポ汽車展示館」 スタート地点は、尾小屋鉱山資料館に併設されている「ポッポ汽車展示館」。尾小屋鉄道の蒸気機関車「5号蒸気機関車」、気動車「キハ3」、客車「ハフ1」の3両を旧尾小屋駅跡地から移設して、2002年4月にオープンしたのがこの展示館だ。 坂井さんによると、「客車『ハフ1』は、尾小屋鉄道開業1年前の1918年に用意された車両が、当時の姿のまま保存されている」という。 尾小屋鉱山資料館に併設されている「ポッポ汽車展示館」 尾小屋鉄道を走っていた気動車「キハ3」は動態保存されており、年に数回、体験乗車会で実際に乗ることができる。ちなみに現在、この
明治の終わりから昭和の初めにかけて、現在の神奈川県秦野市から二宮町まで、田園風景の中を走った小さな鉄道があった。 秦野市から二宮町までの田園風景の中を走った「湘南軽便鉄道」(写真:「台町駅」跡の記念碑より) この鉄道は1906(明治39)年に「湘南馬車鉄道」としてスタート。1913(大正2)年、動力を蒸気に変更し、会社名も「湘南軽便鉄道」とした。1918(大正7)年、「湘南軌道」に社名変更した後、1937(昭和12)年8月に廃止されるまで存続した。 地元では「軽便」などと呼ばれ、親しまれたとのこと。今回の記事では湘南軌道時代も含め、おもに「湘南軽便」と呼ぶことにする。 ■大山への参詣客と煙草を運んだ「湘南軽便」 それでは秦野から二宮まで、約10kmの「湘南軽便」廃線跡を探索してみよう。 まずは湘南軽便「秦野駅」跡へ。ドコモショップの前に立つ「軽便みち」と記された石柱が目印だ 『湘南軽便鉄道
2020年12月19日。1両の路面電車の車両が、長崎から小田原へ「里帰り」を果たした。この車両は、かつて小田原市内で運行されていた箱根登山鉄道軌道線(小田原駅前~箱根板橋間。「市内線」「市内電車」とも呼ばれた。本稿では「路面電車」とする)で活躍し、1956(昭和31)年3月31日の同路線廃止後、長崎電気軌道へ移籍した202号車である。 長崎時代の元箱根登山鉄道軌道線202号車(長崎電気軌道151号車)。このほど64年ぶりに小田原へ「里帰り」を果たした(提供 : 小田原ゆかりの路面電車保存会) 箱根登山鉄道202号車は、1925(大正14)年に王子電気軌道(後の都電荒川線)が新造した、齢95歳の長寿車両だ。1950(昭和25)年に箱根登山鉄道へ移籍し、路面電車の廃止後、長崎電気軌道に移籍。151号車として活躍した。長崎へ移籍した計5両(201~205号車)のうち、現存する車両は202号車の1
JR桜木町駅前から地上40mを進む都市型ロープウェー「ヨコハマ・エア・キャビン」が開業しました。上空から見る赤レンガ倉庫などベイエリアの景色は格別ですが、ここはあえて、眼下に伸びる「廃線跡」を眺めつつ、歴史をたどって見ましょう。 全長630mの「歴史の空中散歩」 JR桜木町駅前から、大岡川河口近くの海をひとまたぎして「新港」と呼ばれるエリアに向かうロープウェー「ヨコハマ・エア・キャビン」が2021年4月22日(木)に開業しました。その距離はわずか630mほどですが、年間4万隻以上の船が発着する横浜港を地上40mの高さから一望できるため、通常の交通機関というよりも一種のアトラクションに近く、カップルや家族連れにとって「空中散歩」できる体験は、思い出深いよい機会になるでしょう。 このロープウェーのもう一つの楽しみ方として、「あえて下を見る」ことを提案します。ロープウェーのほぼ真下の海上を斜めに
ここは 岐阜県飛騨市の 漆山駅です 旧 神岡鉄道の駅ですが 実は この線はすでに廃線となっています 旧 神岡鉄道は 神岡鉱山から産出される亜鉛鉱石の輸送を担った 全長19.9kmの鉄道で 全線の半分以上がトンネルと鉄橋のため 「奥飛騨の地下鉄」とも呼ばれていたそうです 開業した時点では 1日4往復の貨物列車が運行されていたそうですが 鉱石の採掘がだんだん減ってきて 貨物列車の運行は1日1往復にまで落ち込んでしまっていました 2004年に 神岡鉱山からの輸送手段が 鉄道からトラックへと切り替えられたことで 惜しまれながら 廃線になってしまったとのことです... けれど この廃線を利用したアクティビティが 今 人気になっています! その名も Gattan Go!!(ガッタンゴー) 2台の自転車をメタルフレームにがっちり固定したレールバイクで 旧神岡鉄道のレールの上を走ります... すまきとす
自動運転を活用した移動サービスで運行される電動カート。2021年3月からは客だけを乗せる無人自動運転に取り組んでいる=福井県永平寺町で(経済産業省提供) 警察庁は23日、乗客を運ぶ移動サービスを自動運転「レベル4」で実施するにあたり、都道府県公安委員会の許可制とする方針を明らかにした。交通違反などがあった場合、移動サービスの運行主体に許可の停止や取り消し処分を出す。許可制によって運行主体の適格性をチェックし、安全を担保するのが狙い。 自動運転の交通ルールのあり方を議論していた警察庁の有識者検討会が23日に報告書をまとめた。同庁は道路交通法改正案を2022年の通常国会に提出する予定。 自動運転の技術は5段階に分かれている。レベル4はレベル5(完全自動)に次ぐもので、限られた地域や環境で、全ての操作を自動運転システムが担う。
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