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石棺の検索結果1 - 34 件 / 34件

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石棺に関するエントリは34件あります。 歴史*あとで読む産経新聞 などが関連タグです。 人気エントリには 『福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」 | AERA dot. (アエラドット)』などがあります。
  • 福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」 | AERA dot. (アエラドット)

    こいで・ひろあき/1949年生まれ。原発の危険性を世に問い続け、2015年に定年退職。著書に『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版)など(photo 高橋勝視) 東京電力福島第一原発事故からまもなく11年。国と東電は30~40年後の廃炉完了を目指すロードマップに基づき、作業を進めている。だが、相次ぐトラブルから廃炉作業の計画は大幅に遅れている。廃炉は本当に可能なのか。AERA 2022年3月7日号は、小出裕章・元京大原子炉実験所助教に聞いた。 【ロードマップ】使用済燃料の取り出し開始~廃止措置終了までの道のりはこちら *  *  * 国と東電が策定したロードマップは「幻想」です。 国と東電がいう「廃炉」とは、燃料デブリを格納容器から取り出し、専用の容器に封入し、福島県外に搬出するということです。 当初、国と東電は、デブリは圧力容器直下の「ペデスタル」と呼ばれるコンクリート製の台座に、饅

      福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」 | AERA dot. (アエラドット)
    • チェルノブイリ「石棺」をさらに外側から覆う新シェルター設置 | NHKニュース

      33年前、史上最悪の原発事故が起きたチェルノブイリ原子力発電所で、今後100年間、放射性物質の飛散を防ぐことが可能とされる巨大なシェルターが新たに設置されました。一方で、廃炉に向けた計画の見通しが今もたっていないことに懸念の声もあがっています。 シェルターは鋼鉄製で、幅257m、奥行き162m、高さは108mあり総重量は3万6000トンとなっています。 内部では、放射線量や湿度などが厳しく管理されるほか、天井には、将来、原子炉を解体するのに必要な2基のクレーンも設置されていました。 日本円にして1800億円あまりにのぼる建設費用は、欧米諸国や日本など45か国が参加する基金によってまかなわれ、日本は100億円余りを拠出したということです。 シェルターによって、今後100年間は放射性物質の飛散を防ぐことが可能とされていますが、廃炉に向けた具体的な計画の見通しはたっていません。 シェルターの運用

        チェルノブイリ「石棺」をさらに外側から覆う新シェルター設置 | NHKニュース
      • 蓋石の裏に「✖」印、魂封じ込めか 吉野ケ里遺跡の石棺開口

        古代史最大の謎、邪馬台国(やまたいこく)の候補地とされる吉野ケ里(よしのがり)遺跡(佐賀県吉野ケ里町、神埼市)で5日、有力者を葬ったとみられる石棺墓の蓋石(ふたいし)の取り外し作業が行われた。蓋石の裏側に、新たに「×」印の線刻が見つかり、被葬者の魂を封じ込める意味があるとみられ、当時の葬送儀礼を考えるうえで貴重な資料になりそうだ。 注目の副葬品については、石棺内に土が大量に流入していたため、有無は分からなかった。県は、土を取り除いて詳しい状況を調べることにしている。 石棺墓は、弥生時代後期後半~末期(2世紀後半~3世紀中ごろ)の邪馬台国の時代にあたり、4月に発見された。板状の蓋石4枚で構成され、長さ約2・3メートル、幅約0・7メートル。同遺跡では最大の石棺墓で、盗掘を全く受けていなかった。 蓋石が取り外された石棺(中央)。内部に流入した大量の土に蓋石の痕跡が確認できる=5日、佐賀県吉野ケ里

          蓋石の裏に「✖」印、魂封じ込めか 吉野ケ里遺跡の石棺開口
        • 吉野ケ里遺跡 石棺墓の石蓋開く 「謎のエリア」1800年ぶり | 毎日新聞

          石蓋3枚が取り除かれた石棺墓の内部=佐賀県吉野ケ里町の吉野ケ里遺跡で2023年6月5日午前10時29分、斎藤毅撮影 佐賀県は5日、弥生時代の大規模な環濠(かんごう)集落跡で知られる国指定特別史跡「吉野ケ里遺跡」(同県神埼市・吉野ケ里町)で4月に見つかった、弥生時代後期後半~終末期(2世紀後半~3世紀中ごろ)のものの可能性が高い石棺墓(せっかんぼ)の石蓋(いしぶた)を開き、内部の調査を始めた。墓は未盗掘で、約1800年ぶりにその姿が明らかになりそうだ。 この日は4枚の石蓋を重機を使って順番に開く作業を進めたが、内部は大量の土で埋まっていた。今後は内部の土を取り除く作業を進め、副葬品の有無などを調べる。内部の調査は15日まで続く予定。

            吉野ケ里遺跡 石棺墓の石蓋開く 「謎のエリア」1800年ぶり | 毎日新聞
          • 福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

            こいで・ひろあき/1949年生まれ。原発の危険性を世に問い続け、2015年に定年退職。著書に『原発事故は終わっていない』(毎日新聞出版)など(photo 高橋勝視) 東京電力福島第一原発事故からまもなく11年。国と東電は30~40年後の廃炉完了を目指すロードマップに基づき、作業を進めている。だが、相次ぐトラブルから廃炉作業の計画は大幅に遅れている。廃炉は本当に可能なのか。AERA 2022年3月7日号は、小出裕章・元京大原子炉実験所助教に聞いた。 【ロードマップ】使用済燃料の取り出し開始~廃止措置終了までの道のりはこちら *  *  * 国と東電が策定したロードマップは「幻想」です。 国と東電がいう「廃炉」とは、燃料デブリを格納容器から取り出し、専用の容器に封入し、福島県外に搬出するということです。 当初、国と東電は、デブリは圧力容器直下の「ペデスタル」と呼ばれるコンクリート製の台座に、饅

              福島第一原発「デブリ取り出しは不可能」と専門家 廃炉できないなら「『石棺』で封じ込めるしかない」〈AERA〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース
            • 四天王寺の七ふしぎ(3)シン四天王寺の七不思議【どこ行った?巨大石棺のフタ】 - ものづくりとことだまの国

              最近は、地元の上町台地の歴史の記事が多くなりました。 緊急事態宣言で、地元回帰したのもありますが、 もともと当ブログを始めた約一年前を一巡目とすると、二巡目の古代妄想に入っているからです。 庶民的な近づきやすさとともに、四天王寺さんには多くの謎が残されており、それらが私を惹き付ける魅力です。 四天王寺 五重塔(2012年11月撮影) 開物発事版、シン(新)四天王寺の七不思議のページを作ってみました。 あちこちにリンクを張るとややこしいので、各テーマのリンクページは考察(古代妄想)最新版オンリーにしました。その流れで、記事内リンク先、各記事のタイトル下のカテゴリーをクリック、または、PC版なら右サイド、スマホ版なら記事下のテーマバナーをクリックして、興味のありそうな記事を探してください。 なお、当ブログの読み方を、あらためて紹介しておきます。★マークの数は私の古代妄想の程度を表しています。

                四天王寺の七ふしぎ(3)シン四天王寺の七不思議【どこ行った?巨大石棺のフタ】 - ものづくりとことだまの国
              • 【松岳山古墳】石棺を挟んで立てられ、孔が彫られた謎の立石【天の磐船(アメノイワフネ)】 - ものづくりとことだまの国

                河内と大和の国境であった国分(国分、大阪府柏原市)。大和川を見下ろす南岸の丘陵地に #松岳山古墳(まつおかやまこふん、前方後円墳)。墳丘部で露出した #石棺 と南北に立てられ穴が彫られた謎の #立石 を見ることができます #天の磐船 目次 大和と河内の国境。国分 松岳山古墳(まつおかやまこふん) 石で造られた準構造船。天の磐船(アメノイワフネ)か!? 本文 大和と河内の国境。国分 写真右。右端のこんもりした丘陵が松岳山古墳のある国分神社の社叢 奈良方面から 高井田駅に入る #JR大和路線#大和川親水公園 駅の向こうの丘陵に 古墳時代の #高井田横穴古墳群、#柏原市立歴史資料館 pic.twitter.com/2nhrvR61oW— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2024年5月3日 大和川の流れと松岳山古墳の位置 松岳山古墳(まつおかやまこふん) (34.5698324, 135.645

                  【松岳山古墳】石棺を挟んで立てられ、孔が彫られた謎の立石【天の磐船(アメノイワフネ)】 - ものづくりとことだまの国
                • 【葛城山麓の古代史(2)】レアな神社古墳と大王クラス?の石室・石棺【葛木坐火雷神社 笛吹神社(2)】★★ - ものづくりとことだまの国

                  前回からの続きです。 www.zero-position.com 奈良県指定史跡 笛吹神社古墳 笛吹神社(葛木坐火雷神社)の本殿の裏(西側)に、笛吹神社古墳があります。 まるで古墳が御神体のような、神社(祭祀)と古墳(墓)が隣り合っている形式は、たいへん数少ない例ではないかと思います。 笛吹神社 本殿 向こう側に笛吹神社古墳 説明板(記事末に文字起こし)には、 6世紀(西暦500年代)築造の円墳 玄室(古墳中央の安置室)に置かれていた石棺は家形 蓋(ふた)の長辺にそれぞれ2か所の突起 蓋の長さ約2.1メートル、幅約1.25メートル、高さ0.6メートル 葛城地域屈指の後期古墳、と紹介されています。 笛吹神社古墳 右側が本殿 笛吹神社古墳 以下。古代妄想レベル:★★★=MAX ★★=MEDIUM ★=MIN or A LITTLE 笛吹神社古墳におさめられている石棺は、おおよそ次のようなものと

                    【葛城山麓の古代史(2)】レアな神社古墳と大王クラス?の石室・石棺【葛木坐火雷神社 笛吹神社(2)】★★ - ものづくりとことだまの国
                  • 吉野ケ里最大の石棺「謎のエリア」で出土 表面に線刻、有力者の墓か:朝日新聞デジタル

                    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                      吉野ケ里最大の石棺「謎のエリア」で出土 表面に線刻、有力者の墓か:朝日新聞デジタル
                    • 吉野ケ里遺跡「記号の石ぶた」は石棺墓 邪馬台国時代の有力者の墓か 6月5日に県調査 | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞

                      国指定特別史跡・吉野ケ里遺跡(神埼市郡)の北墳丘墓西側にある「謎のエリア」で4月に見つかった石ぶたに関して、佐賀県は29日、板石を組み合わせた石棺墓(せっかんぼ)だったことが分かり、邪馬台国があったとされる2世紀後半~3世紀中頃につくられた可能性が高いと発表した。墓の規模や形状などから推定、県では有力者の墓ではないかとみている。これまでに吉野ケ里最盛期となる邪馬台国時代の有力者の墓は見つかっておらず、最大の謎とされてきた。県は6月5日に石ぶたを開けて調査する。 邪馬台国時代は弥生時代後期~終末期で、吉野ケ里では南内郭や北内郭が設けられた集落の最盛期として知られている。この時代の王たちの墓はまだ見つかっていない。 県によると、墓を据える穴「墓坑(ぼこう)」の規模が3・2メートル×1・7メートルと、これまで吉野ケ里で見つかった石棺墓18基の中で最大だったという。最新の調査では石ぶたが4枚見つか

                        吉野ケ里遺跡「記号の石ぶた」は石棺墓 邪馬台国時代の有力者の墓か 6月5日に県調査 | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞
                      • 吉野ケ里遺跡の石棺、中から赤い顔料 「クニ」のリーダーの墓か:朝日新聞デジタル

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                          吉野ケ里遺跡の石棺、中から赤い顔料 「クニ」のリーダーの墓か:朝日新聞デジタル
                        • 佐賀 吉野ヶ里遺跡 発掘調査 石棺墓から副葬品は見つからず | NHK

                          佐賀県の吉野ヶ里遺跡で出土した弥生時代後期の石棺墓について佐賀県は、14日内部の発掘調査を終え、副葬品は見つからなかったと明らかにしました。一方で、ひつぎ全体が赤く塗られていたことなどから「邪馬台国が存在したとされる時代の有力者の墓であることが裏付けられた」としています。 佐賀県の吉野ヶ里遺跡では、手つかずのままとなっていた遺跡のほぼ中央部でことし4月、弥生時代後期の石の墓=石棺墓が見つかり、今月5日から始まった内部の発掘調査では有力者の墓にみられる赤い顔料がひつぎの広い範囲で確認されました。 佐賀県の山口知事は記者会見を開き、14日午前中に内部の発掘調査を終え、期待されていた副葬品は発見されなかったと明らかにしました。 山口知事は「副葬品が残されていれば埋葬されていた人の社会的な地位や時代がより確定できたかと思うと残念だ」と話しています。 一方で、ひつぎの広い範囲で見つかっていた赤い顔料

                            佐賀 吉野ヶ里遺跡 発掘調査 石棺墓から副葬品は見つからず | NHK
                          • 石棺墓のふた3枚、元は1枚 吉野ケ里遺跡、極めて珍しい発見 | 毎日新聞

                            石棺墓の石蓋3枚が同一の石材だったことを説明する白木原室長(右端)=県庁で2023年7月6日午後2時42分、五十嵐隆浩撮影 国指定特別史跡の吉野ケ里遺跡(佐賀県神埼市、吉野ケ里町)で見つかった弥生時代後期の有力者のものとみられる石棺墓(せっかんぼ)について、県は6日、石のふた4枚のうち3枚は元々は1枚だったと発表した。多良岳で採石されたとみられ、有明海を経由して吉野ケ里遺跡まで運ばれたと考えられるという。 ふたは大小4枚の石が一列に並び、最大幅65センチ、長さ2・3メートル、最大の厚さ18センチ。4枚のうち3枚には「×」や「キ」に似た線刻が多数刻まれている。 県がふたの画像を3D解析したところ、3枚の線刻が合致し、元々は1枚と判明。佐賀大学の角縁進教授(岩石学)の分析によると、弥生時代には石斧の材料として広く使われていたカンラン石玄武岩という。

                              石棺墓のふた3枚、元は1枚 吉野ケ里遺跡、極めて珍しい発見 | 毎日新聞
                            • 小出裕章氏「福島原発は石棺で閉じ込めるしかない」 | 週刊エコノミスト Onlineから | 週刊エコノミスト Online | 毎日新聞「経済プレミア」

                              2011年3月11日に発生した東京電力福島第1原子力発電所の破局的な事故(フクシマ事故)の災禍は、今もなお続いている。放射能汚染水の取り扱いなどは今まさに直面している焦眉(しょうび)の課題だが、ここでは廃炉を完了させるに当たって避けては通れないデブリ(熔融<ようゆう>した核燃料と原子炉構造物等が混合した残がい)の回収が不可能である、という点に絞って記すことにする。 フクシマ事故で問題となる核分裂生成物のうち、人間に対して最大の脅威となる放射性物質は「セシウム137」だ。日本政府によると、フクシマ事故では広島原爆がばらまいた168倍のセシウム137が大気中にばらまかれたという。「原子力緊急事態宣言」が当日発令され、その宣言は10年を経た現在も解除できないまま続いている。炉心には広島原爆の約7800発分のセシウム137が存在していた。 破損状況さえいまだ不明 日本政府と東京電力(当時、現東京電

                                小出裕章氏「福島原発は石棺で閉じ込めるしかない」 | 週刊エコノミスト Onlineから | 週刊エコノミスト Online | 毎日新聞「経済プレミア」
                              • ローマ建国神話の王ロムルスの石棺? 約100年前に発掘のひつぎ公開

                                イタリア・ローマのフォロ・ロマーノにある元老院議事堂跡で撮影された、ローマ建国の王ロムルスが納められていたとされる石棺(2020年2月21日撮影)。(c)Filippo MONTEFORTE / AFP 【2月23日 AFP】ローマ建国神話の王ロムルス(Romulus)のものと考えられている紀元前6世紀に作られた石棺が21日、全世界に公開された。 この石棺をめぐっては、歴史専門家らが数か月にわたり調査を行っていたが、伝説の王ロムルスのものだとする合意には至れなかった。 石棺は100年以上前にイタリアの首都ローマ中心部にある古代ローマ時代の遺跡、フォロ・ロマーノ(Roman Forum)の地下で円形の祭壇と共に発見された。 神話では、ロムルスは双子の弟レムス(Remus)を殺し、ローマの都を建設したと言われている。ロムルスとレムスは雌のオオカミに育てられたとされ、オオカミの乳を飲む双子の姿は

                                  ローマ建国神話の王ロムルスの石棺? 約100年前に発掘のひつぎ公開
                                • 蓮華寺舟形石棺 愛媛県松山市谷町 - 墳丘からの眺め

                                  伊予墳行一日目の最後に訪ねた場所は松山中心部から3.5㎞北の蓮華寺。 東からの丘陵の先端側で出島のような独立丘上にあります。 丘の東側から登って行く参道。 上った先の山門手前、覆い屋の下に石棺が安置されていました。 舟形石棺の底部で、阿蘇凝灰岩製とのこと。 蓮華寺の石棺 この石棺は昭和41年頃蓮華寺境内で発見されていたが、昭和51年、当時の倉敷考古館の真壁忠彦館長が調査のため来松され、「九州阿蘇山の溶結凝灰岩で作られた古墳時代中期後半(5世紀)の舟形石棺の底部である」と発表されたもので、愛媛県下では初めての発見である。 その後、平成21年に松山市の埋蔵文化財センターを中心として蓮華寺古墳関連調査が行われた際、石棺から試料を取り、愛媛大学大学院榊原正幸教授によって組成分析が実施された。 その結果、石棺の石材は阿蘇溶結凝灰岩と断定され、真壁館長の発表通りの結論が確定した。瀬戸内海沿岸では、兵庫

                                    蓮華寺舟形石棺 愛媛県松山市谷町 - 墳丘からの眺め
                                  • フランス南西部カオール市で七世紀メロヴィング朝時代の石棺と女性の遺骨が発見

                                    フランス南西部、オクシタニー地域圏ロット県カオール市で、7世紀、メロヴィング朝フランク王国時代の高齢の女性の人骨が入った石棺が発見された。 石棺は2019年7月22日、カオール市のロット県議会の敷地で建設工事中に発見されたもので、2019年8月13日、国立予防考古学研究所(“Institut National de Recherches Archéologiques Préventives”,INRAP)とオクシタニー地域圏考古学サービスによって発掘作業が行われた。 発見された石棺は四つの側面を持つ切妻屋根状の蓋で覆われた七世紀頃の製作とみられる石灰石の石棺で、モルタルで密閉されていた。開封したところ、中には高齢の女性の遺骨が横たわっており、変形性関節症の症状が見られるという。 発見された土地は、7世紀にディディエ・ド・カハルスによって設立された修道院があった、かつてのサン・エティエンヌ・

                                      フランス南西部カオール市で七世紀メロヴィング朝時代の石棺と女性の遺骨が発見
                                    • 吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で新発見、邪馬台国時代の石棺墓か | TBS NEWS DIG

                                      佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡」にある「謎のエリア」で大きな発見です。邪馬台国時代のものとみられる石棺墓が新たに見つかりました。 吉野ヶ里遺跡で先月末に見つかったのは、縦1.7メートル、横3.…

                                        吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で新発見、邪馬台国時代の石棺墓か | TBS NEWS DIG
                                      • 吉野ケ里石棺墓 埋葬人物は謎 「よみがえってほしくない人」? | 毎日新聞

                                        連日、報道陣に公開された石棺墓の発掘現場=佐賀県の吉野ケ里遺跡で2023年6月13日午後3時46分、上村里花撮影 2022年度から10年ぶりに発掘調査が再開された国指定特別史跡「吉野ケ里遺跡」(佐賀県神埼市、吉野ケ里町)で4月、弥生時代後期とみられる未盗掘の石棺墓が見つかった。これまで吉野ケ里では未発見だった後期の墓とあって、にわかに注目が集まった。結局、副葬品は見つからず、埋葬された人物は謎のままだが、秋には残った区域の発掘が始まる。これまでの経過を振り返る。【上村里花】 吉野ケ里遺跡は、弥生時代の国内最大規模の環濠(かんごう)集落。700年に及ぶ弥生時代全般の遺物・遺構が発見されており、弥生時代の社会の変遷を知ることができる貴重な遺跡として、1991年に特別史跡に指定された。邪馬台国が存在したとされる2世紀後半~3世紀前半は、吉野ケ里集落が大規模化し、最も栄えていた時期(1~3世紀)と

                                          吉野ケ里石棺墓 埋葬人物は謎 「よみがえってほしくない人」? | 毎日新聞
                                        • エジプト、天空の神ホルスにささげられた石棺など公開

                                          エジプト・ミニヤの発掘現場で、サルコファガスに納められたミイラを調べる考古学者(2020年1月30日撮影)。(c)Mohamed el-Shahed / AFP 【1月31日 AFP】エジプトの考古省は30日、古代の高位聖職者の複数の墓と、天空の神ホルスにささげられた「サルコファガス」と呼ばれる石棺を公開した。 南部ミニヤ(Minya)県の遺跡発掘現場では計16基の墓が見つかり、サルコファガス20基があった。一部のサルコファガスにはヒエログリフが刻まれていた。また、うち1基はオシリス神と女神イシスの息子ホルスにささげられており、天空の女神ヌートが羽を広げている様子が描かれている。 同省によると、墓はトート神に仕えた高位聖職者と高官のもので、今から約3000年前の古代エジプト王朝末期につくられたという。 同省はさらに、副葬品の小人形「ウシャブティ」約1万点と、一部純金でできたスカラベや翼のあ

                                            エジプト、天空の神ホルスにささげられた石棺など公開
                                          • 「神様が私を導いた」他人の墓から石棺を盗んだ沖縄の霊媒師を逮捕 人骨は墓に残す | 沖縄タイムス+プラス

                                            沖縄県警の本部署は1日、他人の墳墓から二つの石棺を盗んだとして那覇市の霊媒師の女(83)を墳墓発掘、窃盗の両容疑で逮捕した。「この墓の神様が私を導いた。勝手にはやっていない」との趣旨を話しているという。他に2人の共犯者がいるとみて捜査を継続する。 署や捜査3課によると、2019年6月23日午後2時ごろ、師弟関係にある別の2人と共謀して本部町内の他人の墳墓から石棺二つ(時価合計200万円相当)を盗んだ疑い。石棺の中の人骨を取りだし、ひつぎのみを墓から運び出したという。19年11月ごろ、墓を管理する被害男性から「墓が勝手に荒らされている」と被害相談があった。犯行を目撃していた関係者などへの聴取から容疑者が浮上した。

                                              「神様が私を導いた」他人の墓から石棺を盗んだ沖縄の霊媒師を逮捕 人骨は墓に残す | 沖縄タイムス+プラス
                                            • とある神社の手水鉢が元はまさかの “古墳の石棺” だったという事実に驚きが止まらない「これは戸惑う」

                                              幣束 @goshuinchou 神社、お寺、古代、民俗、神話、伝承、祭礼、シャーマニズム等。そういう場所に行った時の長文ツイ。日本史、伝統行事、宗教、風習、俗信、妖怪、旅(国内海外)、離島、御朱印、読書、城郭、美味い物、猫、映画、阪神、高校野球。バイク日本一周経験者。セロー250。四国の民になりました。

                                                とある神社の手水鉢が元はまさかの “古墳の石棺” だったという事実に驚きが止まらない「これは戸惑う」
                                              • 石棺は「弥生後期有力者の墓」 吉野ケ里、副葬品なし - 日本経済新聞

                                                佐賀県は14日、吉野ケ里遺跡の「謎のエリア」で見つかった石棺墓の発掘作業を終えた。被葬者の身分や時代の特定につながる人骨や副葬品は見つからなかったが、墓の立地状況などから、同遺跡では初となる弥生時代後期の有力者の墓と結論付けた。石棺内には全面的に赤色顔料が塗られていた可能性が高いことも判明した。同日記者会見した山口祥義知事は「まだ発掘していくので期待してほしい」と述べた。県は、約4千平方メート

                                                  石棺は「弥生後期有力者の墓」 吉野ケ里、副葬品なし - 日本経済新聞
                                                • 邪馬台国ロマンに迫る 吉野ケ里遺跡で石棺の開口作業

                                                  女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した邪馬台国(やまたいこく)の候補地とされる吉野ケ里(よしのがり)遺跡(佐賀県吉野ケ里町、神埼市)で5日、有力者を葬ったとみられる石棺墓の蓋石(ふたいし)の取り外し作業が行われた。弥生時代後期後半~末期(2世紀後半~3世紀中ごろ)の邪馬台国の時代にあたり、副葬品などが注目される。 石棺墓は4月に発見。長さ約2・3メートル、幅約0・7メートルで同遺跡の石棺墓では最大。未盗掘で、副葬品などが埋葬当時のまま残っている可能性がある。 板状の蓋石4枚で構成され、最も大きいものは一辺70センチ以上、重さ100~200キロと推定される。開口作業は、蓋石にベルトを巻いて重機で1枚ずつつり上げる方法で実施。県はさらに棺内を詳しく調査する。 同遺跡は国内最大規模の環濠(かんごう)集落で国特別史跡。平成元年、大型の祭殿跡など魏志倭人伝の記述と合致する発見が相次ぎ、邪馬台国九州説を勢い

                                                    邪馬台国ロマンに迫る 吉野ケ里遺跡で石棺の開口作業
                                                  • 吉野ケ里遺跡で石棺墓発見 「謎のエリア」、邪馬台国時代か | 共同通信

                                                    Published 2023/05/29 19:44 (JST) Updated 2023/05/29 20:01 (JST) 佐賀県は29日、弥生時代の大集落として知られる吉野ケ里遺跡(同県吉野ケ里町、神埼市)で、石棺墓1基が見つかったと発表した。弥生時代の後期後半―終末期の有力者の墓とみられ、当時の集落構造や政治状況を解明する手掛かりとなる可能性がある。県の担当者は「いわゆる邪馬台国時代に近い墳墓」と説明し、今後の調査に期待を寄せた。 県文化財保護・活用室によると、石棺墓が見つかったのは遺跡の中央部に位置する日吉神社跡地。墓には4枚の石からなる全長約2.3メートルのふたがあり、「×」や片仮名の「キ」に似た線刻が多数刻まれていた。 石棺を入れるための穴が遺跡内の他の石棺墓に比べ大きく、調査範囲で最も高い位置で見つかったことなどから有力者のものとみられる。 県は6月5日に石棺のふたを開け、

                                                      吉野ケ里遺跡で石棺墓発見 「謎のエリア」、邪馬台国時代か | 共同通信
                                                    • 「人の心臓のミイラ」が保存されているはずの2つの石棺に、"全く違うミイラ"が入っていたと判明!? - ナゾロジー

                                                      こちらは、イスラエルにあるハイファ国立海洋博物館に50年もの間、保管され続けている2体の石棺です。 1つは冥界の神オシリスの形に、もう1つは天空の神ホルスの形に彫刻されており、中には「人の心臓のミイラが入っている」と言われていました。 ところが、新たに行われた調査の結果、それぞれ全く違うミイラが入っていたことが判明しています。 研究員によると、オシリス型の石棺には、穀物と泥を混ぜた「穀物ミイラ」が、ホルス型の石棺には、ハヤブサと思しき「鳥のミイラ」が保存されていたとのことです。 中身が「心臓」ではありえない理由とは?同博物館は、ここ数年間、所蔵されているコレクションを精査し、それぞれ最善の保存方法を決める作業を続けていました。 その中で、出くわしたのが2体の小さな石棺です。 しかし、館内に石棺の中身を知っている人はおらず、残された記録にも「人の心臓が入っている」とあるだけでした。 同博物館

                                                        「人の心臓のミイラ」が保存されているはずの2つの石棺に、"全く違うミイラ"が入っていたと判明!? - ナゾロジー
                                                      • 諏訪坂古墳石棺蓋石 神奈川県横浜市鶴見区諏訪坂 - 墳丘からの眺め

                                                        2月13日の土曜日の午後に下末吉面の高低差を味わう、外歩きツアーに参加しました。 集合場所の鶴見駅へ向かう途中、乗り換えた大井町駅構内から。 ズームすると、旧大井町変電所建物の妻側が写りました。 https://massneko.hatenablog.com/entry/2015/10/22/183000 線路脇土手の河津桜はまだ咲き始めでした。今頃は葉桜でしょうが、奥に並ぶソメイヨシノが咲きだしますね。 https://massneko.hatenablog.com/entry/2019/03/05/000000 鶴見駅に集合時間の15分前に到着、と思ったら間違えて45分前に着いてしまったので、以前にマークしていた諏訪坂(諏訪山)古墳石棺を、速足で訪ねてみました。 丘陵の縁(下)に沿う道を北北西に向かうと、いい雰囲気の急坂が。 折り返しのところから。 上がり終えて振り返って。 丘上の住宅

                                                          諏訪坂古墳石棺蓋石 神奈川県横浜市鶴見区諏訪坂 - 墳丘からの眺め
                                                        • 吉野ヶ里遺跡で見つかった「石棺墓」…「朱の痕跡」は邪馬台国論争に一石投じたか

                                                          【読売新聞】編集委員 丸山淳一  国指定特別史跡の吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市、吉野ヶ里町)で、弥生時代後期の有力者の墓の可能性がある 石棺墓 ( せっかんぼ ) が見つかり、覆っていた4枚の石蓋を外して内部の調査が行われた。残念なが

                                                            吉野ヶ里遺跡で見つかった「石棺墓」…「朱の痕跡」は邪馬台国論争に一石投じたか
                                                          • 【THE古墳】吉野ケ里遺跡 最大の謎「王墓」はどこに? 卑弥呼の墓と様相異なる石棺墓

                                                            発掘調査が進む吉野ケ里遺跡の石棺墓=6月12日(佐賀県提供)邪馬台国(やまたいこく)九州説の候補地・吉野ケ里(よしのがり)遺跡(佐賀県吉野ケ里町、神埼市)で石棺墓が見つかり、一躍脚光を浴びている。有力者の墓とあって、女王・卑弥呼(ひみこ)との関連も取り沙汰される。ただし、石棺墓は3メートルあまりで墳丘もなく、魏志倭人伝が「径百余歩の塚」(約144メートル)と記す卑弥呼の墓とは印象が異なる。それでも注目されるのは、吉野ケ里の「王墓」の可能性があるためだ。そして古墳時代、この地には「前方後方墳」が築かれた。ヤマト王権のシンボル「前方後円墳」でないところに、畿内と一線を画した独自性もうかがえる。

                                                              【THE古墳】吉野ケ里遺跡 最大の謎「王墓」はどこに? 卑弥呼の墓と様相異なる石棺墓
                                                            • 二本松古墳(石棺) 広島県三原市本郷町南方二本松 - 墳丘からの眺め

                                                              前回の貞丸古墳からは500m程南西にある「二本松古墳」へ。 ほんごう古墳駐車場から徒歩16分の距離です。 南方神社の境内になりますが、入口前に車の停められるスペースもありました。 左は国道2号。古代から重要なルートだったのでしょう。 「二本松古墳」の大きな看板の脇に、周辺古墳の説明板もあり。 なかなか高さのある石段。国道からの比高差20mほど。 いい感じに苔むしていますが、滑らないように手摺りを使って。 上がった先の南方神社境内。この基壇が古墳の跡なのでしょうか。 その左に石棺が安置されていました。 石材は竜山石。墳丘の説明はありません。 二本松古墳の石棺 平成2年11月17日 町指定重要文化財 石棺にはいろいろな種類があるが、この石棺は家型石棺である。 蓋石の頭部に平坦な面があり、四方に傾斜していて屋根の形を思わせていることからこの名前がついた。 蓋石の長辺に2個ずつの縄掛突起がついてい

                                                                二本松古墳(石棺) 広島県三原市本郷町南方二本松 - 墳丘からの眺め
                                                              • “古墳の大家”が語る「邪馬台国」最新学説。「吉野ヶ里遺跡の石棺墓は卑弥呼のものではない」「漢委奴国王の金印は何十個もあったんじゃないか」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

                                                                吉野ヶ里遺跡の石棺墓発見で盛り上がりを見せる邪馬台国論争。“古墳の大家”として知られる国立歴史民俗博物館教授の松木武彦氏が、最新学説をもとに日本国の成り立ちや日本人のルーツを解き明かす。 【画像】「吉野ヶ里遺跡の石棺墓は卑弥呼のものではない」「漢委奴国王の金印は何十個もあったんじゃないか」 埋葬されているのは“Bクラス”の人物!?――今年5月に吉野ヶ里遺跡(佐賀県吉野ヶ里町・神埼市)で出土した石棺墓ですが、邪馬台国時代と重なる弥生時代後期(2世紀後半~3世紀半ば)のものと見られ、内面は真っ赤に塗られて幅は細く、卑弥呼の墓ではないかという声もあがっています。 松木(以下、同) 卑弥呼ではないでしょうね。邪馬台国時代の高位の人物は普通、木の棺に葬られ、例外なく副葬品として数多くの銅鏡があり、赤色顔料は30キロほどになりますから。 石棺というと聞こえはいいですが、実際は底もなく、自然の石を組み合

                                                                  “古墳の大家”が語る「邪馬台国」最新学説。「吉野ヶ里遺跡の石棺墓は卑弥呼のものではない」「漢委奴国王の金印は何十個もあったんじゃないか」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
                                                                • 吉野ケ里遺跡で石棺墓1基発見、弥生時代後期の有力者か

                                                                  佐賀県は29日、弥生時代の大集落として知られる吉野ケ里遺跡(同県吉野ケ里町、神埼市)で、石棺墓1基が見つかったと発表した。弥生時代の後期後半―終末期の有力者の墓とみられ、当時の集落構造や政治状況を解明する手掛かりとなる可能性がある。県の担当者は「いわゆる邪馬台国時代に近い墳墓」と説明し、今後の調査に期待を寄せた。 県文化財保護・活用室によると、石棺墓が見つかったのは遺跡の中央部に位置する日吉神社跡地。墓には4枚の石からなる全長約2・3メートルのふたがあり、「×」や片仮名の「キ」に似た線刻が多数刻まれていた。 石棺を入れるための穴が遺跡内の他の石棺墓に比べ大きく、調査範囲で最も高い位置で見つかったことなどから有力者のものとみられる。 遺跡からは弥生時代の同時期の大規模な環濠集落跡が見つかっているが、当時の有力者の墓などは発見されていない。県は6月5日に石棺のふたを開け、調査する予定。

                                                                    吉野ケ里遺跡で石棺墓1基発見、弥生時代後期の有力者か
                                                                  • ガイダンス施設 山代の郷(向山1号墳 石棺式石室レプリカ) 島根県松江市山代町 - 墳丘からの眺め

                                                                    山代二子塚古墳のすぐ南側には、八雲立つ風土記の丘の施設群に含まれる「山代の郷」があります。駐車場完備で、ここに車を停めて周辺の古墳をじっくり巡ることができます。 山代二子塚古墳の解説ビデオを視聴できる部屋がありますが、なんと柱が円筒埴輪仕様。 ガイダンス山代の郷 | 八雲立つ風土記の丘 エントランスロビーには、近くにある向山1号墳・石棺式石室の実物大模型が。 かなり大きくて圧倒されました。 カンヌキ形が彫り出された閉塞用の板石あり。 側面側は石室内がよく見られるように一部が切り取られています。 石室内の石棺は、側面が開くタイプ。縁がカーブします。 こちらは山代二子塚古墳(の中)にあった解説板。 向山1号古墳 この古墳は、一辺が30m前後の方墳と考えられています。古墳の中には石室や石棺が良い状態で保存されていました。石室の入口には東部出雲でよく使われる「++」の形をしたレリーフが表現された石

                                                                      ガイダンス施設 山代の郷(向山1号墳 石棺式石室レプリカ) 島根県松江市山代町 - 墳丘からの眺め
                                                                    • 吉野ケ里遺跡「謎のエリア」で弥生時代の石棺墓 有力者の可能性 | 毎日新聞

                                                                      佐賀県は29日、弥生時代の大規模な環濠(かんごう)集落跡で知られる国指定特別史跡の「吉野ケ里遺跡」(佐賀県神埼市・吉野ケ里町)で、弥生時代後期後半~終末期(2世紀後半~3世紀中ごろ)のものの可能性が高い石棺墓(せっかんぼ)が見つかったと発表した。発見場所や規模から有力者の墓の可能性がある。6月5日から石蓋(いしぶた)を開いて石棺墓内部の調査を始める予定。 石棺墓が見つかったのは遺跡の中央付近で、弥生時代中期の歴代の王の墓とされる北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)の西約150メートルにある。18世紀の創建とされる日吉神社の跡地で、これまで未発掘で「謎のエリア」と呼ばれていたが、神社移転に伴って2022年度から発掘調査を進めてきた。

                                                                        吉野ケ里遺跡「謎のエリア」で弥生時代の石棺墓 有力者の可能性 | 毎日新聞
                                                                      1

                                                                      新着記事