気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 2009年5月、エストニア政府は米国とは異なる方向に歩み出すことを決めた。米国で7870億ドル(約61兆6000億円)の緊急経済対策が成立してから数カ月後のことだった。困難に立ち向かうことを選択したのだ。エストニアは外貨準備に手をつけたり、他国からの借り入れに頼ったりすることを拒否した。 閣僚らは、当時の通貨「クローン」を切り下げることなど考えもしなかった、と語る。仮に通貨切り下げに走っていれば、10年かけて進めてきたユーロ導入計画がつまずいていただろう。旧ソ連による占領が終了して以降、堅持してきた均衡予算を死守するべく、同国政府は年金の凍結、公務員給与の10%近い引き下げ、付加価値税の2%引き上げに踏み切った。この年、エストニアのGDPは1