山形先生の言う、"批評が自ら運動を作り、作品を生み出し、それをさらに批評するというサイクル"って、すべての評論家が一度は望むことだとは思うのです。それは、評論家が「原作者」になることなので。実際、僕もかつてはそれを目指したことがあります。
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低賃金が横行し、それが市中の消費を冷え込ませているので、いまこそ正しく左翼が求められていると思うのだが、なぜ左翼の人々の多くは再分配に冷淡で政権の揚げ足取りや、空想的な平和主義ばかりになるのでしょうか。北海道教組なんて、まずは部活動顧問のブラック労働などに取り組むべきじゃないの。
2015-04-12 デジタル社会をダメにする知識人には責任は問われないのか? 『かつてなら書くことさえためらわれた悪口雑言(あっこうぞうごん)が、大手をふって飛び交うデジタル社会。どちら様も大変である。』 え!これがまとめ? (日曜に想う)ネトウヨと、ひざ交え終電まで 特別編集委員・山中季広 朝日新聞デジタル http://t.co/K7w5ZkkB4U — BuddyLee-ANTIFA (@playmate62) 2015, 4月 12 朝日新聞の今朝のコラムは「ネトウヨ問題」である。2面の左上にでっかく掲載されていた。 記事ではネトウヨだけでなく、その反対のリベサヨの問題点も指摘している。そしてその結びの文章がコレだった。詳細は紙面を確認してほしい。 デジタル社会をダメにしている物は右翼思想ではない。 記事で指摘があったように「ためらいなき悪口雑言」にある。それは私もこの泡沫ブログ
「ニッポンのマンガ*アニメ*ゲーム」展が2015年6月24日(水)から8月31日(月)まで東京・六本木の国立新美術館で開催される。また、兵庫県立美術館にて2015年9月19日(土)から11月23日(月・祝)まで同名の展示会が開催。兵庫の展示会は、東京の展示会を再構成したものとなる。 ここからは東京での展示内容を説明。本展では、1989年から現在までの25年間に焦点をあてる。複合的メディア表現として深化する、日本のマンガ 、アニメ、ゲームを総合的に展望し、想像力と創造力を再発見する機会を提供することが狙いだ。 左) 「天元突破グレンラガン」©GAINAX・中島かずき / アニプレックス・KDE-J・テレビ東京・電通 右) 「シドニアの騎士」©弐瓶勉・講談社 / 東亜重工動画制作局 各章ごとにテーマを設け全8章で構成。社会現象や技術革新が時代と共に、作品そして作品の受け手である読者やプレーヤー
2014年09月16日 更新 星海社新書 テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ 2014年09月25日(発売日はお住まいの地域によって異なります。) 豊潤な「マンガの時代」は神の不在の上で花開いた 1989年、手塚治虫が死去した。その後に訪れた90年代、いつしか「マンガはつまらなくなった」という言説が一人歩きを始めた。手塚の死とともに、マンガの歴史は終わってしまったのか? いや、そのようなことは決してない。マンガ評論における歴史的空白のなかにあっても、新しいマンガたちが描かれ、読まれ、愛されているのだ。では、神の死後に生まれたマンガたちが見向きもされない現実は、マンガにとって不幸ではないのか? そして、なぜそのようなことが起きてしまったのか? 歴史的空白を「キャラとリアリティ」の観点からとらえ直すことで、マンガ表現論の新たな地平を切り開いた名著、ついに新書化。マンガ・イズ・ノット
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