私には、自分が全共闘運動の唯一の継承者であるという自負がある。 そもそも私の世代に、全共闘運動をたえず参照しながら自らの進むべき道を探ってきたような人間は、狭い政治運動のシーンにさえ他にほとんど(せいぜい数人くらいしか)存在しないだろうし、しかも単に参照するにとどまらず、全共闘のさらに先へ進もうと志して、なおかつその具体的な方向性を提示しうるにまで至ったのはおそらく私一人だろう。 そんな確信を深めているところだったから、『悍』創刊号に掲載された千坂恭二「一九六八年の戦争と可能性」にある、「プレ・ファシズム性こそが、この運動(全共闘運動)の最大の思想的遺産でもある。つまりファシズムの自己肯定を経過しない思想は、この運動以降には到達出来ないということでもある」との記述は、ますます私を天狗にさせている。 全共闘を意識して以来10余年に及ぶ試行錯誤の末に、5年ほど前、私はファシズムへの「転向」を宣