以前にも触れたが、今回にせよ、菊池さんの粘り腰には本当に頭が下がるのだが、ここでいくつか備忘録的に思い出したことを書き留めておきたい。とりあえず断片的な記憶を断片のままに走り書きで引きずり出すだけなので、ピンときた方がおられれば、めいめい補足、補完していっていただきたい。 党派的な話を持ち出して恐縮なのだが、たしか安齋先生は日本科学者会議で活躍しておられて、古い言葉でいうと代々木系、日本共産党寄りの立場を取られていたと思う。そしてさらに古い言葉を使うと、70年代から80年代にかけて日本でもその立場を確立させた「科学批判」「反科学」は反代々木系、「反戦平和」、ノンセクトラディカルの系譜に連なる人々に支えられていたはずだ。故高木仁三郎氏などはその代表であり、この時代以降の反原発運動の理論的バックボーンを提供していたのも、こうした人々であろう。米本昌平氏もまた、こうした人脈に連なる一人であったは