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ブックマーク / blog.livedoor.jp/easter1916 (14)

  • ララビアータ:不愉快なもの - livedoor Blog(ブログ)

    近頃とりわけ不愉快なもの。1)オリンピックの東京招致の狂態。2)AKBの小娘たちの醜態。3)WBC「サムライジャパン」のバカ騒ぎ。 これらに共通するものは、白痴的幼児性と欲ボケ老人とマスコミの幇間たちである。どれも実に醜悪で、笛や太鼓で浮かれ騒いでいるように見えるが、その実、妙に冷めてもいて、冷静にそろばんをはじく音が裏から聞こえてくる。騒いでいる人たちも含めて、誰ひとり気にしている者はいない。何とかババをつかまずに逃げきることしか念頭にない。沈みゆく船の上で、最後のばくちを打つつもりなのだ。すでに、登場する者すべてに、死相が浮かんでいる。

  • ララビアータ:田中聡の暴言 - livedoor Blog(ブログ)

    私はいままで新聞を取ったことがないが、新聞を無益なものなどとは考えない。世の中の動きを知るうえでは、ほとんど役には立たないが、新聞の動きを知るうえでは有益である。先日、行きつけの定屋で読売新聞(2日朝刊)を見たら、例の防衛省の田中聡沖縄防衛局長の暴言についてなかなか面白い動きを見せていた。 琉球新報の普久原均編集局次長が、読売新聞の取材に対し、「著しく人権感覚を欠いた発言で、広く県民に知らせるべきだと考えた」と回答。記者が懇談の場で田中氏にオフレコの撤回を求めなかったことについては、「想像できないような発言に記者が驚いてしまったため、その場で田中氏にオフレコ解除を申し入れることはしなかった」としている。 とある。極めて興味深い記事である。読売の記者は、琉球新報によるオフレコというコードの違反をとがめ立てているのだ。しかし、そこに同席した琉球新報以外の記者たち(読売の記者も含む)は、どうし

  • ララビアータ:原発ジプシー - livedoor Blog(ブログ)

    堀江邦夫という方の『原発ジプシー』(1979)というがある。今から30年以上前に刊行されているもので、堀江氏がみずから下請け労働者として原発作業に潜入し、その現場の実態をレポートしたルポルタージュである。高度経済成長のただ中、その裏側で厳しく危険な下請け労働がそれを支えていることを克明に記録したものだ。 このが出版された頃、私は堀江さんを個人的にいささか応援したことがあった。どういうご縁であったか正確には覚えていないが、おそらく亡くなった母の後輩か何かのつてであったと思う。氏のお話では、このを出版した頃から、ご自宅に頻々と脅しの電話が入るようになったということである。「家族の命はないと思え」とか、「子どもがどこかで交通事故に遭うぞ」などいうたぐいの電話である。市民個人が気で大きな権力に挑もうとするとき、どんな目に遭うのか、我が国の憲法が保証しているはずの表現の自由が、現実にどの程度

    reds_akaki
    reds_akaki 2011/03/30
    この本を出版した頃から頻々と脅しの電話が入るようになった堀江氏の家族に差し迫る危険を減らす為、毎日新聞に書評を載せてもらった。疑われるだけでも電力会社の名に傷がつくので連中が無茶なことをする危険が少な
  • ララビアータ:クエ - livedoor Blog(ブログ)

    旧い友人たちと久しぶりに会ってクエ鍋をべた。その際、最近の携帯・入試事件が話題になった。私自身「入試委員」というものを仰せつかっているが、私自身の考えを言えば、入試であれ何であれ不正はつきものだ。まったくゼロにすることなどできない。完全にゼロにするための労力を費やすより、まあ少しくらいの不正は当たり前として認識しておく方がいいというものだ。1%くらいの不正入学があっても、大勢には影響するはずがない。(そもそも私としては、全てを抽選にする方がいいと思っている。)不正をゼロにするために、どれほどのコストと労力が不毛に費やされねばならないだろうか? 私のように年を重ねてくると、少々の嘘は許されるものである。現役バリバリの人たちは競争社会の中で争っているから、嘘をつくことは原則として許されない。それはまずアンフェアで非紳士的な振る舞いと見なされて当然である。しかし、おおかた仕事からリタイアしたり

    reds_akaki
    reds_akaki 2011/03/06
    d:id:kamayan:20110304:1299255520様
  • ララビアータ:恩師の言葉 - livedoor Blog(ブログ)

    先日、花井一典氏の思い出について書いたおり、恩師に対する関係の理解の違いが、二人の齟齬のきっかけとなったことに言及して、私は次のように記した。 恩師に対する敬愛は、何かもっとつつましく秘められた形をとるものであると、私には感じられた この点について、以前、私の亡き恩師大森荘蔵先生について『文学界』(2004年12月号)に書いたことがある。市販された雑誌に掲載された文章であるから、全文を再録することはためらわれるが、今では古書店で探す以外に購入が難しいものであるから、道義上許されることと思う。興味がある方は、以下参考にしていただきたい。 「恩師の言葉」 大森先生は私の恩師である。以前、拙著で先生に言及するさい、故人の名には敬称をつけないという慣行から、やむを得ず敬称を略したが、まことに心苦しく感じた事があるので、ここでは大森先生と呼ばせていただく(もっとも生前は、先生のことをただ「大森さん」

  • ララビアータ:言語の起源 - livedoor Blog(ブログ)

    言語の起源はどんなものであったのだろうか、は我々の想像力を刺激するテーマだが、決着をつけるような証拠が得られるような見込みのない、いたって思弁的な問題にとどまるだろう。しかし、プラトンの対話編にしばしば登場するミュトスにも、まったく意味がないとは言えないように、かかる思弁にもそれなりの意味はある。それを語りだすミュトスがどのようなものであれ、それらは言語をいかなるものと現に見なしているか、人間をいかなる存在と見ようとしているかなどを、大雑把に総覧するに役立つからである。 言語が極めて有用なものだからといって、それが有用性のために発明されたと考えるようなことはできない。それは人間が種として生存するための効用(survival value)によって、進化論的に説明することも期待薄である。そもそも我々は、進化論が達成した成果に幻惑されるあまり、生存のために効用を一元的な説明原理であるかのように考

  • ララビアータ:保護責任者遺棄致死? - livedoor Blog(ブログ)

    覚せい剤をパートナーに投与して異常をきたしながら、救急車を呼ぶこともなく死に至らしめたタレントの事件については、うんざりするほど報道されているので、知らない人はいないだろう。この事件の悪質性――証拠隠滅や他人への責任転嫁、不合理な言い逃れなど著しい反倫理性を考慮すれば、ほとんど殺人にも等しい非難に値すると見る人も多いだろう。2年6カ月というあまりにも軽い量刑には、遺族ならずとも意外に感じるに違いない。実際、私自身もそれに近い印象を持った。 しかし裁判員は、専門医師の間でも、被害者を救命できる可能性の判断が大きく分かれた点を重視して、遺棄致死罪を認定しなかった。これは、裁判員たちが感情に流されず、あくまで証拠に基づいて理性的に判断したことを示している。この範例は、裁判員制度が定着してゆく歴史において、記念すべきものとして記憶されることだろう。その歴史的意義は決して小さなものではない。 厳しい

  • ララビアータ:花井一典氏の思ひ出 - livedoor Blog(ブログ)

    北大の旧友からの電話で、花井一典氏の急逝を知らされた。24日に北大文学部でお別れの会があった。北大へは、ほぼ20年ぶりである。 花井氏(以下敬称略)は、知る人ぞ知る中世・古代哲学者である。わたくしとは大学同期で、言葉に尽くせないほど彼にはお世話になったのだが、ここ15年ほどはほぼ絶交状態が続いていた。どうしてこんなことになってしまったのだろうか? 花井は、天才的な語学力とたぐいまれな学識にもかかわらず、人自身には全くそんな自覚は思いもよらないものだった。それは、彼が言語と思想の当の深みについてあまりにも通暁していたために、自分の学識を、それに比してごく控え目なものと認識していたからである。 彼は格的な学者によくある偏屈さのために、世渡りが器用と言えるものではなかった。そのためか、彼は就職の面でも他の同僚よりずっと不運であったと思う。花井の恩師であった斉藤忍随先生が急逝されたことも(1

  • ララビアータ:保守主義 追補 - livedoor Blog(ブログ)

    むかし、エドモンド・バークの『フランス革命の考察』を読んだ時、国王の支配が人民の総意に基づくものではなく、単に法と伝統にのみ基づくものであることが記されてあるのを見て、目からうろこが落ちる思いをしたものである。法の支配が、人民の総意という民主的原理とは違うことがあるということである。 わたくしの保守主義は、他の一般の保守主義者とい違うのみならず、もっての他のものとさえ映るかもしれない。保守主義によって革命や革命的行動を正当化する形になっているからである。 ここで考慮すべきは、バークの祖国と違って、我が国の政治的エートスには、保守主義的伝統が決定的に欠如している点である。そのため、保守主義が、何であれ現在の支配体制と実定的制度にしがみつくことと混同されてしまう。我が国では、政治支配を総体として合理化したり正当化する論理が発達しにくかった。そのような問いや論理をくじくものこそ、実は「天皇制」

  • ララビアータ:朝青龍関の引退 - livedoor Blog(ブログ)

    朝青龍関が引退を表明した。まことに残念であり、口惜しい。 いつから日人は、ここまで劣化したのであろうか? いつから他人の「品格」をあげつらうような発言が日語に登録されたのであろう? もともと己れを棚に上げて他人の「品格」を批判するようなふるまいは、あまり上品なものとは思われていなかった。「いったい何さまのつもりなのか?」 マスコミ一体となったすさまじい反朝青龍キャンペーンは、もはや全社会的いじめである。 「暴行事件」と言われるが、その詳細についてわれわれは何一つ知らない。たとえ訴追されたとしても、判決が下るまでは推定無罪と取り扱われねばならない。まして、不起訴どころか「容疑」さえないのである。我々にしても酒を飲んで口論くらいはするだろう。民事的係争が有ったとしても、人たちの間で示談が成立しているのに、他人がどうして騒ぎ立てるのか? どこかの四流の脚家が、どうしてあれほどまで傲慢な態

  • ララビアータ:鄭大世(チョン・テセ)よ、胸を張れ! - livedoor Blog(ブログ)

    鄭大世よ、胸を張れ! 強豪ひしめくグループGにあって、君たちはブラジル相手に立派に戦った。今や第二戦ポルトガル、第三戦コート・ディヴォワールにも敗れ、リーグ戦突破の道は閉ざされた。 君のすぐれた天分をもってすれば、テーハンミングの大合唱を背に受けて、輝かしい道を駆け抜けることも約束されていたはず。そのとき君は、はるかにめぐまれた条件のもとで、はるかに華やかな栄光に包まれていただろう。 しかし、君は、母の祖国を選んだ。国際的に孤立し、轟々たる非難にさらされた祖国。君の母上が、在日同胞の弟妹の星になれと、君に諭されたから。約束されたはずの幸福と名誉をもたらさず、多大な苦難のみを背負うことが明らかなとき、君は、祖国の苦難をみずから背負い、祖国の人々の哀しみに、みずから寄り添う道を選んだ。 それでこそ、あっぱれ愛国者! 朝鮮人民共和国の国歌を歌いながら、涙を流す姿は、我々の胸を打つ。常々、君の祖国

  • ララビアータ:沖縄基地 - livedoor Blog(ブログ)

    普天間基地の県外移転を目指した鳩山内閣の方針は、どうやら完全に挫折しつつあるようである。 沖縄住民の現状を考えても、韓国やフィリピンの米軍基地や世界的な米軍再編の状況から見ても、素人的に見る限りは情理ともにそろった方針と見えたものが、どうしてかくも実現困難なのか、ちょっと考えてみたい。思えば、これほど素人の感情と「専門家」の判断にずれが生じたこともまれである。この問題で、素人は何ゆえそれほどまでに愚かだったのか?愚民ゆえの愚かさであろうか?大いにありそうなことではある。それが証拠に、実際にアパルトヘイトの中で暮らす沖縄住民以外は、今や賢明にも心を入れ替えて、ほとんど「専門家」の説得を受け入れたように見える。総選挙の圧勝とその公約にもかかわらず、マスコミは繰り返し金切り声を上げてこの公約を蹂躙せよと政府に迫ったし、それを受けて、国民の与論も最近は「県内移設」やむなしとするものが多数を占めてい

  • ララビアータ:過ぎ越し――佐藤優『自壊する帝国』について - livedoor Blog(ブログ)

    このについては、既に亀山郁夫氏が『文学界』8月号で取り上げている。書の稀有の魅力と美点については、亀山氏の意見にほぼ同意できる。その点をここでは繰り返すことは避けて、むしろいくつかの批判的考察を付け加えたい。 ここで強調しなければならないのは、我々の批判は、佐藤氏のの魅力と力を構成する点と不可分であるということである。 亀山氏は、旧ソ連の様々に異なる立場の人々が、佐藤氏に対して次々に胸襟を開き、貴重な情報を与えるのに驚嘆しながら、「それは、何と言っても、自己保身を求めないまっとうな政治家の前では、人並み以上に膝をおる誠実さが「マサル」自身に備わっていたからだ。まさに「人間力」。」と述べている。 私には、この点は「人間力」だけでは説明がつかないように思われる。むしろ、氏の神学的素養が問題なのではないだろうか?モスクワで、氏が反体制派や異端派の知識人群に迎え入れられるきっかけが、モスクワ

  • ララビアータ:亀田一家

    亀田某が、ボクシング界の若手としてデヴューしているようだが、ボクシング好きの私でさえうんざりするのはこの兄弟である。兄弟で互いに区別がつかないくらい、いずれ劣らず品格もマナーもないならず者面であり、父親からさえも自立できないほどのクソガキぶりを発揮しているのだ。このようなクソガキチンピラを前にすると、対戦相手の外国人選手のマナーのよさが際立つので、誰だって対戦相手の方を応援したくなってしまう。テレビ局の軽薄スタッフが、自明のようにこの未熟なチンピラを応援しているのも、不快極まりない。例によって馬鹿騒ぎのテレビ局のお調子者たちが、よってたかって亀田一族の肩を持ち、ただでさえ心細く周りじゅう敵だらけの日へ出稼ぎにやってきた相手ボクサーを、血祭りにあげようとしているのだ。多分、あまり実力がありすぎない、盛りを過ぎた選手とか、減量に苦しむ選手とか、スランプ続きのボクサーなどを念入りに選んでいるの

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