朝鮮日報日本語版は、 「日経テレコン」「G―Searchデータベースサービス」に記事を 提供いたしております。 本サイトの公開期限を過ぎた記事の閲覧につきましては、こちらの サービスをご利用ください。
新型コロナで経済的に影響を受けた大学生たちが食料を受け取るために並んでいた/2021年10月4日、パリ(写真:Nola Green/Anadolu Agency via gettyimages)この記事の写真をすべて見る 家族人類学の視点から、新しい世界像と歴史観を提示してきたフランスの“知性”エマニュエル・トッド氏(歴史家、人類学者)。最新作で取り上げたテーマは「女性の解放の歴史」だった。深刻化するアフガニスタンの女性差別、日本の男女の問題……。トッド氏はどう見るのか。ジャーナリストの大野博人氏がオンラインで聞いた。「性と社会」を特集したAERA 2022年1月31日号の記事を紹介。 【写真】エマニュエル・トッド氏はこちら * * * ──西欧以外の社会にも、性をめぐる問題は重くのしかかっています。たとえばアフガニスタンの女性差別は深刻です。 アフガニスタンはイスラム圏の国で、父系、
2021年12月21日、外国人に日本人と同じ条件で住民投票権を認める東京都武蔵野市の条例案が市議会で否決された。 採決では自民党や公明党の議員など14人が反対し、賛成した立憲民主党や共産党などの11人を上回った。 憲法は、地方公共団体(自治体)は法律の範囲内で条例を制定することができると規定している。 日本の法律には外国人が住民投票で投票をすることを禁止したり制限したりする規定はないから、条例で外国人の投票資格を認めることは違法ではない。 近年、日本で生活する外国人(在留外国人)の数が増加している。法務省によると、2002年末(174 万 6433 人)~2020年6月末(288万5904人)の約18年間で在留外国人数は100万人以上増加している。 また、日本社会の価値観が多様化する中で、今後ますます、条例で外国人の投票資格を認める自治体が増えることが予想される。 では、住民投票条例で外国
学校で習う「日本史」のイメージは、いわゆる“暗記科目”の一つではないでしょうか。そこで、『歴史をなぜ学ぶのか』を上梓した東大教授・本郷和人氏は、高校で使う日本史の教科書を執筆する際に「物語性」を重要視したといいます。歴史を学ぶ上で意識したい、歴史と物語の違いとは一体何でしょうか。 歴史、とりわけ日本史というと読者の皆さんはどんなイメージを持たれているでしょうか。学生時代に「鳴くよウグイス平安京」「いい国作ろう鎌倉幕府」とか、語呂合わせで暗記させられた方が大半なのではないかなと思います。 日本史という教科はあまり面白くないという声は少なくありません。そんな方の多くは、学生の頃に暗記ばかりさせられてつまらなかったという体験が記憶に刻み込まれているのではないかと、私は推察しています。 というのも、私自身、高校で使う日本史の教科書を作る経験をしたことがありました。少なからず、当時の教科書に不満を持
大和朝廷の土地開発にちなんだ地名は、現在も残り、私たちの生活の近くに存在する。奈良時代、地名の由来は当時の律令制度に基づくものが多かった。制度の進化とともに、地名も変わり、そしてまた発展していった。ここでは古代に生まれた地名の由来とその紐づく律令制度について紹介していく。 古代の部曲が律令制の戸籍 律令の人頭税に用いられ把握 物部守屋 奈良天理市あたりが本拠。蘇我馬子との丁未の戦以降、力を失う。「物部」がもののふとなり武力を表す。伴造の下に品部が置かれ、居住した先に同じ物部となり地名に残った。(国文学研究資料館蔵) ヤマト王権による統一国家が目指されていたのは、3世紀中頃あるいは4世紀に始まる古墳時代からである。王権と協調関係を保ってきた地方豪族たちは、王権から国造に任じられたものの、半独立状態を維持していた。これが飛鳥(あすか)時代になると、律令(りつりょう)制のもと、律令国として中央か
今まで4回に分けて山県信敬 著『少年満洲事変と上海事変』(昭和11年刊)の内容を紹介してきたが、今回はその最終回で、著者が当時の主要国の外交姿勢について述べている部分を紹介したい。この本は青少年を対象に書かれている本であり非常に読みやすく、かつ分かりやすく、内容についても今の高校生の教科書などよりもはるかに具体的でレベルも高い。戦前の平均的な日本人が世界情勢についてどう捉えていたかを知るうえで参考になるのではないだろうか。 アメリカの外交政策について 本書の第十四章に当時の主要国の動きが記されている。最初にアメリカについて著者はこう解説している。 世界の各国はいずれも、ただ自分の国家の保全ということだけしか考えないで、そのためにいわゆる弱肉強食といったようなことさえ平気でなして来たのでありました。 内にはあり余る資源を有して、それを充分に活用せず門戸を閉じてしまって、他国の容喙など少しも許
2021年は、『罪と罰』などで知られるロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの生誕200年にあたる。なぜ世界中でドストエフスキーは読み継がれているのか。日本におけるドストエフスキー研究の第一人者、ロシア文学者の亀山郁夫氏に聞いた。 亀山 郁夫 KAMEYAMA Ikuo ロシア文学者。名古屋外国語大学学長。世田谷文学館館長。1949年、栃木県生まれ。2002年に『磔のロシア―スターリンと芸術家たち』で大佛次郎賞、2007年に翻訳『カラマーゾフの兄弟』で毎日出版文化賞特別賞、プーシキン賞を受賞。2012年に『謎解き『悪霊』』で読売文学賞受賞。ドストエフスキーの新訳では、他に『地下室の記録』『罪と罰』『悪霊』『白痴』がある。2015年に、自身初となる小説『新カラマーゾフの兄弟』を刊行。2021年には「ドストエフスキーの星」勲章受章。 世界的な盛り上がりを見せる生誕200年イベント ―2021
お探しのページは、削除されたか、または現在利用できない可能性があります。 アドレスが間違っていないか、もう一度お確かめください。 トップページに戻る
敗戦の混乱時、日本人女性が味わった性暴力の悲劇 現実社会に「表」と「裏」があるように、過去の時代にも「表」と「裏」があります。私たちが生きた同時代についての記述すらそうだから、100年前、500年前ともなればなおさらでしょう。その当時に生きた人が、歴史の教科書を読めば、仰天するかもしれない。「これは一体どこの国の話だ」と。 「一級史料があるから確実だ」などと言っても、その史料が時代の全体を語るわけではありません。最近になって、少しずつ敗戦時の旧満州や北朝鮮での「性接待」の話が語られるようになってきました。 平成25年4月、昼神温泉などで知られる長野県阿智村に全国で初めての「満蒙開拓平和記念館」ができました。戦前からの国策として満州や内蒙古に送り込まれた満蒙開拓団の史実を、風化させることなく後世に伝える拠点として、作られたものです。 開館以来、かつての開拓団の実像を伝える数々の資料を展示する
周囲から凡庸だと思われていた信長の次男 織田信雄は、信長の次男である。だから、本能寺の変(1582)で、父・信長と兄・信忠が自害した後、本来なら織田家の当主となり、父の天下統一事業を引き継ぐ立場にあった。ところが、羽柴(豊臣)秀吉の策略によって、織田家の当主は、清洲(愛知県清須市)会議であっけなく信忠の嫡男・三法師(まだ3歳の幼児)に決まってしまった。 ただ、信雄が当主になれなかったのは、ある意味、仕方がない。なぜなら、彼は凡庸だと思われていたからだ。 実際、清洲会議では織田家の重鎮・柴田勝家が三男・信孝を後継者に推したのに、信雄を押す重臣は誰もいなかった。信雄の低評価を決定づけたのは、信長が亡くなる3年前の天正7年(1579)のことだった。 当時、伊勢国南部(三重県)を支配していた信雄は、父に無断で隣国・伊賀(三重県西部)へ攻め込んで大敗を喫し、激怒した信長から激しい折檻状せっかんじょう
バンクシーは、奴隷商人の彫像を引き倒して罪に問われている人々を支援するため、Tシャツを販売するという。 奴隷商人といえば、文禄・慶長の役で朝鮮人が日本に連行され、奴隷として売買されたことをご存じだろうか? ■文禄・慶長の役の悲劇 文禄・慶長の役(1592~93、1597~98)において、多くの朝鮮人が日本に連れ去られ、売買された。 それらの経緯を確認しよう。なお、以下、日本に連行された朝鮮人奴隷を朝鮮人被虜人という。 鄭希得が記した『月峯海上録』には、自身が日本軍に拉致された状況だけでなく、朝鮮人被虜人の様子が詳細に記述されている。 同書は最初『萬死録』という題だったが、希得の曾孫・徳林が刊行に際して『月峯海上録』と改題した。 内容の一部には、増補・竄入された箇所があると指摘されているので、以下の記述については、そのような箇所を除くこととする。 ■捕らえられた希得 慶長2年(1597)9月
2021年は、1861年に江戸幕府とプロイセンの間に修好通商条約が締結されてから160周年となる。日本の近代化にはプロイセン、そしてドイツの果たした役割が大きい。医学や法学、軍事など幅広い分野でドイツからお雇い外国人を招くなど、日独の人的交流が近代日本の形成に多大な影響を与えた。160周年を機に、この日本とドイツの特別な関係について概観する。 ベルリンで起きた日本人の「胴上げ」 1914年7月28日、オーストリア=ハンガリー帝国(以下、オーストリア)がサラエボ事件(6月に起きたオーストリア皇太子暗殺事件)に抗議してセルビアに宣戦布告、ロシアがセルビアの支援に回ると、今度はドイツが8月1日にロシアに宣戦布告してオーストリア側に立った。 第一次世界大戦初期のこの緊迫した状況下、ドイツの首都ベルリンでは奇妙な出来事が起きていた。日本人が街頭で群衆に囲まれ、歓喜の輪の中で「胴上げ」されたというのだ
太平洋戦争は「不決断」と「空気」によって始まった~猪瀬直樹が問う「12月8日」とコロナ危機 活かされない組織、好都合なデータ操作、リーダー不在……意思決定の欠陥は続いている 石川智也 朝日新聞記者 “the Point of No Return”とは、燃料残量から計算して離陸地に戻れなくなる限界点のことを指す航空用語だ。おそらく私たちの人生にも、そして国家にも、それを超えてしまったらもう引き返すことはできない、という地点がある。 それなら80年前、日本はどこでその帰還不能点を超えてしまったのか、だれがその決断をしたのか、当時でさえ多くの者が「勝てるはずがない」と考えた大国との戦争への道をなぜ進んだのか――。そう問うてみても、答えは判然としない。 主戦派の東条英機や陸軍に親米英派が押し切られた、という通俗史観に対し、新史料の収集や生き証人への聞き込み、数字の分析によって挑んできたのが作家の猪
満州事変についてのGHQ焚書の9割はネット公開されていない 本のタイトルから判断して満州事変に関する本は30点がGHQによって焚書処分されているのだが、そのうち「国立国会図書館デジタルコレクション」でネット公開されているのは3点のみで、9割がデジタルデータ化されていながらネット非公開である。 国立国会図書館のホームページには、著作権保護期間満了が確認された書籍はネット公開されるルールになっており、 「公開調査により著作者の著作権保護期間満了であることが確認できた場合は、著作権保護期間満了としてインターネット公開を行います。著作権保護期間内であり、著作権者のご連絡先が判明した場合、利用に関して許諾依頼を行い、許諾が得られましたら、インターネット公開を行います。」 「著作権状況が不明又は著作権保護期間内であり、著作権者の連絡先が分からないもの(いわゆる「孤児著作物(orphan works)」
なぜ日本は「除名」「経済制裁」を受けなかったのか? 戦前の日本史について「なぜ日本はあの戦争を避けられなかったのか」というテーマで調べていると、満州国の建国を国際連盟が認めなかった、という話が必ず出てきます。 関東軍が「暴走」して作ってしまった満州国。これが侵略と言えるかどうかが当時の国際連盟で議論され、その結果、連盟は満州国での中国の主権を認めて日本を非難する「非難勧告」を決議しました。 歴史の教科書では、この「非難勧告」を受けて頭に来た日本全権団が、席を立ち椅子を蹴って、「国際連盟から脱退する!」と宣言してその場を後にした……みたいなニュアンスのことが書かれています。 しかしそれが本当なら日本は国際連盟から脱退して、国際社会で孤立して、西欧諸国と対立していたはずです。それなのにその後、経済制裁も何も受けていません。この時本当は一体何があったのでしょうか? 日本と国際社会の関係は、悪化し
(藤原 修平:在韓ジャーナリスト) 爽快な一冊と言うほかはない。『帰属財産研究』(李大根著、文藝春秋、2021年10月発行)は、それまで視界を遮っていた濃霧がすっかり消えたような読後感だった。 終戦により朝鮮半島から引き揚げた日本人が現地に残した莫大な「帰属財産」は、その後、十分に生かされなかった。これまで誰も語ろうとしなかったその真実を、沈着冷静に剣を振り下ろすかのような鋭利な分析力で明快に解き明かしている。 韓国で暮らしているとそんなことは小耳にも挟まない。それどころか、「私たちは解放後、本当に貧しかった」という話が、神話のように延々と語り継がれ、だから日本支配が悪かったんだ、と言うのだ。 潤沢だったはずの日本資産 著者の歴史学者、李大根(イ・デグン)が本書に取り掛かろうとしたのは、韓国戦後史のこうした固定観念に対して疑問を抱いたからだ。まずこの著書では、日本の台湾・朝鮮統治の特殊性が
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く