タグ

学校文法に関するs_locarnoのブックマーク (3)

  • 国語教育相談室:「誰だって落ち込むことはある」の主語・述語 - kimilab journal

    「国語教育相談室」と書いてみましたが、新たにそんなコーナーを始めるというわけではありません。「国語教育相談室」みたいなものが必要ですね、という話です。 先日、教育に関わられている方より、中学校で出題された文法問題について、質問を受けました。 「次の各文の主語と述語を書き抜きなさい」という指示のもと示された複数の文の中に以下のような文があったのだが、この文の主語と述語は何になるのかを教えてほしい、ということでした。 誰だって落ち込むことはある。 文法教育においては、「学校文法」というちょっと特殊な文法の存在を考慮しなくてはいけなかったり、そもそも、私自身が、文法のことをよくわかっていないので、専門家にお聞きすることにしました。 今回、ご相談したのは、文法教育史の専門家・名古屋女子大学の勘米良佑太先生と、文法史の専門家・大阪教育大学の清田朗裕先生です。 国語教育と日語学(国語学)、バランスよ

    国語教育相談室:「誰だって落ち込むことはある」の主語・述語 - kimilab journal
    s_locarno
    s_locarno 2021/07/10
    ]このような状況なのに「文法は正解があるから教えやすい」という意見を一定数見聞する。そして、「正しく教えること」が強調されやすいのは、入試での出題や古典文法との接続のこともあり、なかなか根深い。
  • 第2回「教科教育史研究会」のおしらせ - めらブログ

    熱い宣伝です。(何 来たる3月28日(日)、自分が主催のひとりである「教科教育史研究会」の第2回研究会(Zoom使用)があります。 sites.google.com 発表者はわたしです。「なぜ、いま、文法教育史なのか?」というタイトルで、国語教育史(とくになぜ学校文法の教育史)を、なぜ論じる必要があるかについてお話しする予定です。また研究のモデルケースとして、自分の博論の内容もすこしお話しする予定です。 ものすごくかいつまんでいうと、わたしはいまの文法教育の問題(暗記主義的な指導法になってしまうとか、言語活動と結びついていないとか)は、橋文法のせいではなく、学校における国文法指導がもっている構造的な問題だと考えています。それは、橋以前にも「暗記でない文法」「他の領域に関連する(=実用的な)文法」の必要性を主張する声が多くあったからです。しかしそれらの取り組みは、また別のさまざまな困難を

    第2回「教科教育史研究会」のおしらせ - めらブログ
  • 学校文法の課題 - めらブログ

    なんだかでかすぎるタイトルですが。笑 論点整理(というかブログ執筆の練習)もかねてまとめたいと思います。この件についてくわしい方には「何をいまさら」と言われそうな話ですが……。 いまの中学校国語科で教えられている文法体系、いわゆる学校文法*1には、大きく以下の3つの課題があります。 【課題1】他の領域とのつながりが不明瞭 学校文法ではたとえば「未然・連用・終止・連体・仮定・命令」といった「活用形」を教えます(場合によっては暗記します)。このような文法教育が、子どもの「書くこと」「読むこと」あるいは「話すこと・聞くこと」にどう生きるのかはよくわかっていません。たとえば子どもの作文には、主述のねじれ、だらだら文(主語と述語が離れすぎる文)、修飾語と被修飾語の非対応、といった文法上の課題が表れます。このような課題を緩和するために、「未然、連用……」といった事項を教えることがどう役立つかは不明瞭で

    学校文法の課題 - めらブログ
  • 1