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ブックマーク / fujipon.hatenadiary.com (22)

  • 突然、僕は殺人犯にされた ☆☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    突然、僕は殺人犯にされた  ?ネット中傷被害を受けた10年間 作者: スマイリーキクチ出版社/メーカー: 竹書房発売日: 2011/03/22メディア: 単行購入: 4人 クリック: 202回この商品を含むブログ (22件) を見る 内容紹介 お笑い芸人のスマイリーキクチが、ネット上で10年間に渡り受け続けた誹謗中傷の全貌について綴った単行。 インターネットの巨大掲示板“2ちゃんねる”などで、「足立区で実際に起きた残虐な殺人事件の犯人だ」といった誹謗中傷を受け続けたスマイリーキクチ。 その誹謗中傷は10年間続き、デマを信じたネットユーザーから、自身のブログなどに殺害予告の書き込みもされるなど、事態は悪化する一方だった。 対応に悩むスマイリーキクチは警察に相談。 09年2月と3月には悪質な書き込みをしていた18人が名誉毀損等の罪で書類送検され、話題を呼んだ。 この10年に渡る誹謗中傷がど

    突然、僕は殺人犯にされた ☆☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
    setofuumi
    setofuumi 2011/04/14
  • ウェブはバカと暇人のもの ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

    ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書) 作者: 中川淳一郎出版社/メーカー: 光文社発売日: 2009/04/17メディア: 新書購入: 35人 クリック: 977回この商品を含むブログ (218件) を見る 内容(「BOOK」データベースより) 著者はニュースサイトの編集者をやっている関係で、ネット漬けの日々を送っているが、とにかくネットが気持ち悪い。そこで他人を「死ね」「ゴミ」「クズ」と罵倒しまくる人も気持ち悪いし、「通報しますた」と揚げ足取りばかりする人も気持ち悪いし、アイドルの他愛もないブログが「絶賛キャーキャーコメント」で埋まるのも気持ち悪いし、ミクシィの「今日のランチはカルボナーラ」みたいなどうでもいい書き込みも気持ち悪い。うんざりだ。―書では、「頭の良い人」ではなく、「普通の人」「バカ」がインターネットをどう利用しているのか?リアルな現実を、現場の視点から描写する。 これ

    ウェブはバカと暇人のもの ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
    setofuumi
    setofuumi 2009/06/16
  • 「でも、これ実話?」 - 琥珀色の戯言

    ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話*ホームページを作る人のネタ帳 ↑のエントリと、このエントリへの「はてなブックマークでの反応」について。 僕はAmazonもリアル書店も頻繁に利用するのですが、確かにどちらも一長一短あり、という感じです。 ただ、地方都市在住者としては、最近の「中規模書店」での文芸書の壊滅っぷりには愕然とするばかりなのですけど。 「ジュンク堂書店」の田口さんが書かれているように、ジュンク堂などの大型書店では、「棚」というのは担当者の「作品」なのですが、地方の一般的な「屋さん」では、すでに「個性を発揮しようが無い」状態なわけで。 ちょっと「気持ち悪い」と思われるかもしれませんが、僕にとって、リアル書店に行く最大の理由は「好きなものに物理的に囲まれることができる」からなんですよね。そして、「世の中にはが好きな人がこんなにたくさんいるのか」

    「でも、これ実話?」 - 琥珀色の戯言
    setofuumi
    setofuumi 2008/02/27
    おおむね頷けるが、虚実への反応を引き合いに出すなら「アサヒる」なんかも引き合いに出すといいんではないかな。
  • 「兄の人生の物語」と「ある個人史の終焉」 - 琥珀色の戯言

    まさか「兄の人生の物語」をリアルだと思って読む人がそんなにいようとは - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記 発端は、この『兄の人生の物語 - ロハスで父が死にました』というエントリなのですけど、僕自身は、このエントリを読んで、なんというか、すごくもぞもぞとした感触、短くまとめてしまえば「やるせなさ」とか「居心地の悪さ」しか感じられなかったんですよね。いや、これをリアルな話として捕らえた場合、最後の一文に「感動」するのって僕にはとても難しい。この話の後に続くのは、なんらかの「破綻」であることは目に見えているのだから。 僕がこれを読みながらずっと考えていたことって、「自分の子どもがこういう感じだったら、はたして愛せるだろうか?」とか、「こういう人に自分の恋人がレイプされたりしたら、いったいその悔しさはどこにぶつければいいのか?」ということでした。正直、どこに、何にそんなに「感動」できるのかよく

    「兄の人生の物語」と「ある個人史の終焉」 - 琥珀色の戯言
  • 結局、マスコミには勝てないんじゃないかな、と思う。 - 琥珀色の戯言

    ネットで事件報道について何か素人が言いたいなら「後出し」ぐらいでちょうどいい(by 「愛・蔵太の少し調べて書く日記(9/8)) ↑のエントリを読みながらあらためて考えたのですけど、ネットでどんなに大勢の人たちが「ネット批判」をしても、結局それは「ある種のチェック機構になる」くらいが限界で、マスコミに致命的なダメージを与え、変革させるのは不可能なのではないでしょうか。 「ネットバトラー」は、すでに、負けている!(by 「活字中毒R。」) ↑の齋藤由多加さんの話をぜひ読んでいただきたいのですが、マスコミの記事に対する批判っていうのは、所詮「相手が作った土俵の上で勝負している」ようなものなんですよね。相手がニュースを発信してくれなければ、批判することもできないわけだから。 受け取った側の私たちが「ここを直してください」「ここはちょっと合意できない」などと、徹底的に修正を入れたところで、ベースとな

    結局、マスコミには勝てないんじゃないかな、と思う。 - 琥珀色の戯言
    setofuumi
    setofuumi 2007/11/07
    ここらへん見てると村上龍の「希望の国のエクソダス」を思い出す。
  • 琥珀色の戯言 - WEB上の「さまよう悪意」

    毒吐き注意。(by 「31才オンナの音(4/2)」) ↑の文章を読んで、僕はなんだかいたたまれない気持ちになってしまいました。「インターネットでは、見ず知らずの今まで接点が無かったような人たちとも繋がることができる」というのが、日でインターネットが爆発的に普及していった時期のスローガンだったのですよね。でも、今になって考えると、「今まで接点が無かった人」との「繋がり」は、必ずしもメリットばかりをもたらすわけではありません。僕の実体験からは、むしろ、マイナス面の方が大きいのではないかと思うくらいです。 基的に、こうやってネット上に「日記」や「ブログ」を(「会員制、とかではなく)公開している以上、「誰に読まれても文句は言えない」と僕は考えています。もちろんそれは、「誰にどんなことを言われても文句は言えない」と同義ではありません。僕はときどき言及してくれたところに言い返したりしますし、リン

    琥珀色の戯言 - WEB上の「さまよう悪意」
    setofuumi
    setofuumi 2007/04/05
    彼(女)の目に映っている他者は人間ではなくメディアである、といったような話。
  • それは「社会に対する責務」なのか? - 琥珀色の戯言

    http://invisible.at.webry.info/200701/article_9.html 僕自身は、この件に関して「そんなのいちいち『結果』をアナウンスする必要なんてない」と思います。いや、小学生とかが「どうなったのか知りたーい」とか言って騒いでいるのなら理解できなくもないのですが(でも、僕の子供だったら叱り飛ばします)、こういうのって、「アナウンスしないというのが、ひとつの答え」なのでしょうしね。正直、そういう状況で「亡くなっていた」ということから僕が想像する死因というのは、「自殺」とか「事件に巻き込まれた」というものですし、もしそうであるならば、今の日の社会からすれば、家族の今後の人生のことを考えると、それを大声でアピールすることにメリットは全くなさそうです。もし仮に自殺だとしたら、こういう「社会に対する責務」とか言う人って、「勝手に自殺したのに、みんなに探させるなん

    それは「社会に対する責務」なのか? - 琥珀色の戯言
    setofuumi
    setofuumi 2007/01/15
    「社会」というフレーズの影に潜むものについて
  • 琥珀色の戯言 - どうしてブログで「怒り」を表明するのか?

    http://invisible.at.webry.info/200701/article_3.html 非常に耳に痛い話。 どうしてブログで「怒り」を表明するのか?について書く前に、まず、「人はなぜ怒るのか?」について考えてみます。 (1)自分が直接被害を受けて、抑えきれない怒りの情念が湧いてきたから。 たとえば、自分や家族が犯罪の被害にあったりした場合は、そりゃ「怒る」と思います。あんまり説明する必要はないでしょう。 (2)自分や家族が直接被害を受けたわけではないけれど、自分や家族も同じ被害に遭うことが容易に想像できる場合。 子供に対する性犯罪や無差別殺人(オウム事件や池田小事件など)は、これにあたります。被害者の立場に自分を置き換えて、あるいは、同じような状況に自分が置かれることを想像して怒るわけです。これはときに過剰な思い入れを生んでしまうことがありますが、ある意味「人間らしい怒り

    琥珀色の戯言 - どうしてブログで「怒り」を表明するのか?
    setofuumi
    setofuumi 2007/01/05
     >僕たちが「正義」を語れるのは、あくまでも「相手が黙殺してくれるという前提」のものでしかありません。
  • 銚子電鉄と「死ぬ死ぬ詐欺」 - 琥珀色の戯言

    http://www.narinari.com/Nd/2006116745.html 僕もこの記事を読んで、「ぬれ煎買ってあげなくちゃ!」と固く決心しました。がんばれ銚子電鉄! ……しかし、しばらくして、ふと気がついたのですが、人間というのは矛盾した生き物であり、ネットというのは不思議な傾向を持つ空間ではありますよね。 先日、海外での移植希望の子供たちに対する「死ぬ死ぬ詐欺バッシング」が巻き起こったのに、今度は「銚子電鉄を救うために、みんなで協力しよう!」という呼びかけが。もちろん、その両方を同じ人がやっているわけではないのでしょうけど、「人間の子供」の危機に対しては、援助に懐疑的だった人々の中にも、「たぶん自分は利用することはないであろう鉄道会社の危機(しかも、その要因は前社長の横領であり、社員は無実でも、会社としては自業自得だとも言えます)」に対して同情している人が少なくないような気

    銚子電鉄と「死ぬ死ぬ詐欺」 - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 - ららら科学の子-だから「はてな」は嫌われる?

    はてなが敬遠される3つの特徴〜つながりやすさの行き着く先(「忘却防止」11/10) http://d.hatena.ne.jp/hatayasan/20061110/p1 ↑の文章を読んで、なるほどなあ、と思うところがたくさんありました。だから「はてな」は嫌われるのか、と。 ちょっと古いですが、僕は以前、 「はてなダイアリー」というコミュニティ http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20060228#p2 というのを書いたのですけど、この「琥珀色の戯言」アクセス解析などを見てみると、はてなアンテナ、キーワードリンク、ブックマークなど、とにかく「はてな内からのアクセス」が多いのです。ただ、これは「はてな村が閉鎖的だから」なのか、「はてな」どうしが繋がりやすいシステムになっているから」なのかと言われると、たぶん後者だと思うのです。もし「はてな」どうしが繋がりにくいようなシ

    琥珀色の戯言 - ららら科学の子-だから「はてな」は嫌われる?
    setofuumi
    setofuumi 2006/11/12
    見える見えない
  • 「客であること」をふりかざす人々 - 琥珀色の戯言

    ボードゲームサークルの運営について(by 卓上遊戯創造館別館(11/8)) http://d.hatena.ne.jp/stelmos/20061108#1162993420 ↑のエントリを読みながら考えたのだけれど、こういうのって、ある集団が大きくなっていく過程において、必ず出てくる問題なのでしょうね。僕にとって身近な例で言えば、この「インターネット」というやつだって、大昔の「パソコン通信」の時代には、「パソ通をやっている人間」というだけでお互いに「同好の士としての仲間意識」みたいなものがあったのだけれども、いまや「インターネットをやっている人」だからといって、お互いに親近感を抱いたりはしませんし。まあ、「ヘビーブロガー」同士とかなら、多少はそういう連帯感みたいなものも生まれやすいのかもしれませんが。 考えてみれば、個人サイトとかブログなんていうのは、まさに「無料のサークル」みたいなもの

    「客であること」をふりかざす人々 - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 - 小説の「価値」は

    岩見隆夫のサンデー時評(8/29)「まるで日全体がビョーキみたい」 http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/sunday/news/20060829org00m010025000c.html 岩見さんが書かれている内容に関しては、僕にも頷けるところはあるんです。でも、この文章全体を読んでいて感じるのは、「この人は、が、文学が好きじゃないんだな」ということでした。そもそも、あんまり小説読んでないんじゃないのかなあ。 ところで、今回は同じ賞でも芥川賞のことを書く。二年前の春、第百三十回を受賞したのは二十歳の金原ひとみさんだ。作品の『蛇にピアス』を読んでみて、私はびっくりした。一体、これが文学かと。 内容の意外性がうけたのか、単行は百万部近い大ベストセラーになったが、私は当コラム(三〇五回)で、 〈文体は達者でリズムがあり、読まされてしまう。が、

    琥珀色の戯言 - 小説の「価値」は
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    setofuumi 2006/09/29
    正論
  • 加藤紘一アレルギー - 琥珀色の戯言

    はじめにはっきりさせておきますが、僕は加藤議員が発言することそのものに問題があるとは思いませんし、加藤議員の発言に対して暴力や放火で封じ込めようとするような行為には、強い憤りを感じています。 「参拝に反対する理由って、当はもっとあるのでしょう?」(invisible-runner(8/16)) http://invisible.at.webry.info/200608/article_32.html ↑の文章を僕は頷きながら読ませていただきました。 ところで、昨日からのメディアでの加藤議員の発言に対して、なぜか僕はいちいちカチンカチンときていたのです。自分でも、「なんで僕はこんなに加藤議員が嫌いなんだろう?」と悩みつつ。 それで、一晩たってようやくわかったんですが、加藤議員というのは、小泉首相を批判するときに、いちいち「政治家というものは〜」「政治家として〜」というような「政治家縛り」を

    加藤紘一アレルギー - 琥珀色の戯言
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    setofuumi 2006/08/16
    後半同意/それはそうと本文中に自分がひっかかる表現が多用されてて鼻白んだ
  • 奈良・3人焼死事件に思う - 琥珀色の戯言

    京都新聞の記事より。 奈良県田原町の医師(47)宅が全焼し、母子3人が死亡した火災で、奈良県警捜査一課は22日、放火と殺人の疑いで高校1年の長男(16)を逮捕した。 長男は調べに対し「1階の階段付近に火を付けて、そのまま逃げた」「死んでもいいと思った」と犯行を認めた上で、動機の一部として「成績のことで父親に言われた」と供述。犯行当日に保護者会が予定されていたことも気になっていたという。また「3人には取り返しのつかないことをして当にすまなく思っている」と反省の言葉も漏らしている。 長男は父と同じ医師を目指し、関西で有数の進学校に通学。奈良県警は長男の身柄を、取り押さえられた京都市から田原署に移すとともに、同署に50人態勢の捜査部を設置、動機や火災後の足取りなどを調べる。 調べでは、長男は20日午前5時15分ごろ、田原町の自宅に放火、2階で寝ていた医師の(38)、小学2年の二男(7

    奈良・3人焼死事件に思う - 琥珀色の戯言
  • インターネットと年齢と匿名性 - 琥珀色の戯言

    http://www.neats.org/の#177 僕は当に子供が苦手で、というのも、僕自身が子供を子供扱いできず、さりとてうまく子供のプライドを満たせるほどの包容力も持っていないからなのです。基的に、僕は自分がいけすかない子供だったという自戒があるので、子供が純粋なんて全然思わないのですよ。そして、大人ももちろん嫌いなので、小さな大人である子どもも嫌い、ただそれだけ。 ネットというのは、その「匿名性」から、昔は「年齢の壁」を超越できるツールだと僕を含めたみんなが期待していたのだけれども、長年この世界にいると、全然そんなことはなくて、結局のところ、意見そのものの善し悪しよりも「じゃあ、お前は何者なのだ?」ということを問われることばかりのような気がしています。考えてみれば、ネット上のプロフィールなんて、自分でちゃんとした形で公開している人意外は、すべて「自称」でしかないのですけどね。そ

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    setofuumi 2006/06/19
  • 「読み取れない読者が悪い」 - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/otsune/20060618/bookmarkismisunderstood 確かに、それが「誠実な姿勢」なのだと僕も思います。 ただ、ずっとサイトをやっていて感じるのは、「すべての読者が、真摯に読み取ろうとしてくれているわけではない」ということなのですよね。 いや、僕は基的にネガティブな人間なので、現実でも何か問題が起こるたびに「自分が悪かったのでは…」と考えがちですし、そういう「自責の念」ってやつが、時間とともに増してくることが多くて辛いことが多いのです。10年前くらいまでは、とくにそういう傾向が強かった。 でも、大人になって少し生きるのがラクになったのは、「他人のせいにする決心」ができるようになったからなんですよ。なんでも「自分のせい」にするのって、ある意味思考停止でもありますし、第三者的にみれば、なんでも「それは私のせいだから!」って

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    setofuumi 2006/06/19
  • 「論理的」が嫌いな理由 - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/chanm/20060602/1149213119 「論理的」って書けばなんでも正しく聞こえるなんて思っているのだとすれば、それは傲慢かつ愚かですよ。あなたは「論理」という言葉の意味を当にご存知なのですか? というような文章を、大昔に書いたことがあります。いや、これは自省すべきことでもあるのですけど、僕はこの「論理的」という言葉と、それを億面もなく使う人が嫌いです。 多くの人が、「論理的」の対義語は「感情的」だと思っているのではないかと僕は想像しているのですが、当に「論理的」と「感情的」というのは、対極にあるものなのでしょうか? 僕は「論理」というものの多くは、人々の「感情」の集積によって成り立っているものだと僕は考えているのです。 ところで、この「論理的」って言葉を使う人って、率直に言うと「わかってない」人が多いんですよね。 偉そうなことば

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    setofuumi
    setofuumi 2006/06/04
    真っ当。
  • 琥珀色の戯言 - 「コミュニケーション」をとりたくなるブログと「はてなブックマーク」

    http://mizunohosi.jugem.jp/?eid=159 「どんなブログとコミュニケーションをとりたくなりますか?」と問われたとき、僕にとっての答えはけっこうシンプルなものだ。 「これを書いている人と友達(あるいは知り合い)になりたい、というブログ」 どんなに立派なことや正しいことを書いていたとしても、書いている人そのものが好きになれそうになかったら、積極的にコミュニケーションを取ろうという気にはなれないのだ。 というか、「正しいこと」を全面的に押し出してきて、周りを焼け野原にしてしまってまで「オレは正しい!」と言うような人は、できれば敬遠したい。僕は別に、あなたに洗脳されるためにブログをやっているわけではないのだ。 それではあなたは、どんな人と「友達」になりたいの? そんなふうに問われたら、それはそれで考え込んでしまうものなのだけれども。 では、ちょっと具体的に条件を挙げて

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    setofuumi
    setofuumi 2006/05/18
    やばいリストが半分くらい逆だ/下の方は同感
  • 「はてな」の言論統制 - 琥珀色の戯言

    http://d.hatena.ne.jp/kgoutsu/20060504#p4 正直、↑のエントリを読んだときの第一印象は、「そんな被害妄想チックな…」というもので、そのうち「はてなのルーツはユダヤ人だった!」とか、「はてなを支配しているのはフリーメーソンだった!」なんていう話がどこからか湧き出てくるのではないかと心配になってきたのです。 実際に「はてな」でけっこう長い間(というか、βテストからのつきあいです)書いている僕自身には、「既得権益」なんて全然無いし、「言論統制」も感じたことはないのですが。 でも実は、こういう発想って、僕もサイトを始めた5年くらい前の時期には、間違いなく持っていたような記憶があるんですよね。更新しても更新してもほとんど誰も来てくれない閑古鳥サイトを運営していた僕にとっては、当時の「中堅〜大手サイト」というのは、みんな「既得権益を持っている人々」に見えたもので

    「はてな」の言論統制 - 琥珀色の戯言
  • 琥珀色の戯言 - 「空気が読めない人」

    「嫌われている証拠を見せて」 http://aozora.sub.jp/diary/rnote.php?u=diary/2006/03/20050306_1442.htm 「空気の続き」 http://aozora.sub.jp/diary/rnote.php?u=diary/2006/03/20050308_1515.htm 「子連れは邪魔?」 http://kasumination.blog50.fc2.com/blog-entry-13.html 僕は「空気が読めない人」というのが大嫌いなのですけど、この3つの文章を読んでいて、それが誤りだったということにようやく気がつきました。そう、僕が嫌いだったのは、当は「空気が読めない人」じゃなかったのですよね。 逆に「当に空気が読めない人」に対しては、全然腹なんて立ちません。例えば、お葬式で3歳くらいの子どもが異様な雰囲気に耐え切れずには

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