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評に関するsinyaposのブックマーク (9)

  • ハライチ ”ツッコミ”を棄てた関東M-1新世代が生み出す「面の笑い」とは?|日刊サイゾー

    関西出身ではない人が漫才ネタを作る場合には、ひとつの大きな壁がある。それは、ツッコミの嘘臭さをどのように克服するか、ということだ。 いわゆる「ボケとツッコミ」は、関西の文化である。関西人の日常会話では、相手のボケに対してツッコミを返すのが自然であり、その関係性は疑うまでもない。だから、関西芸人は、ボケとツッコミの関係性を軸にしてそのまま漫才を組み立てていけばいいのだ。 だが、非関西芸人の場合にはそうはいかない。関西出身ではない人間にとって、「ツッコミ」とは基的に白々しく、嘘臭いものだ。関西弁の「なんでやねん」は自然だが、標準語の「なんでだよ」「おかしいだろ」はかなり非日常的な言い回しである。非関西圏では、笑いは「ボケ」で完結される。ボケて笑って、それでおしまい。ツッコミを待つようなボケもなく、ボケにぴったり合うようなツッコミもない。 だから、非関西芸人が漫才を演じるにあたっては、ツッコミ

    ハライチ ”ツッコミ”を棄てた関東M-1新世代が生み出す「面の笑い」とは?|日刊サイゾー
    sinyapos
    sinyapos 2009/12/29
    ハライチ面白かったけど、そんなに新しいとは思わなかったなあ/ボケがツッコミを翻弄するという、コント55号やさまぁ~ず、バナナマンに見られる関東お笑いの典型かと
  • 大根仁のページ : サンジャポ - ライブドアブログ

    サンジャポは好きなんだが、たまにノイズがキツすぎて観てられず同じTBSのラジオ(安住のやつ)に替えてしまう。ここ最近ノリP夫・押尾関連は特にキツいのでそのパターンが多い。今日はさらにスタジオゲストが、おちまさと・安西ひろこだったのですぐにラジオに替えようかと思ったのだがその酷さにちょっと見入ってしまった。いやあキツい、あの2人。ノリP夫・押尾レベルの「負のオーラ」をビンビン感じた。「とうにピークは過ぎているのに、ワケのわからんヤツらからのワケのわからんそもそもの業以外の仕事で(ここがポイント)いまだに分不相応な金を稼いでやがるオーラ」だ。ちょっと目が離せないくらい酷かった。日曜日の午前中からあれはキツい。押尾事件への、おちまさとのコメント「僕も六木ヒルズに住んでて、あと宮古島にも家があるんですけど、迷惑してるんですよ、ヒルズの中は当に穏やかでアットホームで〜」には年甲斐なく久々に

    sinyapos
    sinyapos 2009/08/24
    ごめん、やっぱり異論あるわ。そのワケの分からなさが芸能界の中核だろ/大根仁にしても、何故ここまでの地位まで登り詰めたのかを俺達が説明してあげなきゃ、素人にはワケが分からず売れた人として映ってる訳ですよ
  • 「 26 時間テレビ」島田紳助の不可解を象徴したラストカット - テレビの土踏まず

    最後の最後になにやってんの? 「 26 時間テレビ」はけっこうおもしろく見ました。 と共に、島田紳助に関する自分の感情の整理がある程度つきました。 「あのな、言うとくぞ」「正直」「マジで」 紳助はこういう接頭語をよく使います。みなさんもぼくもたまに使います。 自分の話に説得力を持たせるためのマジックワードですよね。 それはまるで「打ち明け話」のような。その話の内容に、あたかも重大な価値があるかのような。 大風呂敷を広げる。さらにはその話者たる自分を大きく見せようとする。 島田紳助のトークにはそんな傾向がめっぽうあることが見てとれました。 あらかじめ未来を予測しているかのような物言いに興じます。 もしもその試みが結果的に成功した場合「ほらみたことか自分の予見通りだぜ」って自慢できるわけです。 で、これが肝心なのですが、たとえ失敗したとしても、「その理由を冷静に分析するオレって頭イイ!」という

    「 26 時間テレビ」島田紳助の不可解を象徴したラストカット - テレビの土踏まず
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    sinyapos 2009/07/27
    さんま自らBIG3に終止符を打った昨年とTo be continuedな今年とも言える<id:Sugaya/今年は意地でも冷たい反応で見てやろうという、ネット上の団結(怪気炎)が怖かった。奴らの方が十分宗教臭いし<id:nouzem15
  • はんにゃ アイドル人気を裏打ちする「喜劇人としての身体能力」

    笑いには、大きく分けて2つの種類がある。動きで見せる「視覚的な笑い」と、しゃべりで聞かせる「聴覚的な笑い」だ。近年のテレビバラエティ界では、「聴覚的な笑い」の方が価値の高いものとされてきた。ビートたけし、島田紳助、松人志といったお笑い史を彩る巨人たちはいずれも、1人でしゃべって自己完結的に笑いを取ることのできる話芸の達人だった。 「聴覚的な笑い」がテレビで求められてきた理由は、そちらの方が元手がかからないからだ。明石家さんまや島田紳助を司会に配置すれば、それだけでそこそこ盛り上がる番組を作ることができる。動きの笑いを見せるコント番組を作るには、舞台装置、脚、役者などを用意するための金と手間が余計にかかる。制作費削減が求められる昨今のテレビ界で、しゃべり芸がもてはやされてきたのは当然のことだろう。 また、松人志が著書の中で「発想力重視の笑いこそがいちばん高度な笑いである」という主張を大

    はんにゃ アイドル人気を裏打ちする「喜劇人としての身体能力」
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    sinyapos 2009/05/08
    「視覚的な笑い」を極めた先にいるのが、今や有吉に「クソすべり芸人」のレッテルを貼られたワッキーだしな・・・/「ワッキー(金田)、良い子なのにね」(By中澤裕子)
  • 鳥居みゆきドッキリと家族の話 - テレビの土踏まず

    「ブログの更新」以上に人生でたいせつなものを挙げるとするならば、「一生遊んで暮らせるだけのお金」を除外して考えると、たったひとつしかありません。「家族」です。「一生遊んで暮らせるだけのお金」と「家族」さえなんとかなれば「ブログの更新」なんてほっぽらかしやで。 たとえばなにかバターン! とただごとならぬ物音が階下からしてなんぞと様子を見に行ったところ母親が泡吹いて倒れていてこりゃ一大事だと思いながらも自分の胸に手を当てて「いや、母さん、そんなことより今はね、はてなを更新しなきゃならんのです! 偉い人にはそれがわからんのです! スターを、はてなスターを稼がなきゃ…! しかしグリーンスターやレッドスターなどと欲はかきません。ノーマルスターでも構わない。いや、しかし、あわよくばブルースター!!」という思考回路になるようでは単なるひょっとこゲベロッチョ野郎であります。それほど家族は大事だよってことで

    鳥居みゆきドッキリと家族の話 - テレビの土踏まず
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    sinyapos 2009/04/20
    キャラ芸人の素を晒そうとした所で、客がその素の部分に興味無いんですが(笑)/ロンハーのドッキリは、やらせ云々の次元を越しているから面白い、と一応フォローもしてみる
  • 麦芽・小出真保のモノマネは黒い?

    2009年03月30日放送の「伊集院光 深夜の馬鹿力」にて、「細かすぎて伝わらないモノマネ」に出演し、優香のモノマネでも有名な麦芽・小出真保について語られていた(ちなみに小出は、JUNK番組のADである中山と交際中でもお馴染み)。 話の発端は、「大沢あかねやベッキーが、バラエティでみせる芸人へのパスを行うことで見せるしたり顔に、違和感を覚える」というトークを行っていたときのこと。そのことに関連して、「小出真保は、そう言う点で敏感だと思う」と語り出した。 「小出真保のモノマネは、必ず黒いところが入っている。優香のモノマネですら、少し(黒さが)入っているし、小林麻耶に至っては、薄皮一枚で真っ黒じゃん」と語っていた。そして、「細かすぎて伝わらないモノマネ14」に出演していた時のことを以下のように語っていた。 「ベッキーのモノマネをしていて、そのセリフが『VTRが詰め込みすぎ!』と制作サイドにダメ

    麦芽・小出真保のモノマネは黒い?
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    sinyapos 2009/04/03
    小出真保は、黒くなるギリギリで留まっているからこそ面白い訳で/それでも人は黒い方向を求めがちなんですかね、有吉さん然り
  • 2009-03-10 - 死んだ目でダブルピース

    前回のエントリーでは、東京芸人の大阪での奮闘ぶりを紹介したけれど、今回はその逆で、かつてダウンタウンが、東京でどのように戦ってきたかという話。 1989年秋、ダウンタウンは大阪のレギュラー番組をすべて終了させ、東京に移住した。 当時、二人は26歳。すでにフジテレビで『夢で逢えたら』『笑っていいとも』などのレギュラー番組を持っていたが、当時のスタッフはダウンタウンの持ち味を生かしきれず、単独での人気は今ひとつ伸び悩んでいた。 自分たちの笑いをスタッフにすら理解されず、「松ちゃん、もっとハジけないとダメだよ」などという失礼な言葉を投げかけられたこともあった。 松人志はのちのインタビューで、こう語っている。 「今とは大阪のタレントの受け入れられ方も全然違いますからね。『あ、関西の人なんだ(標準語のイントネーションで)』ってひいた部分はありましたよ。」*1 今では信じられないことだが、この時期、

    2009-03-10 - 死んだ目でダブルピース
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    sinyapos 2009/03/12
    これを物凄く品の無い言い方で例えたら「大阪から来た犬が、東京にあるそこら中の電信柱におしっこひっかけ回ってた」って事ですよね/いや、原始的なやり方で成功した2人は凄いなとは思うけれどもさあ
  • 結婚会見に垣間見た芸人・劇団ひとりの「フェイクとリアル」

    ベストセラー小説『陰日向に咲く』は映画にもなり、テレビでもますます活躍の場を広げている人気芸人・劇団ひとり。いまや彼の名前を知らない人はいない。だが、「劇団ひとり」という固有名詞が一人歩きするにつれて、彼が「劇団」を名乗っていることの意味は少しずつ忘れられているような気がする。 もともとひとりは、その卓越した人間観察眼と演技力で、人間の情けない部分を丹念に描く1人コントを得意としていた。彼の作風の特徴は、キャラクターを演じる際に、何らかの具体的な人物像を外部から模倣するのではなく、人物の内面に入り込み、それをそのまま生きることによってコントを成立させる、ということだ。 例えば、『都会のナポレオン』『都会のシェイクスピア』という2のDVDでは、ひとりが何人かの決まった役柄を演じるショートコントとともに、それらのキャラクターが日常生活をどのように送っているのかを密着取材したという設定のフェイ

    結婚会見に垣間見た芸人・劇団ひとりの「フェイクとリアル」
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    sinyapos 2009/02/23
    だが、嫁の大沢あかねの強かさには負けるw彼女こそ、フェイクとリアルを使い分けている達人ではないだろうか
  • 中山ヒデ的なもの - MCATM IN THE BLOG

    そうそう、おもいっきりテレビが、みのから中山ヒデに交代するって話を受けてですねー、僕はみのは嫌だが、中山ヒデは支持する、というステートメントを発表したいと思っているわけなんです。 中山ヒデって、ダウンタウン的な価値観の中でオミットされた芸能人の中でも、最大の悪玉のように感じる事があり、当然僕なんかも森脇健児なんかと同列にして、「なんかこいつの『芸』は嫌だ」とか、もっと言えばこんなものは芸でもなんでもないと思っていたわけなんですが*1、最近考えるに、この人の持っている「なんでもなさ」っていうのは、少なくとも希少価値はあるな、と思えてきたわけです。 例えば大勢のタレントを相手に切り盛りするタイプのバラエティ番組なんかと比べて、ちょっと腰を据えた形でのトーク番組等では、その「なんでもなさ」、もっと言うと、芸能人を相手にしたときの「一般人とは違う独特の感じ」を希釈する媒体としての中山ヒデ、には価値

    中山ヒデ的なもの - MCATM IN THE BLOG
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    sinyapos 2009/01/26
    リアル”ロード”<なんでもないような事が幸せだったと思う
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