ペトロニウスさんの最新記事がすごくおもしろかった。失礼して、長めに引用させてもらいます。 僕がいつも語る「永遠の日常」という概念の「日常」も、海燕さんと同じ意味です。日常を、必ずしも現実のリアルなもの、という意味では使っていません。それでは、リアリズム(=写実主義)になってしまいます。言葉的にはストレートに日常というよりは、「日常的なるもの」とか言い分けた方がいいのかもしれません。 日常とは、「時間は経ったとしても、変わらずにそこにあるもの」「そこに変化しないであることで、人の心に安心感を与えるもの」という意味で使用しています。 考えてみるとこれは、ヨーロッパ病の中で生まれたヨーロッパ映画のモチーフと同じなのかもしれません。フランス映画は、女性を、恋愛を描き続けます。 それはなぜか?。 既に200年近く構造的な不況が続くヨーロッパ大陸では、成長という輝かしさはすでに信じられなくなった久しい
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