生前の西部邁(にしべ・すすむ)。東京大教授を自ら辞めて評論家活動に転じ、保守の思想家として知られた。評論家の西部邁氏の自死から4年になる。たいへんに寒い1月21日であった。その2、3年ほど前から、きたるべき自らの死をことあるごとに口にされていたが、意志強固な西部氏にして、そこまで自分を追い込まなければ自裁に至るのは容易ならざることだったのであろう。死というものについては、そのはるか以前から口にされており、私自身もそれを聞いていた。死にいたる覚悟そのものは相当前から確固としたものであった。 その「覚悟」が確たるものであったと言えるのは、自死への道ゆきが実に論理的だったからである。 京都大名誉教授の佐伯啓思氏=平成31年4月17日、京都市左京区(永田直也撮影)論理的な理由はふたつある。ひとつは次のようなものである。多くの場合、現代人は病院で死を迎える。しかも、ほとんど体力も気力も喪失した中で、