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天皇訪中に関するtsurishinobuのブックマーク (9)

  • 外務省文書が公開、マスコミも親中暴走 「激しい怒り」石平氏

    天皇として訪中された上皇さま。当時の江沢民総書記(右)とも懇談された=1992年10月、北京の釣魚台迎賓館(共同) 日中関係をめぐり、31年を経て公開された「外交文書」で、国益を無視したような外務省の〝暴走〟が、現在にも禍根を残していることが明らかになった。1992年10月の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫)のご訪中実現へ外務省は水面下で前のめりな工作を行い、「天安門事件」で孤立した中国の国際社会への〝復帰〟への足掛かりとなった。だが、期待された民主化は実現せず、覇権主義を強めて軍事力を巨大化し、沖縄県・尖閣諸島周辺海域への侵入など「反日暴挙」を繰り返している。当時の宮沢喜一政権と同じ宏池会出身の岸田文雄政権は、対中融和姿勢が招いた負の歴史を繰り返すのか。 ◇ 「意図的に天皇訪中をぶち壊そうとしているとしか考えられない」「プレス・キャンペーンを続けるつもりなら、助けることはできない」 機密指

    外務省文書が公開、マスコミも親中暴走 「激しい怒り」石平氏
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/31
    小泉首相や安倍首相以前の自民党は親中、媚中が幅を利かせてきた。当時の官僚がいかに政治、外交を誤らせたか、石平氏ならずとも強い怒りを覚えて当然だ。尖閣問題を「雑音」と言った小和田次官は許しがたい。
  • 中国の「領海法」対応か天皇訪中交渉か、首相だった宮沢喜一氏が半年間しゅん巡

    【読売新聞】 1992年2月に中国が尖閣諸島(沖縄県)を自国領とする「領海法」を定めた際、外務省が天皇訪中交渉を優先するため、政治問題化を回避するよう動いていたことが20日に公開された外交文書で明らかになった。自民党内の反発を受け苦

    中国の「領海法」対応か天皇訪中交渉か、首相だった宮沢喜一氏が半年間しゅん巡
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/21
    小原凡司氏「今顧みれば、日本政府は権威主義国家の中国を見誤っていた」。この一言に尽きる。当時、勝共連合は天皇訪中は政治利用だとして反対していた。自民と癒着していたという反統一教会勢力のウソは明らか。
  • 中国の92年「領海法」制定時、日本政府が抑制的対応…尖閣領海侵入常態化の根拠に

    【読売新聞】 1992年2月に中国が尖閣諸島(沖縄県)を自国領とする「領海法」を制定した際、日政府が政治問題化させないよう抑制的に対応していたことが、20日に公開された外交文書で明らかになった。中国は近年、同法に基づき尖閣周辺で中

    中国の92年「領海法」制定時、日本政府が抑制的対応…尖閣領海侵入常態化の根拠に
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/21
    さすが外務省の工作で中曽根康弘氏がナベツネに助言し、天皇訪中実現に一役買った新聞だ。訪中は良かったと識者に言わせている。領海法による尖閣編入宣言を軽く見たことが禍根を残した。責任は重大だ。
  • 「総理がぐらぐらしている」初の“天皇中国訪問”の内幕 ”極秘”の外交文書公開 | NHK政治マガジン

    中国交正常化から20年後の1992年10月。 当時天皇だった上皇さまが初めて中国を訪問された。 実現に至るまでには、紆余曲折があった。 12月20日に公開された外交文書には、当時の宮沢総理大臣が尖閣問題への対応と訪中実現の間で揺れ動く姿が記されていた。 (加藤雄一郎) NHKプラスでも配信しています。 ニュースウオッチ9 12/20(水)放送【12/27(水) 午後10:00 まで】 初の“天皇中国訪問” 1992年10月23日、当時天皇皇后だった上皇ご夫が初めて中国を訪問された。 中国は鄧小平氏が来日した1978年以来、繰り返し訪問を要請していた。 特に1989年の天安門事件で国際社会から厳しい目が注がれ、西側から制裁が科される中、突破口にしたい思惑があったとされる。

    「総理がぐらぐらしている」初の“天皇中国訪問”の内幕 ”極秘”の外交文書公開 | NHK政治マガジン
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/21
    小和田外務次官は尖閣問題、賠償問題を「雑音」と言った。万死に値する媚中派だ。国賊! 中国が領海法で尖閣を自国領土とした以上、天皇訪中はあり得ない。「尖閣を日本領と認めたら考える」と言うべきだった。
  • 天皇訪中反対の産経 当時の清原武彦編集局長「政治利用、禍根残した」 外交文書公開

    インタビューに応じる清原武彦氏=東京都千代田区(松井英幸撮影)外務省が20日に公開した外交文書では、平成4(1992)年10月の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫)の中国ご訪問実現に向け、同省がマスコミ工作を必死に行っていた実態が明らかになった。特にターゲットになったのが、マスコミの中でほぼ唯一、訪中への懸念や反対を表明していた産経新聞だった。 当時、産経新聞の編集局長だった清原武彦現特別顧問(86)が外務省の谷野作太郎アジア局長(当時)の来訪を受けたのは4年7月3日だった。 外交文書によると、清原氏は谷野氏に対し「自分が接した限りでは、自民党内、評論家・有識者、財界いずれも非常に慎重論が多いという印象であった。特に、財界に慎重論が多く、自分が外務大臣他外務省関係者と会うという時には、『はっきりと慎重たるべしということを伝えてほしい』とよく言われる」と述べた。その上で「件のような重大な問題に

    天皇訪中反対の産経 当時の清原武彦編集局長「政治利用、禍根残した」 外交文書公開
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/21
    まさに天皇の政治利用だった。尖閣諸島問題の棚上げはとりわけ罪が深い。当時、勝共連合は天皇訪中に反対していたと記憶する。自民党と癒着なんぞしていなかった証拠だ。
  • 外交文書公開 「産経スクープは完全な臆測」 天皇ご訪中めぐり外務省は虚偽の応答

    万里の長城を見学される上皇ご夫=1992年10月、北京市の八達嶺(共同)平成4年10月23日~28日の天皇、皇后両陛下(現在の上皇ご夫)のご訪中について、外務省は発表直前まで具体的時期を秘匿し、政府内で「検討中」と説明する方針をとった。国内外で反対論が起こるのを避けるためで、機微な情報を含む報道は、内容が正しくても否定していたことが分かった。 公開された外交文書によると、中国要人が前年から日政府に再三要請していた天皇、皇后両陛下のご訪中について、日政府が10月後半で実施する前提で具体的な日程を中国側に示したのは4年1月4日。訪中した渡辺美智雄副総理兼外相が銭其琛外相との会談で伝えた。 このときのやりとりを記録した「極秘」文書によると、渡辺氏は「10月22日から27日、5泊6日」の日程を示し、「皇室には各種行事も多くこの日程はいろいろと調整を経たものであり変更は困難」と説明。「極秘裏

    外交文書公開 「産経スクープは完全な臆測」 天皇ご訪中めぐり外務省は虚偽の応答
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/21
    媚中外務省の罪は重い。
  • 外交文書公開 「中国はナキを入れ始めた」天皇ご訪中めぐり駐中国大使が報告

    会談を前に握手する江沢民・中国共産党総書記(左)と宮沢喜一首相=1992年4月、東京・元赤坂の迎賓館平成4(1992)年10月の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫)のご訪中に向けた日中両政府の交渉過程で、中国側が「取りやめとなれば、日中関係は挫折する」と警告し、「江沢民総書記らの政治生命がかかっている」と哀願していたことが、20日公開の外交文書で分かった。中国側は両陛下のご訪中の目的について「友好促進のみだ」と説明していたが、江氏らの権力基盤強化のために「政治利用」する側面があったことがうかがえる。 「もし訪中が中止となれば中国側は非常に困る」 「極秘」「限定配布」と書かれた平成4年4月17日付の文書によると、中国外交部の徐敦信副部長(外務次官)は、16日に会談した橋恕駐中国大使にこう話した。

    外交文書公開 「中国はナキを入れ始めた」天皇ご訪中めぐり駐中国大使が報告
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/21
    駐中国大使が日本の国益のためでなく、中国の手足となって動いている。どうしようもない媚中外交だ。
  • 外交文書公開 「宮沢は度胸ない」天皇陛下ご訪中をめぐり渡辺美智雄外相が首相に不満

    1992年4月、宮沢喜一首相が橋恕駐中国大使に「対中工作はぜひやってほしい」との指示を記した外交文書平成4(1992)年10月の天皇・皇后両陛下(現在の上皇ご夫)のご訪中について宮沢喜一首相が逡巡したことに対し、当時の外務省が懸念を抱いていたことが20日公開の外交文書で分かった。両陛下のご訪中をめぐっては自民党内の慎重論・反対論も根強く、宮沢氏は4月の時点で党や世論が割れた中でのご訪中は見送る考えを示していた。 アジア局長「総理がぐらぐらし始めているらしい」 大臣「困ったものだ。件は自分は総理とも直接打ち合わせながら進めている話だ」

    外交文書公開 「宮沢は度胸ない」天皇陛下ご訪中をめぐり渡辺美智雄外相が首相に不満
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/21
    渡辺美智雄外相は親中派だったことが明確になった。
  • 平成4年の天皇ご訪中に外務省がマスコミ工作 「反対か賛成か」共同通信社長に詰め寄る

    外務省は20日、平成4(1992)年の外交文書(計17冊、6518ページ)を公開した。天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫)の同年10月のご訪中の実現に向け、報道の影響を懸念した外務省が、水面下で展開していたマスコミ工作の実態が明らかになった。当時の駐中国大使が共同通信社の報道を問題視し、同社社長に「社として、天皇訪中に反対なのか賛成なのか」と直接詰め寄った場面の記録もあった。 外務省は大多数の国民が賛同する中での両陛下のご訪中を目指し、自民党役員らへの根回しを含む党・国会対策とともに、マスコミ対策を重視した。 当時の小和田恒事務次官は2月13日の幹部会議で「訪中前に国内プレスの報道が否定的な状況になれば、行けなくなることもあり得るので、報道対策を事前にしっかりと考えておくべき」と発言。小和田氏が翌14日、加藤紘一官房長官に説明を行った際の資料は「件は国内的にデリケートな問題(右翼と左翼の動き

    平成4年の天皇ご訪中に外務省がマスコミ工作 「反対か賛成か」共同通信社長に詰め寄る
    tsurishinobu
    tsurishinobu 2023/12/21
    外務省の圧力に屈した共同。とはいえ、共同は左派・反日の立場から訪中するなら謝罪、賠償せよと論陣を張っていたようで、これまた論外だ。産経は気骨あるところを示した。
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