タグ

文芸と*あとで読むに関するtxmx5のブックマーク (12)

  • 映画メモ・2020 小西康陽 | memorandom.tokyo

    ちょうど一年前、東急Bunkamuraのル・シネマで新年早々に行われたオリヴィエ・アサイヤス監督の特集上映が満席で大混雑していたことを、この鑑賞リストをながめながら思い出す。去年の正月、東京に住む人はまだ誰も新型コロナ・ウィルスのことで騒いだりしていなかったはずだ。中国の武漢という都市が新しい疫病で封鎖されている、という報道を知ったのはいつだったか。2月に早稲田松竹でジャ・ジャンクー監督の『帰れない二人』という映画を観たとき、チャオ・タオという女優が演じるヒロインが列車の中で、これから武漢に向かう、と話すのを観て、それ、いま話題の街じゃないか、と思ったが、そのときは物語を追うのに夢中ですぐに忘れてしまった。いや、その前日、ラピュタ阿佐ヶ谷のモーニング・ショーで桑野みゆき主演の『明日をつくる少女』を観に行ったとき、寒いので膝掛けを借りようと上映前にスタッフの女性に声を掛けたら、新型コロナ・ウ

    映画メモ・2020 小西康陽 | memorandom.tokyo
  • 【寄稿】現在のアメリカ社会を考える:池田年穂氏|慶應義塾大学出版会 Keio University Press

    黒人男性のジョージ・フロイド氏が警察官に首を押さえつけられて亡くなった後、人種差別に抗議するデモが、Black Lives Matter 運動(BLM 運動)としてアメリカ全土で拡大を見せており、終息が見えない事態となっている。 そのような状況のもと、アメリカであらためて注目を集めている書籍がある。アフリカアメリカ人作家、タナハシ・コーツ著の『世界と僕のあいだに』(原題:Between the World and Me)だ。この作品は2015年発売以来アメリカ国内で大きな話題を呼び、これをきっかけにコーツはアフリカ系を代表する作家の一人となった。 ここでは、『世界と僕のあいだに』の日語版訳者である 池田年穂氏に、タナハシ・コーツの作品を通じて見えてくる現代のアメリカ社会について、ご寄稿いただいた。 タナハシ・コーツ Ta-Nehisi Coates (13 July 2015) by

    【寄稿】現在のアメリカ社会を考える:池田年穂氏|慶應義塾大学出版会 Keio University Press
  • Street ReView #7「前衛」のミーム—『孤独のグルメ』と「路上観察」 | M.E.A.R.L.

    映画や書籍など様々な作品を通じて得た「町」や「まちづくり」に関する着想をレビューする企画。第7回目は、現代美術家/ラッパーの中島晴矢による、久住昌之と谷口ジローによる漫画『孤独のグルメ』について。 Text:Haruya NAKAJIMA Edit:Shun TAKEDA 駅を出て街を歩き、顧客との打ち合わせを済ませると腹が減っている。空腹を抱えながら付近を駆け足で彷徨って、自身の腹具合と直感を頼りに一期一会の飯屋へと誘われると、過剰な思考をモノローグで晒しながらたらふく飯をらい、満腹感と共に帰路につく。 たったそれだけのことなのだが、そこには豊潤な物語が詰まっている——————『孤独のグルメ』である。1994年から連載された久住昌之原作・谷口ジロー作画のこの漫画は、松重豊主演のドラマ化によるリバイバルもあり、長く読まれ/見られている作品だ。 孤から見出される都市の風景 最大の見所は

  • 死にかけた世界を歩く | レビュー | Book Bang -ブックバン-

    「まずは飲み屋に行きましょう」。開口一番にリン・ディンは言った。一五〇万人都市・川崎市の玄関口である川崎駅改札前は、平日の昼間にもかかわらずごった返している。彼と親しい仲介者が送ってくれたメールには、「リンはこんな感じの中肉中背のおじさんです」という愛のあるコメントと共にプロフィール写真が添付されていたものの、待ち合わせ場所で人混みの中から見つけ出すのに手間取ってしまった。一九六三年、ベトナムのサイゴンで生まれ、戦火を逃れるために十一歳でアメリカに渡った後、様々な仕事と並行して詩や小説を書いてきたディンは、二冊目の邦訳書の宣伝ではるばるやってきたこの国の群衆に、それぐらい溶け込んでいたのだ。そして、今日はどんなところに行きたいですか? と訊くと、彼は親しみやすい笑顔で、冒頭の─観光客というよりは地元民のような言葉を口にした。 リン・ディンの著作『アメリカ死にかけ物語』は、ブログ「Postc

    死にかけた世界を歩く | レビュー | Book Bang -ブックバン-
  • 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 「文藝評論家」小川榮太郎氏の全著作を読んでおれは泣いた | 高橋源一郎 | Webでも考える人 | 新潮社

    9月21日・金曜日の夜、「新潮」編集部から電話がかかってきた。おかしいな、と思った。今月は締め切りがないはずなんだが。イヤな予感がした。おれは、少しの間ためらった後、電話に出た。案の定だ。「新潮45」問題について書いてくれ、というのである。確かに、おれは、その問題についてツイッター上で少しだけ発言をした。それだけだ。面倒くさいし、何のためにもならない。一晩考えさせてくれ、といっておれは電話を切った。でも、おれは引き受けることになるだろう、と思った。「面倒くさくて何のためにもならないことは引き受けろ」は、高橋家の家訓なのである。 書くことを引き受けてすぐ、「新潮45」の休刊が決まった。この問題については、考えなければならないことが多すぎる。休刊の是非、雑誌や出版社、あるいは著者のあるべき姿、休刊の直接的な原因となったであろう小川榮太郎氏の論文の問題点、当該特集号の各投稿それぞれが抱えている異

  • 『春と修羅』から見えてくるシン・ゴジラの核心

    日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。 そのシーンを振り返ろう。東京湾を無人で漂流するプレジャーボートに海上保安庁の職員が乗り込んでいく。その職員が撮影しているビデオカメラの映像が映し出されているという体裁だ(上図)。船の名は「GLORY MARU」。揃えて置かれたが残されており、テーブルの上には折鶴と詩集『春と修羅』が置かれている。船内の様子を映した数秒後、撮影している職員の悲鳴と衝撃とともに映像は途切れる――。 映像を途切れさせた衝撃は、ゴジラ出現のそれであること。そして、消えた船の主が、ゴジラ誕生に深い関わりがある元城南大学統合生物学教授の牧悟郎氏であること。物語が進行していく中で、この冒頭の映

    『春と修羅』から見えてくるシン・ゴジラの核心
  • 文豪の朗読コラム一覧 - カルチャー:朝日新聞デジタル

    【文豪の朗読とは】 日の文豪たちが自らの作品を朗読した音源を朝日新聞が所蔵しています。1960年代に雑誌「朝日ソノラマ」などに付属するソノシート用に録音されました。朝日新聞デジタルでは録音の一部を紹介すると共に、聴いた識者による作品の魅力を交えた解説をお届けします。

    文豪の朗読コラム一覧 - カルチャー:朝日新聞デジタル
  • 【文芸時評】「火花」が決めた芥川賞の「価値」 早稲田大学教授・石原千秋(1/3ページ)

    芥川賞の受賞が決まり記念撮影に応じる又吉直樹さん=16日午後、東京都千代田区の帝国ホテル(鴨川一也撮影) ■文芸各誌8月号を読んで 芥川賞受賞作が羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」と又吉直樹「火花」に決まった。まずはめでたいと言っておきたい。又吉直樹「火花」に話題が集中した。このことについては「芥川賞の『価値』とは何か」(「iRONNA」「石原千秋」で検索できる)に書いたが、要点はこうだ。 芥川賞とは器にすぎないが、それは時代を映す鏡なのだから「該当なし」は許されない。芥川賞の「価値」はこれまでの受賞作が作り上げてきたもので、「火花」はそうした歴史に組み込まれただけである。だから、受賞が決まった瞬間から「火花」の評価は「火花」の問題ではなく芥川賞の問題となる。芥川賞が「火花」の価値を保証するのではなく、「火花」が芥川賞の「価値」を決めるのだと。 僕の評価はこうだ。 昨秋、新国立劇場でデ

    【文芸時評】「火花」が決めた芥川賞の「価値」 早稲田大学教授・石原千秋(1/3ページ)
  • 東浩紀氏の警告;「日本の文芸界が、旧態依然としたものに逆戻りしようとしている」

    東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 予想どおり非難も大勢やってきたのだが、そのすべては僕が低姿勢じゃないとかみっともないとかいうもので、内容に関係ないものだった。僕の人格はいいから、思想地図βと切手の内容を比較してほしいと思います。1冊作るのに、どちらが労力を使っているか。頭を使っているか。 2010-12-17 09:37:35 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma 前々から呟いているけど、ぼくはとにかくデビュー以来「東くんは人格で損してるよー」とか言われ続けてきた男で、その意図は結局文壇なり論壇なりのルールにあわせ、年長者と業界関係者を無条件に敬えってこと。ぼくはもともとそれができないから脱落したので、ツイッターでも変わりません。 2010-12-17 09:39:50

    東浩紀氏の警告;「日本の文芸界が、旧態依然としたものに逆戻りしようとしている」
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • 『明治の表象空間』 松浦寿輝 | 新潮社

    いろはの「い」から ――『明治の表象空間』は、A5判・七〇〇ページ超と、松浦さんの中で最も長大なとなりました。「新潮」連載は二〇〇六―一〇年の五年間(全五十回)でしたが、構想はいつごろからあったのでしょうか。 松浦 一九九五年に『エッフェル塔試論』と『折口信夫論』を出しました。別々の出版社から刊行した二冊なのですが、たしか見が出来てくるのがほんの一日違いだったのを覚えています。意図したわけではなくまったくの偶然ですが、ほぼ完全な同時刊行ということになりました。この二冊は、一方は十九世紀フランス文化史、他方は日の歌人・民俗学者の言説分析と、まったく異なる主題を扱っています。両者を目の前に置いて、さて、ではこの二つの異質な仕事の間にどういうかたちで橋を架けたらいいのか、といったことは当然、考えますよね。そういうこともこのの構想の端緒にあったような気がします。 それから、それとはちょっと

    『明治の表象空間』 松浦寿輝 | 新潮社
  • 図像学というアリバイ―坪内祐三と加藤典洋/浅田彰

    大学闘争の渦中で山口昌男を読み、「イデオロギー」の時代から「イコノロジー」の時代への転換を予感した――高山宏がかつてそんなことを言っていた。イコノロジー? いや、イコノグラフィーと言っておけば十分だ。いずれにせよ、危険な政治からは身を引き、無害な図像学ごっこで楽しもう、というわけである。 さて、その山口昌男の弟子筋にあたる坪内祐三の『靖国』が文庫化された(新潮文庫)。靖国神社をイデオロギー的に裁断するのではなく、図像学的なものも含めたさまざまな資料から多角的に見直してみる。そうすると、軍国主義のイデオロギー装置としての性格を強化される前――少なくとも明治末年ぐらいまでは、靖国神社もいわば遊園地のように楽しい場所だったこと、そういう記憶はいまもどこかに残っていることがわかる。そのような記憶の襞を丁寧に解きほぐしていくことではじめて、イデオロギー的な裁断の届かない庶民の心情の奥底にまで分け入る

  • 1