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ブックマーク / blog.tinect.jp (247)

  • テレワークだと、新人の「分からない」を拾い上げるのがかなり難しい、という話。

    テレワーク体制での新人教育で苦労している話をします。 3月からこっち、コロナ禍で仕事をする体制になって半年以上が経ちましたが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。 運動不足になってないですか? 私はリングフィットアドベンチャーを購入出来たんですが、負荷を重くし過ぎて正直あんまり継続出来てないです。 緊急事態宣言が解除されてしばらく経ちましたが、未だコロナが収束したとはとても言えない状況です。 会社によって体制も様々なら企業人の皆様のスタンスも様々でしょうが、可能な限り対人の接触を減らさなくてはいけない状況が続いている、という点については衆目の一致するところではないでしょうか。 で、今しんざきが働いている会社でも、大筋テレワークが基となる体制が続いておりまして、やむを得ず出社せざるを得ないタイミングもあるとはいえ、基的にはリモート勤務主体でお仕事をしております。 で、リモート勤務体制でも、大

    テレワークだと、新人の「分からない」を拾い上げるのがかなり難しい、という話。
  • 「部下を育てる」ことを「部下の能力を上げる」ことだと勘違いしていた、という話

    この記事で書きたいことは、下記のようなことです。 ・「部下を育てる」ことは「部下の能力を引き上げること」だと勘違いしていた ・上司が部下に出来ることは、最大限上手くいっても「行動パターンのちょっとした変容」くらい ・けれどそれで、あんまり出来なかった人を出来る人っぽくムーブさせることは出来る ・もしかすると、「育てる」ってそういうことの積み重ねなのかも知れないなあ ・なんだかんだで「インフラ整備」以上に効率よく人の行動パターンを変容させられるものはない 以上です。よろしくお願いします。 *** さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、あとはざっくばらんに行きましょう。 「人材育成」というのは仕事においてものすごーーく大事な要素でして、もちろん色んな人が色んな言葉で語っていますし、もたくさん出ています。 何百人も部下を育てた人たちの言葉は大変説得力があって、私も感心することしきり

    「部下を育てる」ことを「部下の能力を上げる」ことだと勘違いしていた、という話
  • 「叩いて構わない奴は、とことん叩いていい社会」を、子どもたちは見て育つ。

    オンラインでもオフラインでもしばしば思うことがある。 今日の日社会では、ネットであれテレビであれ 「バッシングを公認されるような過失・落度のある相手は、どれだけ叩いても構わない。その際、相手がどうなるかは配慮しなくて構わない。それが社会だ と言いたくなる風景がしばしばみられる。 なにか不祥事や事故があったら、法的責任が問われるだけでは済むとは限らない。 その責任者は罵倒され、ときには土下座させられる。 法的責任を追求するのとは別に、“感情を納得させる”ために罵倒すること・土下座させることを正義とみなす空気が発生することもある。 もちろん、そうした罵倒や土下座に警察が口出しをすることはない。 最近になってようやく、マスメディアが苦言を呈するようになったぐらいだ(ただし、マスメディアが煽ることもまだある)。 罵倒や土下座強要は、被害届を受理するほどのものではないし、仮にそれで誰かがうつ病にな

    「叩いて構わない奴は、とことん叩いていい社会」を、子どもたちは見て育つ。
  • 「ブルシット・ジョブ」を読んで、多くの仕事は「低賃金でも重要」か「高給でもクソ」の2択なのだと知った。

    僕は若い頃から、ずっと疑問だったのです。 医療業界の給与体系って、おかしいのではないか、って。 僕が研修医、あるいは大学病院や市中病院の若手だったとき、アルバイト先の老健施設を持つ病院の院長に、「うちで働かない?」って声をかけられたことが何度かありました。 うちは給料もいいし、毎日の仕事は朝にサッと回診して書類仕事をするくらいで、だいたい午前中で終わるからラクだよ、って。 その場ではさすがに聞けなかったので、家で医療従事者用の就職サイトを検索してみると、たしかに、その病院から提示されていた給料は、朝から晩まで働き詰めで、休日も当直や緊急呼び出しで心身ともに疲弊していた僕がもらっていた給料よりも、ずっと高額だったのです。 いやしかし、あんなふうに、治すというより、高齢者をうまく軟着陸させるのが目的の病院で働くには、僕はちょっと若すぎるというか、医者としての向上心を失くしたくないしな、とかなん

    「ブルシット・ジョブ」を読んで、多くの仕事は「低賃金でも重要」か「高給でもクソ」の2択なのだと知った。
  • 世界一のコーチですら「素直じゃない人は放っておけばいい」と思っていた。

    最近読み直していて、結構なインパクトがあったがある。 元GoogleCEO、エリック・シュミットが書いた、「1兆ドルコーチ」だ。 「1兆ドルコーチ」とは、シリコンバレーで活躍したビル・キャンベルというコーチのこと。 何を大げさな、と思う方もいるだろうが、「1兆ドル」は決して大げさな表現ではない。 ビル・キャンベルは1兆ドルにも値するコーチだった。いや、1兆ドルは彼が生み出した価値に遠くおよばない。 彼はスティーブ・ジョブズがつぶれかけのアップルを立て直し、時価総額数千億ドルの会社にするのを助けた。ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、エリックがスタートアップだったグーグル(現アルファベット)を時価総額数千億ドルの企業にするのを助けた。これだけでも1兆ドルを大きく超えているが、ビルがアドバイスした企業はほかにも数知れない。 彼がコーチした人たちの名には、元アメリカ副大統領や、スタンフォード大

    世界一のコーチですら「素直じゃない人は放っておけばいい」と思っていた。
  • 「クリエイターがお金にこだわるなんて汚い」という、謎の意識は滅んでほしい。

    「お前の技術なんて大したことない」 「そんなこと誰にでも出来る」 って思わされて、結果的に作品や自分の技術を安く買いたたかれてしまっている人、多分目に見える範囲外でもたくさんいるんじゃないかなあ、と思ったんです。 定期的に話題に上がるテーマとして、「ハンドメイド作品の値切り問題」というものがあります。 ちょっと前の記事なんですが、例えばこういうお話があります。 「材料費100円とかでしょ」ハンドメイド作家に心無い値下げ要求 テレビ番組が材料費と販売価格の差が大きいと放送 この購入希望者は、1200円で販売予定のキーホルダーに対し「500円くらいとか無理ですか?」と指値を提示。その根拠は、「そんなに材料費とかかかってないと思うので」「材料費100円とか200円とかじゃないんですか?」というものだった。作家が、高い素材を使用していることや、繊細な作業が必要で加工に時間がかかることなどを丁寧に説

    「クリエイターがお金にこだわるなんて汚い」という、謎の意識は滅んでほしい。
  • 「言い切る人」が強すぎる。

    私はコンサルタントだった時、上司から 「コンサルタントは意思決定するな」と口を酸っぱくして言われた。 「特に人事。人事に関しては、意見表明もできる限り避けること」 とまで言われた。 例えば、「ウチの取締役、どう思う?」など、人の印象について聞いてくる経営者は少なくない。 確かに、結構怖い質問だ。 その一言が、どのように波及するかわからないのだから。 それに対しては 「社長のお考えを聞きたく」と言い、はぐらかせ、というのだ。 要するに、リスクヘッジである。 「それでも、意見を求められたら、どうしますか?」と質問すると、 「それを言える立場ではないと言いなさい」と指導された。 * しかし後日、一人の経営者に意見を求められた時のこと。 社長は「あいつのパフォーマンスについて、どう思う。」と私に尋ねた。 あー、答えちゃいけないやつだ、と思い、「社長のお考えを聞きたく」というと、 「意見を求められた

    「言い切る人」が強すぎる。
  • 天才プログラマーの「締切に対する考え方」に、感銘を受けた。

    わたしは、ビジネスノウハウが嫌いだ。大嫌いだ。 個人で効率化できる部分なんてかぎられているのに、「お前が努力すれば成果を出せる」的なのが気にわない。 それなら先に、ムダな会議を減らせって話だ。 ……というひねくれ者のわたしだが、とあるに出会って、自分でもちょっと戸惑うくらい感銘を受けてしまった。 どうやらわたしは今まで、”2流”のビジネス書しか知らなかったらしい。 Windows95の基礎をつくった天才プログラマーが語る、3つの仕事術 わたしが手に取ったのは、『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』というだ。 ふだんこういったはあまり読まないけど、kindle Unlimitedで読めるし、評価が高かったから、気まぐれでダウンロードしてみた。 著者は中島聡氏。 1960年北海道生まれ。早稲田大学高等学院、早稲田大学大学院理工学研究科修了。 高校時代からパソコン系雑誌『週刊アスキー』

    天才プログラマーの「締切に対する考え方」に、感銘を受けた。
  • 40歳で料理を始めてみたら「パソコンを起動できないおじさん」の気持ちがわかった件。

    自分の無知や弱点を晒すことは、学びを得る上で非常に重要なことです。 かつてソクラテスが言ったように、「自分が何を知らないか」ということを認識するのはどんな人にとっても大変困難なことでして、多くの場合他者との接触を通して「自分の無知」を認識する他ありません。 その意味で、「俺はこれについて何も知らない」ということを、我々はどんどんオープンにしていくべきなのです。 ということで恥を忍んで申し上げるのですが、しんざきは料理というものについて全く、さっぱり、完全無欠に知見がありません。 今までの40年程の人生料理というスキルに殆ど触れずに生きてきてしまいました。 いや、決して、私が「男子厨房に立たず」などという時代錯誤な主義を持っているわけではないのです。 厨房には立ちます。 皿も洗えばシンク掃除もするし生ごみの始末も排水口の掃除もします。 そこについては主張させてください。 ただ、しんざき家で

    40歳で料理を始めてみたら「パソコンを起動できないおじさん」の気持ちがわかった件。
  • コロナに乗じて町内会の属人業務を改善しまくった一人のおばあちゃんの話

    町内会のおばあちゃんの話をします。 しんざきは町内会というものに所属しています。 以前マンションの理事長に持ち回りで就任した時、セットで町内会にも所属することになりまして、それ以降なにやかやでちょくちょく顔を出すようになりました。 町内会の青年団というものに「青年」など一人も所属しておらず、40歳のおっさんである私がほぼ最年少だ、ということにショックを受けたりもしていました。 この年になって「十数人のグループで最若手」になる機会があるとか、思ってませんでしたよ正直。 この町内会に、いつも電動自転車で町内を軽快に走り回っている、一人の名物おばあちゃんがいます。 もう御年は80歳を何年か過ぎていらっしゃると思うんですが、一時期体調を崩しつつもおおむねお元気で、物凄く新しい知識に貪欲で、ITスキルについても全く抵抗感というものがなく、町内会で数々の業務改善を成し遂げてきた凄いおばあちゃんでして。

    コロナに乗じて町内会の属人業務を改善しまくった一人のおばあちゃんの話
  • 「健康は国民の義務」を描いたディストピアSF小説『ハーモニー』の話。

    新型コロナウイルス感染症がパンデミックとみなされるようになってからずっと、私は『ハーモニー』というSF小説のことを繰り返し思い出すようになった。 たぶん、『ハーモニー』を読んだことのある人はみんな、最近の世の流れから『ハーモニー』を連想せずにはいられないのではないかと思う。 そんなわけで、今日は『ハーモニー』の話をしてみたい。 パンデミック後の健康管理社会を描いたSF小説 『ハーモニー』はSF小説家の伊藤計劃が2008年に世に出した、パンデミック後の未来を描いた作品だ。 そこでは旧来の政府にかわって「生府」という組織が、健康や医療に重心を置いた施政を行っている。 「生府」は国民全員の体内にナノマシンを埋め込み、病気の兆候や不健康の兆候をたえずモニタリングしている。と同時に病気や不健康の兆候を見つけ次第、ナノマシンによって即座に治療をほどこす。 そうやって病気や不健康をすぐさま除去する『ハー

    「健康は国民の義務」を描いたディストピアSF小説『ハーモニー』の話。
  • 傑出したシェフの料理動画を見て「創作ロジック」に圧倒された。

    僕はかなりの重度のグルメ偏愛家なのだが、ずっと長い間解けない疑問があった。 それは「なぜ一部のプロは、傑出して美味しいものを作れるのか」である。 レシピが同じで、使う材も同じ。 それでも料理というのは明らかに”その人の味”になる。 味に個性がでる程度ならまだしも、”旨さ”そのものが根的に次元の異なるものになる事すらある。 これは誠に非科学的な話である。 これは長らく”センス”の一言で片付けられてきた。 おそらく調理工程中の細かい事が蓄積していった結果ではあるとは思うのだが、その細かい事がウヤムヤしてて、具体的に何がどう違うというのがわからない。 が、今回、ようやくその秘訣を解き明かす機会を手に入れたので、今回はその話をしようと思う。 触りだけ簡単にいうと、トッププロの料理は一貫性がハンパないのである。 新型コロナウイルスの影響で、シャレにならないコンテンツがインターネット上に爆誕した

    傑出したシェフの料理動画を見て「創作ロジック」に圧倒された。
  • 急にリモートワークが始まった時起きる、キツい変化を目の当たりにしている。

    皆さんこんにちは、しんざきです。 最近は自宅にこもって子どもたちとアナログゲーム三昧をしたり、イース9をクリアして感動してたりしました。 イース9めっちゃ面白かったです。 ところでしんざきは、仕事で中間管理職的なことをしています。 皆さんご存知の通り、社会は色々とエラいことになっていまして、私の職場にも先々週くらいからその波が押し寄せてきました。 具体的に言うと出社を原則的には避けることになり、ほぼ社員全員が在宅勤務をする形になりました。 取り敢えず大急ぎでwebミーティングやチャットアプリの整備が行われて、各人自宅で最低限の連絡は出来る体制になりました。 あまり細かいことは書けないんですが、諸事情でリモート環境の整備具合にかなりのムラがあり、リモートでもそれ程困らずに仕事が出来る人と、何をすればいいんだ状態になっている人がいます。 まだなかなか、「全員が会社と同じ仕事をリモートで出来るよ

    急にリモートワークが始まった時起きる、キツい変化を目の当たりにしている。
  • 「仕事で成長」って、本当に必要ですか?

    何か月か前の話で申し訳ないんですけど、「まなめはうす」のまなめさんっていう、コーラばっかり飲んでる変な人がこんな記事書いてたんです。 部下の教育に失敗した話 そう思う私だからこそ、部下には学ぶ時間さえ与えれば成長できると思って、業務を進めなくてはいけない立場でありながらも、可能な限り時間をつくってあげたんですよ。 部下になった時点で数か月後には別のPJに異動することも決まってたこともあって、そのための準備とかスキルアップとか必要と思って。 結論から言うと、私が作ってあげた時間は無駄に終わり、後日人からも、もっと仕事をふって欲しかったと言われたのですが。 これ、実は私も同じようなことしちゃった、正確にはしかけちゃった経験があるんですよ。 前の会社の時の話なんですけどね。 その会社って、あるプロジェクトが終わると即他のプロジェクトにアサインされて、「隙間の時間」的なものが当に全然なかったん

    「仕事で成長」って、本当に必要ですか?
  • 「攻撃するために質問する人」が職場にいると何が起きるか

    ちょっと前の話なんですが、職場にて、わたしとはまた別のチームのリーダーが辞めてしまって、とても惜しいなーという気分になっています。 実力がある人でした。色んな知識を持っていて、その知識を応用するやり方も知っていて、課題を見つければその課題を解決する方法を、しかも実現可能なやり方で考えられる人でした。 ただ、私が見る限り、その人にはたった一つだけ、非常に大きな欠点があって。 それは、彼が、 「攻撃の手段としてしか質問をしない人」だった、ということなのです。 まず前提として。 来であれば、「質問」というのは、何か自分が知らないことを教えてもらう、あるいは自分が知っていることと相手が知っていることを合わせて、新しい知見を導くために使うものです。 良い質問があると話が進みますし、皆の知見が深まります。 だから質問は大事ですし、気軽に質問が出来る環境作りも非常に重要です。 その辺の話については以前

    「攻撃するために質問する人」が職場にいると何が起きるか
  • これじゃあ国が滅びるよ──『韓国 行き過ぎた資本主義』を読んで

    年がら年じゅうブログなどを書き続けている私だが、私なりにメインテーマみたいなものを持っている。 2013年頃まで、そのメインテーマは「自己愛」だったが、2014年頃から「急激な社会の進歩」に変わった。 たとえば2019年の1月に書いた『日の破局的な少子化と、急ぎすぎた近代化』というブログ記事もそうしたテーマに沿ったもので、一日あたりのPV数の記録を塗り替えるほど、たくさんの人に読まれた。 日の破局的な少子化と、急ぎすぎた近代化 -シロクマの屑籠 日も東アジアの新興国も、かつては近代化や経済発展を旗印に、つまり、欧米諸国のようになることを目標としてきた。ほかのアジアやアフリカの途上国も同様だろう。 しかし、急激な近代化とは、いったいどういうものだったのか? 急激に近代化し、経済発展を遂げた国々がたどり着いた破局的な人口減少を目の当たりにした時、長い時間をかけてたくさんの植民地をい荒ら

    これじゃあ国が滅びるよ──『韓国 行き過ぎた資本主義』を読んで
  • 金持ちしか「自由」になれない、資本主義。

    書は様々な意味で非常に興味深い観点を与えてくれる。 ここで書かれている韓国の競争社会の激しさは壮絶だ。 小さい頃から大学入試に備え、尋常ではないレベルで塾に通い、大学入学後も一流企業に就職する為に徹底した自己研鑽が必要とされる。 そしてその厳しい選別を乗り越え、運良く大企業に入ることに成功してもその後は全く安泰ではない。 驚くべきことに、韓国社会では50代でほぼ強制的に定年が待っているのだそうだ。 せっかく苦労して入った大企業も55歳程度で強制退職させられ、おまけに再就職もほぼ不可能だというのだから、まったく息をつく間もないどころの話ではない。 当然というか、ほとんどの人は55歳で一生遊んで働かなくていいような財産が築けているはずもなく、その後はフランチャイズのフライドチキン店を経営などして、倒れるまで家族ぐるみでフライドチキンを揚げ続けるのだという(日で言うところのコンビニ店長みたい

    金持ちしか「自由」になれない、資本主義。
  • 学力も体力もカネで買う時代

    建設業界の人手不足の話を聞くようになって久しい。 帝国データバンクの2014年調査では、建設業者の59.7%が正社員不足に陥っているという。 飲業や情報サービス部門でも人手不足が目立つ。 その一方で、「正社員になりたくてもなれない」という嘆きの声も聞こえてくる。 建設業やサービス業で正社員が足りないなら、正社員になりたくて仕方の無い若者をリクルートしてくれば良い――そういう年配者の声を聞いたこともある。 昭和時代の頃、建設作業員が土方(どかた:差別用語)と呼ばれて社会問題になっていたことを思うと、そういう年配者は「肉体労働なんて誰にでもできる」とみなしているのかもしれない。 しかし、そういう考え方は時代錯誤もいいところだ。 建設業のハイテク化が進んだというのもあるが、そもそも、持続的に身体を動かせるほどの体力を持った若者は、今どれぐらい存在しているだろうか? 持続的に身体を動かせるほどの

    学力も体力もカネで買う時代
  • 結局、多様性を認めるかどうかは、崇高な理念ではなく、コストとリターンの兼ね合いで決まる。

    ちょっと前に、こんな高須賀さんの記事が投稿された。 個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。 多様性が当に良い事ならば、 あなたは好きでもない尊敬もできないパートナーと暮らすべきかもしれない。 意見のあわない上司と働くことにも価値がある。 全く信じていない新興宗教の集会に参加すべきかもしれない。 これらの事は全てあなたの人生の見地を広げるのに大きく役立つだろう。 じゃあ幸せに貢献するかというと…… 残念ながらたぶんならない。 こう書くとわかると思うのだが、私達が多様性を褒める時、大抵の場合においてそれは 「自分にとって都合のよい多様性」(=私は他の人とちがうけど、認めてよ。でも不愉快な人は近寄らないで) の事だけを指す場合が多い。 これを読んで、頭を「ガツン」と殴られた気がした。 多様性は「何かを生み出す」のに、有利である。 多様性は素晴らしい。 だから皆、

    結局、多様性を認めるかどうかは、崇高な理念ではなく、コストとリターンの兼ね合いで決まる。
  • 旧友と、伝説のクソゲー「ダウボーイ」のクリアを目指したとき、確かに僕は、そこに人生の真理を見た。

    田島はいつも「女にモテたい」と言っていた。 放課後の教室、少し温度が落ちたその場所で机と椅子だけが静かに並んでいた。 いくつかの机の上には綺麗に畳まれた制服が置かれていて、ときおり吹き込む風にカーテンが揺れていた。 床に落とし込まれた太陽の光もそれに合わせるように揺れていて、少しだけオレンジがかった光が揺らめく様は、まるで炎のようでもあった。 窓の外からは野球部の声が聞こえていて、さらに遠くからはダンプカーのエンジン音がうっすらと聞こえていた。 それ以外は静かで、夕方の空気と放課後の静寂がそこにあった。 チャイムが鳴った。 それを合図にしたのか分からないが、鳴り終わるのを待って田島がポツリと言った。 「女にモテてえんだよ」 田島は野球部の練習を見下ろし、グラウンドの白い砂の反射が眩しいのか、少し眩しそうに眼を細めながら、これでもかというばかりに力強くそう言った。 それは切実な魂の叫びのよう

    旧友と、伝説のクソゲー「ダウボーイ」のクリアを目指したとき、確かに僕は、そこに人生の真理を見た。