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Punkに関するtxmx5のブックマーク (73)

  • The Stalin | ele-king

    70年代にJamやHEAVENといった雑誌をサポートしていた群雄社という出版社があり(84年に倒産。ニューアカで有名な冬樹社が表なら、こちらが仮に裏とでも思って下さい)、そこで出版部長を務めていたYさんから「ミチロウがテクノに興味を持っていて、彼のスタッフから連絡が行くと思う。電話があったら相談にのってあげてくれ」と言われたことがある。ラフィン・ノーズのYOSU-KOとPONがCOW COWというハウス・ユニットを始めた頃で、パンクからハウスへの変化は必然だったと彼らから聞いていたこともあり、ミチロウがテクノというのもありえない話でもないのかなとは思ったものの、結局、スタッフから電話がかかってくることはなく、次の年にはテクノどころか「遠藤ミチロウがギター一で全国ツアー」みたいな告知文を目にすることとなった。ザがつかないスターリン解散直後のことで、ミチロウが次に何をやろうか迷っていたなかに

    The Stalin | ele-king
  • 赤痢 | ele-king

    文:水越真紀 久しぶりに赤痢を聴いて思うのは、なんと楽しいバンドなのかということだ。ドラムとベースの、乗るものを決してうらぎらないおもったい確かさの上で好きなように不機嫌になり、照れ、言葉を駆使し、頭を痺れさせる赤痢の楽しさったらない。赤痢が何度も何度も発売され続けるのは、このリズム隊の心地よさと歌詞の古びなさのためだろう。 ユーモアと切なさに満ちた歌詞はほとんど1分から2分という短い一曲でも同じフレーズの繰り返しが多い。つまり言葉を尽くして、言葉を駆使してストーリーや心情を語ったり、描写をするのではなく、ときには、あるいは多くは、メロディやサウンドに呼び覚まされたたとえば「死体こぼれ死体こぼれ」(“ベリー・グウ”)のような唐突な、「音」優先のフレーズは、それでも何かのイメージを映しながら、身体と心を揺さぶる。 「うまいよこれほらべてみて 愛してやまない理由がある 笑えない口で、はい、ど

    赤痢 | ele-king
  • NAPALM DEATHとINDUSTRIAL MUSICの関係性|MIASMA ZINE

    序文 EXTREME MUSICはお好きだろうか。ならば書を捨て街に出よ。そしてクラブで硬く冷たい死の香りのするノイズに身を任せるのだ—————。 事の起こりは1981年英国バーミンガムであった。CRASSに触発されANARCHO PUNKバンドとして始動したNAPALM DEATHは数多の国内外の名バンドのメンバー巻き込みながら後にCRUST~GRINDCORE~DEATHMETALと、また94年作FEAR,EMPTINESS,DESPAIRからはSOUNDGARDENやHELMETといったオルタナ(好きな表現ではないがあえて使わせて頂く)に影響を受けてジャンルを変遷していった。 NAPALM DEATHの音楽性が変遷していく中、理由は様々であれども脱退したメンバーは新たにバンドを始動しEXTREME MUSIC歴史に名を残してきた。ジムホワイトリーはRIPCORD、NAPALM DE

    NAPALM DEATHとINDUSTRIAL MUSICの関係性|MIASMA ZINE
  • JAGATARAと江戸アケミの音楽は、30年後の腐敗しきった日本でどのように響くのか? | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

    バンドの復活、サブスク解禁、新曲発表——ここにきてJAGATARAが大きな盛り上がりを見せている。彼らと関わりのあった音楽評論家・高橋健太郎が緊急寄稿。2019年の終わりに、伝説的バンドの歩みを振り返る。 JAGATARAのリード・ボーカルの江戸アケミが急死してから30年が過ぎようとしている。30年目の命日に当たる2020年1月27日にはOTO、EBBY、テイユウ、南流石らを中心にしたJagatara2020がコンサートを行い、2曲の新曲と80年代の未発表音源をコンパイルしたミニ・アルバム『虹色のファンファーレ』をリリースすることもアナウンスされている。ざわざわした気分で、それを待ち受けているのは、僕だけではないだろう。 Jagatara2020は2019年3月のTokyo Soy Source出演が契機となって、新曲の制作を開始。それに合わせて、多くの物事が動いたようだ。12月18日には

    JAGATARAと江戸アケミの音楽は、30年後の腐敗しきった日本でどのように響くのか? | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
  • JAGATARA、『南蛮渡来』など旧BMGビクター音源のサブスク配信が解禁 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)

    不世出のヴォーカリスト、江戸アケミを擁し、日のロック史において格別の存在感を放った伝説のバンド、JAGATARA。かつて旧BMGビクターから発売された音源のサブスクリプション配信が日12月18日より開始された。 JAGATARAは1979年、江戸アケミを中心に結成。1989年『それから』でBMGビクター(当時)よりメジャーデビュー。その後も旺盛なライヴ/レコーディング活動を展開したが、その矢先の1990年1月27日、アケミが不慮の事故で急死し、活動休止。その後もナベ、篠田昌已とメンバーの物故が続くが、OTOを中心に存命メンバーが折に触れて集結しライブを行っている。2019年3月、伝説のイベント、Tokyo Soy Sourceで「Jagatara2020」として完全復活。じつに30年ぶりの新曲に、当時の未発表曲を追加収録したシングル『虹色のファンファーレ』を2020年1月29日にリリー

    JAGATARA、『南蛮渡来』など旧BMGビクター音源のサブスク配信が解禁 | Rolling Stone Japan(ローリングストーン ジャパン)
  • interview with Kan Mikami もうひとりの、“日本のパンク”のゴッドファーザー - ele-king Powerd by DOMMUNE | エレキング

    Home > Features > Interview > interview with Kan Mikami もうひとりの、"日のパンク"のゴッドファーザー:三上寛、超ロング・インタヴュー 明日で世界は終わるだろう 明日で世界は終わりさ けれど誰がそれを信じるだろう 誰がそれをきくだろう "アンコ椿外伝"(2011) ディストピアを声高く歌うひとを、昨年の11月、麻布の〈新世界〉で見た。「カモメよカモメ~、この世の終わりが~」、彼は未来のなさを、海の荒々しい彼方の情景を、独特の節回しの唄とギターの演奏のみで、これでもかと言わんばかりに展開した。東京という街がとにかくナイーヴで、相変わらずの励ましソングか、口当たりの良いヒューマニズムを繰り返すしか脳のないときに、1960年代末に青森からやって来て、寺山修司と精神的に結ばれながら、放送禁止用語集のような楽曲を発表していた三上寛は、いまも堂

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  • i-D

    A global platform for emerging talent, i-D celebrates fashion, culture, individuality and youth.

    i-D
  • NOT WONKが表す、現代のパンクとは「真面目に生きること」 | CINRA

    苫小牧にいいバンドがいる。そんな噂からNOT WONKを知ったのが2015年のこと。今が何年かわからなくなる感覚に襲われた。陰りのあるUKメロディック、ポップパンク、そしてエモ。1990年代から2000年代中盤にかけて享受していた海外のインディバンドたちの、不器用だが鮮烈な息遣いが蘇ってくるようだった。もっとも、翌年に出た2作目『This Ordinary』のレビューを書いた直後から、私は加藤修平(Vo,Gt)への認識を改めざるを得なくなるのだが。 ライブを見るたびに発見があった。「わかる、懐かしい」だった印象は「なにこれ?」になり、次第に「これはバケモノじゃないか」に変化する。決定打が3rdアルバム『Down the Valley』だ。時代やジャンルの枠組みに囚われて考えている限り、彼らがこうも鮮やかに「最新」を更新していける理由はわからないだろう。NOT WONKが鳴らしているのは、攻

    NOT WONKが表す、現代のパンクとは「真面目に生きること」 | CINRA
  • DOMMUNE PROGRAM INFORMATION 2019/05/22 (水) | DOMMUNE

    5/22水&5/27月 ■5/22(水)19:00~24:00 遠藤ミチロウ緊急追悼番組「THE END 0」 R.I.P. MICHIRO ENDO 1950.11.15 - 2019.4.25 10時間SPECIAL!!!!!!! ■5/22水【第一夜:THE END 0】(会場:DOMMUNE)司会:五所純子 ●19:00 - 20:00 <第一部>「1950 - 1979|THE STALIN前夜」(60分) 乾純、金子アツシ、ツージーQ、山崎春美、いぬん堂 ●20:00 - 21:00 <第二部>「1980 - 1985|THE STALIN期」(60分) JOJO広重、宇川直宏、吉田豪、掟ポルシェ ●21:00 - 21:30 <第三部>「1985 - 1988|遠藤ミチロウというポップアイコン」 (ソロ活動とVIDEO STALIN) ●21:30 - 22:00 <第四部>

  • R.I.P. 遠藤ミチロウ | ele-king

    最初に聴いたのは「スターリニズム」という7インチだった。報道では、「遠藤ミチロウはパンク・ロックのゴッドファーザーと呼ばれている」などと書かれているが、どうなんだろうか。 というのも、スターリンが登場したときはUKではパンクはすでに過去のもので、「スターリニズム」がリリースされた1981年においてはポストパンクすらも過渡期を迎えようとしていた。この年PiLは『フラワーズ・オブ・ロマンス』を発表し、ジョイ・ディヴィジョンの残党がニュー・オーダーを始動させている。ザ・スペシャルズが最後の力を振り絞って「ゴーストタウン」を出して、ザ・レインコーツがセカンドを、ニュー・エイジ・ステッパーズが最初のアルバムを発表している。パンクが終わり、アンチ・ロックンロール主義的なポストパンクが沸点に達しているときに、「スターリニズム」の1曲目に収録された“豚に真珠”のパンクのクリシェ(常套句)というべきサウンド

    R.I.P. 遠藤ミチロウ | ele-king
  • 「ザ・スターリン」の遠藤ミチロウさん死去 出身地福島を支援 | NHKニュース

    1980年代にパンクバンド「ザ・スターリン」の中心メンバーとして一世をふうびし、原発事故のあと、出身地福島の支援を続けてきたミュージシャンの遠藤ミチロウさんが先月、すい臓がんのため亡くなりました。68歳でした。 バンドはその5年後に解散しましたが、遠藤さんは、ミュージシャンとしての活動を精力的に行い、8年前に起きた福島第一原発の事故では、「地震や津波の被害だけでなく、原発の問題も抱える今だからこそ、音楽や詩やアートを通じて福島の未来を考えたい」と語り、多くの音楽家や芸術家らとともに福島でイベントを開催するなど、ふるさとの支援に取り組んできました。 遠藤さんは、去年8月にすい臓がんであることがわかり、手術を受けたあと闘病生活を続けてきましたが、所属事務所によりますと、先月25日に都内の病院で亡くなったということです。

    「ザ・スターリン」の遠藤ミチロウさん死去 出身地福島を支援 | NHKニュース
  • MOST

    捨て身で音楽と向き合う徹頭徹尾真性パンク 今や伝説的なあのAunt Sallyを起点として、ソロ、NOVO TONO、Phew Unit、Big Pictureと様々な音楽的変遷を辿ったヴォーカリスト・Phewが山精一らと結成したパンク・バンド、MOST。“パンク”という言葉が安易に消費され、その上澄みだけを掬い取るようなスタイルやファッションとしてのパンクスが跋扈する昨今、来パンクが持ち得た精神を澱みなく伝える彼らの存在は実に貴重だ。真のパンクとは? その答えはMOST主宰のライヴ〈MOSTNOTORIOUS〉に足を運べば一目で判る。(interview:椎名宗之) 名のあるバンド以外にも目を向けてほしい ──かれこれ12回を数える〈MOSTNOTORIOUS〉ですが、そのコンセプトとは? Phew 一言で言えば、今の状況を表しているようなイヴェント。メジャーもインディーもなく同等に

    txmx5
    txmx5 2019/04/23
    "interview:椎名宗之"
  • コムデギャルソン、川久保玲インタビュー「仕事に楽しみは感じない」(The Guardian) - Yahoo!ニュース

    【記者:Jess Cartner-Morley】 私は川久保玲(Rei Kawakubo)に服のことを聞きに来たわけではない。彼女はもう服を作っていないからだ。それでもなお、川久保は世界で最も重要なファッションデザイナーの一人であり続けている。コムデギャルソン(Comme des Garcons)の5年前のコレクション「Not Making Clothes(服を作らない)」では、細長い黒布でできたおりのような服や、フリルの洪水に半分隠れた鮮やかなピンク色のタイツなどを身に着けたモデルがランウェイを歩いていた。その9シーズン後の今も、パリファッションウィークでは毎回コムデギャルソンのショーが行われている。ブランドの年間売上高は推定2億8000万ドル(約315億円)。それでも、川久保は服を作っていないと主張する。つまり、川久保玲とはどこまでも「ハイコンセプト」 なのだ。 「服を作らない、とはど

    コムデギャルソン、川久保玲インタビュー「仕事に楽しみは感じない」(The Guardian) - Yahoo!ニュース
  • HMV&BOOKS online - 本・CD・DVD・ブルーレイ・ゲーム・グッズの通販専門サイト

    スラムダンク映画『THE FIRST SLAM DUNK』... 大ヒット映画『THE FIRST SLAM DUNK』の4K ULTRA HD Blu-ray/Blu-ray/DVD...

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  • パーティで女の子に話しかけるには | ele-king

    監督・脚:ジョン・キャメロン・ミッチェル『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』 原作:ニール・ゲイマン「パーティで女の子に話しかけるには」 衣装:サンディ・パウエル『キャロル』、『ベルベット・ゴールドマイン』 出演:エル・ファニング『20センチュリー・ウーマン』、アレックス・シャープ「夜中に犬に起こった奇妙な事件」、ニコール・キッドマン『LION/ライオン ~25年目のただいま~』 配給:ギャガ © COLONY FILMS LIMITED 2016 12月1日(金) 新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国順次ロードショー gaga.ne.jp/girlsatparties 1977年のクロイドンを舞台に初期パンクの佇まいや心情を描いた映画だと思って観ていたら、ちょっと違った。クロイドンはロンドンの南に位置し、当時だとXTC、最近ではベンガやスクリームなどダブステップのシー

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  • KiliKiliVilla

    magazine - 2018.05.30 カベヤシュウト(odd eyes)インタヴュー(取材・文/磯部涼) photo by. 中野賢太 / 竹下慶(MOON FACE BOYS) / uuu uuu 〝odd eyes〟と白い盤面に黒いマーカーでなぐり書きされたCD-Rをもらったのは、90年の開店以来、京都のサブカルチャーを担ってきたCLUB METROでのことだった。それは、風営法問題で困窮していた関西のナイトクラブ・シーンを取材するために同地を頻繁に訪れていた2012年のある夜で、フロアは賑わっていたが何処となく緊張感が漂っていたように思う。ダンス・ビートが鳴り響く中、地元のレコード・ショップで働く友人から紹介された、ハードコア・パンク・バンドのヴォーカリストだという目付きの悪い青年は、顔をこちらにぐっと近付けるなり喋りまくり、音源を手渡し、次に見掛けた時には店の片隅で酔い潰れて

    KiliKiliVilla
  • Vol.84 whatman(カベヤシュウト) – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』

    MasteredがレコメンドするDJのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する『Mastered Mix Archives』。今回ご紹介するのは、京都のハードコアパンクバンド、odd eyesのヴォーカリストでもあるDJのwhatmanことカベヤシュウト。 2010年に結成されたodd eyesは、2012年にLess Than TVより6人編成でアルバム『think ongaku union local 075』をリリース。その後、メンバーチェンジを経て、2015年に名古屋の7インチ専門レーベル、SummerOfFanより発表した『A love supreme for our brilliant town』にceroの高城晶平、VIDEOTAPEMUSIC、beipana、madeggをフィーチャーし、広範な支持を獲得。今年3月に元銀杏BOYZの安孫子真哉が主宰するレーベル、K

    Vol.84 whatman(カベヤシュウト) – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』
  • KiliKiliVilla設立から3年、安孫子真哉はいま何を考える? MILK × odd eyesと語った〈レーベル第一期の終わり〉と2018年のパンク | Mikiki by TOWER RECORDS

    KiliKiliVilla(以下、キリキリ)を創立させて1年目だった安孫子真哉が、現在進行形のパンク・カルチャーへの興奮や既存メディアへの違和感などを赤裸々に語ったロング・インタヴューを、Mikikiが公開したのが2015年の10月。以降、同レーベルはNOT WONKやCAR10、SEVENTEEN AGAiNといった当初から看板として掲げていたバンドの躍進をプッシュしつつ、Penny ArcadeやDebonaireら歴史の陰に埋もれたインディー・ポップの立役者たちの音源をリイシュー。さらに、Gezan やLEARNERSといったシーンのフロントラインから、Have a Nice Day!やEccy、Jappersらパンクという括りでは捉えきれない才能までをレーベルのカタログに加えてきた。 さまざまなトライブを意識的に攪乱していくような意欲的な活動を、3年間にわたって続けてきたキリキリだ

    KiliKiliVilla設立から3年、安孫子真哉はいま何を考える? MILK × odd eyesと語った〈レーベル第一期の終わり〉と2018年のパンク | Mikiki by TOWER RECORDS
  • パンクロックは取り締まり対象、愛好者を丸刈りに インドネシア

    インドネシア・アチェ州の州都バンダアチェで、パンクロックを愛好したことがシャリア(イスラム法)に違反するとして頭髪をそられる男性(2018年1月9日撮影)。(c) AFP PHOTO / CHAIDEER MAHYUDDIN 【1月9日 AFP】インドネシア・アチェ(Aceh)州の州都バンダアチェ(Banda Aceh)で、パンクロックの愛好者31人が宗教警察に拘束された。 インドネシアは世界で最もパンクロック文化が活発な国の一つともされているが、同国で唯一シャリア(イスラム法)が適用されているアチェ州では、パンクロックは取り締まりの対象となっている。(c)AFP

    パンクロックは取り締まり対象、愛好者を丸刈りに インドネシア
  • パンク歴史学者はスキンヘッドをかく語りき

    ロンドン出身のデザイナー/ヴィジュアル・アーティストであり、パンク収集家の顔をもつトビー・モット(Toby Mott)に、スキンズとパンクスの違いから、ゲイ・コミュニティとの関係までを訊いた。 トビー・モット(Toby Mott)はロンドン出身のデザイナー/ヴィジュアル・アーティスト。1983年にアート集団「Grey Organisation」を設立し、ROLLING STONES、PUBLIC NENMY、A TRIBE CALLED QUESTのミュージック・ビデオから、DE LA SOUL、INFORMATION SOCIETYなどのジャケット制作、更には世界各国での様々なアート・エキシビジョンを開催。個人になってからはファッション・レーベルTOBY PIMLICOをスタートさせ、マリ・クレール誌の付録では女子大喜びのバッグも製作した。 そんなセレブリティーな彼のもうひとつの顔こそが

    パンク歴史学者はスキンヘッドをかく語りき