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自我論に関するushiwatatのブックマーク (32)

  • cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    cakes(ケイクス)
  • トゥルーマン・ショー - Wikipedia

    『トゥルーマン・ショー』(The Truman Show)は、1998年のアメリカ映画。6月1日にロサンゼルスでワールドプレミアを開催し、6月5日に北米で公開された。 あらすじ[編集] 離島・シーヘブンで保険会社に勤める青年トゥルーマン・バーバンク(ジム・キャリー)は、生まれてから1度も島から出たことがない。それは子供の頃、ヨットで海へ出ていた時、一緒に乗っていた父の警告を無視して船を進め、父を亡くしたことで水恐怖症を患ってしまったことが原因だった。 ある日、彼がいつものように出勤しようとすると、空から突然ライトが降ってくる。それには「シリウス(おおいぬ座)」と書かれていたが、直後のラジオで「航空機からライトが脱落した」と報道される。その後、いつものように新聞を買ったトゥルーマンは、雑踏の中で1人のホームレスの老人を見かけるが、それは死んだはずの父だった。しかしその直後、老人は瞬く間に何者

  • 配偶者の条件 - 内田樹の研究室

    金曜日。朝、記念賞授賞式。うちの黒田くんが賞をもらったので、お祝いに行く。 大野篤一郎名誉教授による「セネカの幸福論」という講演がある。 ひさしぶりの大野先生のお話を聴く。 どこから始まりどこに行くのかわからない哲学的知性の遊弋。 忘れられかけた「古き良き大学」の空気が大野先生の笑顔から感じられる。 基礎ゼミでは「友人と恋人はどう違うか?」というお題。 おもしろい主題である。 これについては私見があるので、それを述べる。 「友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱」という詩章がある。 知性、気づかい、向上心というようなものが友人を選ぶときの条件であるよということである。 では、配偶者の条件は何か。 与謝野鉄幹のこの「人を恋ふる歌」は広く人口に膾炙した「をめとらば才たけて、みめうるわしく、情けある」で始まる(男性配偶者の条件については言及していないが、同列に論じてよい)。 はたしてこれは

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    ushiwatat 2009/10/19
    誰も理解しないことと自分だけが理解することとは同じ(私的言語?)。こう考えると容姿の衰えは幸福かもしれない。/他の人が愛する人を幸福には出来ない?
  • 【連載】佐々木正悟×堀E正岳 ライフハック・トーク (1) 未読1000件を10分で読めますか? | エンタープライズ | マイコミジャーナル

    以前のコラムで、佐々木は「RSSで情報があふれかえって大変なので、もうRSSなしで済ませよう」というテーマを追ってきました。しかし、すさまじい量の情報があふれかえった中に、役に立ち、かつ面白い情報が潜んでいるのも事実。 今回から始まる対談連載では、私、佐々木が聞き手となって、「気候学者」でもある堀E正岳さんに、あふれかえる情報のインプットとアウトプットを、多忙な合間にどう実践されているか、その深奥に迫ります。 大事な記事は直感で選び抜け! 佐々木 まずお伺いしたいのは、どうして堀さんはRSSで情報収集しているのか、その基の所から。 堀 情報整理は飛んでくるものをクリップしているだけではもう不十分だと思っています。アクティブに、自分の持っていない情報を探しに行くという話に絞っても、いままで普通にを読むスピードで1日に 100 件くらいの情報を消化していたとしても、追いつきません。せめて1

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    ushiwatat 2009/08/03
    |「世界にとって大事、他の人が大事と言っている」ということを判断基準に差し挟むと、とても時間がかかってしまいます||「自分が面白い」と思える記事だけを選び抜くこと|
  • すべての現象のなかに自己を証かす: DESIGN IT! w/LOVE

    様々な現象のなかで様々なものを感じ取っている自分を現象の只中において知るということなのだろう。 自我によってすべてを認識しようとするのが迷いなのだ、諸々の現象のなかに自我の在りようを認識するのが覚りである。 僕が「直観」と呼んだのは、道元のいう「覚り」に近いものなんだろうと感じます。ただ単に感じたままの感覚を「直観」と呼ぶのではなく、自分も含めてあるがままの現象とその現象を感じとっている過去にも未来にもつながった自分を認識することを僕は「直観」と呼びたい。 自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るもの『デザインの生態学―新しいデザインの教科書』のなかで深澤直人さんが、自分も昔は自分の身体の外側、自分をさておいたものを環境と考えていたが、後になって自分も他人もすべてを含む入れ子状態のものを環境と定義するようになったと言っていました。 世阿弥の「離見の見」(見所より見るところ

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    ushiwatat 2009/05/24
    |答えを自己のなかに求めないことだ。すべての現象のなかに自己を証かすのだ。自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るものである。|(『正法眼蔵』)
  • 夢や空想まで映像化?脳血流パターンから画像再現に成功 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    人が見た文字や図形を脳から読み取り、画像化する技術を国際電気通信基礎技術研究所(ATR、京都府精華町)などが開発した。 11日付の米科学誌ニューロンに発表する。将来、睡眠中の夢や、頭の中で空想した内容などを、映像にできる可能性があるという。 人が目で見たものは、網膜で電気信号に変換され、大脳の視覚野で映像化される。 同研究所の神谷之康・神経情報学研究室長らは、100個のマス目に白と黒のモザイク模様が並ぶ画像400枚を被験者に見せ、脳の活動(血流の変化)を機能的磁気共鳴画像(fMRI)という装置で計測した。 そのデータをコンピューターで分析し、脳の血流変化のパターンから、見たマス目が白だったか黒だったかを類推する技術を編み出した。 この方法を用いて、アルファベットや図形を見せた人の脳から読み取った情報を基に、元の文字や図形を再現することに成功した。

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    ushiwatat 2008/12/12
    |国際電気通信基礎技術研究所(ATR、京都府精華町)などが開発| |同研究所の神谷之康・神経情報学研究室長ら|
  • 身体が交替する錯覚:視覚の交換実験が示すもの | WIRED VISION

    身体が交替する錯覚:視覚の交換実験が示すもの 2008年12月 5日 サイエンス・テクノロジー コメント: トラックバック (0) Alexis Madrigal 別の人(またはマネキン)に取り付けたカメラの映像をストリーミング表示するゴーグルを装着した被験者は、カメラがつけられている方を自分の身体だと感じることがある、との研究結果を神経科学者が発表した。 しかもこれは、あやふやな、哲学的な意味だけではないのだという。被験者が体験したのは測定可能な生理学的変化だ、と論文には記されている。 オープンアクセス(無料公開)方式の学術誌『Public Library of Science One』に掲載された論文の執筆陣はこの研究について、未来の人間とロボットの協調にとって重要な意味を持つものとなる可能性を秘めたものだと述べている。さらにこの研究は、シンギュラリティー(技術的特異点)を過ぎたら自分

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    ushiwatat 2008/12/06
    |「これらの実験から、人間の意識の中心を別の身体へ『移す』のがいかに容易なのかが示された| |つまり、われわれは眼がある場所に自己が置かれていると感じるのだ| うぅ、二番目の引用は堂々巡りになるのでは?
  • 「我思う故に我有り」は微妙に誤訳なんじゃないか: 極東ブログ

    このエントリを書こうか書くまいかためらっているうるに、なんとなく書かなくなりそうな感じがして、それはそれでいいかなと思うものの、まあ少し気楽に書いてみるかな。おそくらほとんどの人にとってそれほど関心のないことだろうし、そういう話題を扱うのがこのブログだしな、と。さて、結論からいうと、「我思う故に我有り」は誤訳だとは断言しづらい。また、「思う」じゃなくて「考える」だとかそいうレベルの話でもない。 このことが気掛かりになっていたのは、先日の「極東ブログ: ウォーレン・バフェットのありがたいご託宣」(参照)で取り上げたコラムの標題"Buy American. I Am."をどう訳すかということだった。コメント欄でいろいろご示唆をいただいたけど、正直なところあまりピンと来なかった。来ない理由は、なんとなくこの英語の意味を、ちょっと変な言い方だけど、自分の英語処理脳でなんとなくわかっている部分があり

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    ushiwatat 2008/11/04
    「考えるのをやめさえしたら」というすぐ後の仮定まで取り上げればもっと分かりやすくなるかと思うんだが……。 / how_say氏のコメントの読みが一番しっくりくる。 / にしても、この読みの広がりが古典の強みか。
  • 妥協と共生 - 内田樹の研究室

    Frauという雑誌の取材がある。 20-30代の働く独身女性が読者層のヴォリューム・ゾーンであるような雑誌で、今回のお題は「結婚したいけれど、できないのはどうして・・・」という切実なるものである。 どうしてと訊かれて即答できるなら、苦労はない。 というのはシロートで、私はどんなことを訊かれても即答することでお鳥目を頂いている身であるから、もちろん即答する。 それはみなさんがたが「他者との共生」を「他者への妥協」というふうに読み替えておられるからである。 「共生」と「妥協」は見た目は似ているかもしれないが、まるで別のことである。 これは武道をやっていると実感的によくわかる。 「妥協」というのは「まず、私がいる」というところから話が始まる。 そこに他者が干渉してきて、私の動線を塞ぎ、私の可動域を制約し、私の自己実現を妨害する。 私はやむなく、自由を断念し、狭いところで我慢し、やりたいことを諦め

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    ushiwatat 2008/07/13
    多分他の文脈でも応用できる議論。 |「私が成功しなかった」という事実から「私は成功するはずであった」という命題を導くことはできない||「妥協」において他者と「妥協」しているのは、「存在していない私」|
  • ララビアータ:ヘーゲル――近代政治哲学の臨界

    ヘーゲル哲学の位置を正確に見積もるためには、補助線として近代政治哲学の諸説を参照することが有益である。一つは功利主義、もう一つは社会契約説。 功利主義にとって、功利とか快苦とは、主観的なものなのか、それとも何か客観的なものであろうか? どんなに医者が「君は痛みを感じるはずがない」と言ったところで、痛い時には痛いと言われるだろう。功利や快苦も、そのように単に主観的なものであって、誤認の余地のないものであろうか? それとも、人にそう思われるだけでは誤認される事も有り得るものなのであろうか? (この点、拙著『魂の美と幸い』で触れたことがある。「魂が自らを幸福だと信じる場合、さながら神経痛が決して我々の神経を裏切らないように、この魂の判断に誤りの可能性はないのか否か?」) しかし功利主義は、例えば財の効用によって、財の交換を説明しようとするだろう。たとえば、私が自分の手持ちのA商品を手放して他人

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    ushiwatat 2008/02/09
    ヘーゲルの精神現象学の途を主体の信仰に対峙する知識として見、その難点を挙げる。 |理由と知に基づく近代政治哲学に換えて、決断と信仰に基づく政治哲学が、可能でもあり、必要でもあるのではなかろうか?|
  • あんパンなんていらない。(Ver.Unteazated) - 浩瀚堂粋記集

    別館の方で宮台真司氏が赤木論文に寄せた コメントをあまりに凡庸過ぎると評した所、 このようなトラックバックを頂いた。 http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20071113/p1 ここで展開されている論争や立場への不信感が、 『Something Orange』というブログの 「アイデンティティなんていらない。」 http://d.hatena.ne.jp/kaien/20071116/p1 というエントリの内容に通じるものがあるように思えたので、 後者のエントリを軸に論理や倫理、 個人や集団の問題について論じたい。 ●実存主義と社会的承認 コメント欄にも指摘があったが、 海燕氏の「アイデンティティ」は 定義が少々曖昧過ぎる。 社会科学や人文科学において キーとなる概念の定義付けは重要である。 何故なら論理の前提や根を成すからだ。 定義が曖昧だとどうして

    あんパンなんていらない。(Ver.Unteazated) - 浩瀚堂粋記集
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    ushiwatat 2007/12/20
    アイデンティティについてのほか、議論への中立性と関与についてなど。
  • MouRa|萱野稔人、国家|萱野稔人「交差する領域~<政事>の思考~」第9回 “オメデタイ”言説

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  • 先日のTwitter発言のまとめみたいな - finalventの日記

    思考は関数で、「私」はその返却値ではないか。 別の言い方をすれば思考というメカニズムが「私」を機械的に生み出している。思考が止まれば、「私」はいない。 ただし、そういう比喩で語るとき、それでも「私」のコアのようなものはありそうだし、現在知覚の所持者として「私」が存在しそうに思える。ここがたぶんこの難問の急所だろう。 世界を知覚している主体としての「私」はありそうに思える。だが、それは常に疎外、客体化、遅延、物語化を介している。デリダ的な差延がありそうだ。というより、差延は、そうした現在知覚の「私」を、デカルトのゴギトのように原初的なもの(アルケー)として措定している。 でも、その措定とは、原初的なものを求めるための、詐術にすぎないだろう。 実質的な意味での「私」とは、「私語り」という記憶の権限として、語られるうるものとして現れる。 記憶とは「私語り」である。そして語られる出来事は、「私」に

    先日のTwitter発言のまとめみたいな - finalventの日記
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    ushiwatat 2007/11/16
    |明証性は、転生、つまり、「別の時代の生の私が私である」をも保証しうる。| ?夢にせよ、「私」がその過去として保証されるものなら転生した「私」(を認めるとして)はもう「私」ではないのでは。/神学、死と国家。
  • ファイアウォール、としての言葉 - 旧 はてブついでに覚書。

    言葉というのはものを伝える手段として効率が悪い。 お互いに文法と語彙のデータベースを持ち、 出来れば文化も共有、もしくは理解し、 その中から伝えたいことがきちんと伝わるように単語を、語順を、語感を、語尾を、タイミングを、間を、呼吸を、慎重に選んで発話し、 やっと相手にものが伝わる。・・がんばって、80%くらい。 私たち日人の多くがほかの国で的確に思う存分ものが伝えられないことからわかるように、 使用する言語が違う、それだけで、同じ人間であっても、私たちの意志は、思いはほとんど伝わらない。 生活にかかわるベーシックなことならまだしも、 抽象的になればなるほど、壊滅的に伝わらない。 You know, わかるでしょ? いいえ、知らない。言葉と文化が違うから、知らない。 言葉は時間だ。 言葉は時間をう。 話すのも書くのも、聴くのも読むのも。 だから、めんどくさいから、 テレパシーみたいに、脳

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    ushiwatat 2007/11/15
    「幼稚」なことを割と考えるのだけど(笑)、「自己を伝達する」というのは人生と人格を渡すことになるのでちょっと厄介かなと(全部は渡せない)。あと、互いが互いの「器官」である世界はどうなのかと。新人類?
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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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    ushiwatat 2007/10/20
    自己の「同一性」の保持、世界の転化、枠組みの変化…。言葉のレベルで考えるならなんとなく『論考』より『哲学探究』のほうにヒントがありそうな予感。あとで書く、かも。/拙いものを書いた。
  • 2007-10-16 - しあわせのかたち - 「私語り」の衒学趣味者的感想

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    2007-10-16 - しあわせのかたち - 「私語り」の衒学趣味者的感想
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    ushiwatat 2007/10/18
    |このような「語り」のなかで唯一有効な言説は、「俺は自分の自意識について自覚的だけど、お前らは無自覚なんぢゃねえの?」という「既知/不可知」論しかあり得ない。|
  • 失敗しない自宅サロンの開業方法

    ここでは自宅サロンを開業するまでの流れを3つのステップで解説していきます。この流れに沿って見て頂ければ、自宅サロンを開業するまでの最適な道のりがきっと見えてくると思います。まず3つのステップは以下のようになっています。自宅サロンの具体的イメージを固める自宅サロンのメニューを考える自宅サロンの開店準備...

    失敗しない自宅サロンの開業方法
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    ushiwatat 2007/10/11
    素晴らしい文章。|とすると、その「書く人」たちは、ブログに「書かされている人」になるのか。| マガジンとしてのブログvs.|「チラシの裏に書いている」ことにしておけばいい|ブログ。寛容の議論ともリンク。
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0903.html

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    ushiwatat 2007/10/03
    ベンヤミン、ラカン、フーコー、ラスウェルなどにも触れる。欠けているのは「編集とは何か」ということ、及びメディアには必ずコンベンション(約束事)が融合しているはずだということと言う。
  • 活字中毒R。

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    顔に見える?最近「送水口」が気になるという話 「送水口」が気になる今日この頃 最近街中で気になる存在、それがこの「送水口」です。地上のフロアが7階以上あるビルなど、一定の条件を満たした建築物には設置が義務付けられているもので、火事が発生したフロアにただちに水を送るために使われるものです。ポンプ車…

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    ushiwatat
    ushiwatat 2007/09/18
    しかし他者の承認も自らが納得いく承認でなければならない…。全知なる神を失った代償は大きい、か? |だが、これは汚い。それは、自尊心を捨てたかのように見えつつも、僕がこのやり方でも他者からの承認を得られ