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ブックマーク / intojapanwaraku.com (10)

  • 禅とは何か? 日本人が愛する「禅の心」を解剖する10の質問 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    禅宗とはどのような教えのことなのでしょうか。わかりやすく10の項目でご紹介します! 厳しそうなイメージの禅ですが、 決してそうではありません! 禅問答とは、禅の修行をする僧が悟りをひらくために行う問答ですが、非常に難解なため、何を言っているのかわからないことのたとえとされています。ですが、禅は来、いたってシンプルにして普遍的なもの。そんな禅の概要を、わかりやすい10のZEN問答でご紹介します。 1 そもそも禅ってなんのこと? 禅は、精神を統一して真理を追究するという意味のサンスクリット語を音訳した「禅那」(ぜんな)の略で、坐禅修行をする禅宗をさす言葉です。禅について書かれた文献はたくさんありますが、簡単に説明すると、自分自身の存在の真実を探すこと。そのために禅僧は修行をするのですが、禅は普段の暮らしの中でも実践できます。みずからを律し、万物に感謝し、ムダを省き、生き方を見つめ直すこと。そ

  • 「伊勢」と「出雲」2大古社の建築をイラストでわかりやすく比較!! | INTOJAPAN / WARAKU MAGAZINE

    神社建築はココが違う! 国家的な祭祀の場となってきた伊勢神宮と出雲大社。その殿建築は日最古の様式を今に伝えていますが、構造は異なります。比べてみると、その特徴が明快です。 伊勢神宮は「穀倉」に基づく「唯一神明造り」 一般的な神社建築のひとつが「神明造り」ですが、そのなかでも伊勢神宮の正殿はほかでは用いられない特別な様式であるため、「唯一神明造り」と一般に呼ばれています。これは古代の高床式穀倉が宮殿形式に発展したもの。屋根は「切」(を伏せたような傾斜の屋根)の茅葺で、出入り口は「平入り」、柱を地中に埋める掘立式で、棟持柱が特徴。檜の素木を材にした直線的でほとんど装飾のない簡素な美しさが、2000年もの間「常若」であり続ける伊勢神宮を象徴しています。 出入り口はこの向きに 屋根の傾斜面側に出入り口がある「平入り」という形式。 同じようでいて違う内宮と外宮。「千木」の様式も異なります 内

  • 日本料理の伝統食「味噌」を昔ながらの製法で作り続ける『まるや八丁味噌』 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    味噌や醬油などの発酵調味料は、日料理に欠かせません。今では海外でも使っている料理人が増えてきました。ただ、残念ながら、昔ながらの製法を守っているメーカーが減ってきているのも現実です。 江戸時代から変わらぬ製法 八丁味噌は愛知県を中心に愛用され、徳川家康の生地・岡崎城から八丁(約870m)にある味噌です。「まるや八丁味噌」は旧東海道沿いにあり、向かいの「カクキュー」と2軒で、江戸時代から変わらぬつくり方を守っています。 極力少ない水分で仕込み、桶の中の水分が均一になるよう石で重しをします。積む石は最大60㎏、数は300個くらいで、味噌の重さの2分の1、約3tにもなります。 「兵糧として持ち運びに便利。大豆のうまみも凝縮します」と社長の浅井信太郎さん。「子供のこぶしほどの大きな味噌玉をつくるので、熟成がゆっくり進みます。大桶で2年以上熟成させています」 八丁味噌は、矢作川が支えてきました。

  • 広大な自然をミニチュア化!日本庭園のおもしろさをサクッと解説 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    庭園にはさまざまな楽しみが隠れています。盛り土や石庭を山や海に見立てたり、滝や池などの広大な自然をミニチュア化して取り込んだり。そして、なぜか心が落ち着く美で満たされているのです。 残したいニッポンの美「日庭園」 「年月がかかって重みを増して、美しさが光る。時が美しさを発揮していく」とは、旅行作家の兼高かおるさん。 桂離宮、古書院の月見台。 西洋の庭園がシンメトリーに植物を配置して、敷地の中で完成された人工的な美しさを求めるのに対して、日庭園は木や石や水をできるだけ自然界にある姿で配し、ときには囲った敷地外の自然までを「借景(しゃっけい)」として取り入れます。木々は育ち、土地は苔むして、そんな経年変化を愛しむのも日庭園ならではの味わいといえるでしょう。 桂離宮、松琴亭遠望。 日庭園の歴史は古く、奈良の平城京跡にもS字形の池泉が発掘・復元されています。日最古の造園「作庭記(さ

  • 雪も雨もリアルを超えてる!歌川広重の絵画をじ〜〜っと観てみると… | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    そこには驚くべきテクニックが隠されていました。江戸時代に活躍した絵師・歌川広重。自然をわかりやすく描く方法においても群を抜いた技を見せていました。なぜ広重はかくも情緒的に自然をとらえることができたのでしょうか……。 歌川広重のリアルを超えた自然表現 広重の絵は自然をそのまま写生しながら、そこに印象的な気象や人を描き加え、詩情溢れる情景をつくり上げています。それを成し得たのは、当時最新の透視図法や円山四条派の写生画を取り入れたことで、リアルに見える絵画的表現を会得したからだと考えられています。 広重の風景画を見ると、だれもがつい郷愁を覚え、人の心に染み入るような印象を受けるのは、写実を超えたわかりやすい表現方法にあったのです。晩年の広重はみずからの作品について、「目の当たりに眺望した絵」と語っています。そこに、自然をより自然に描くことに腐心した広重の生涯を見る思いがします。 雨「名所江戸百景

  • 広重浮世絵ワールドを求めて、古色を帯びた迷宮の港町へ旅に出よう!岩国・宮島・鞆の浦編 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    奇跡の橋といわれる岩国(いわくに)の錦帯橋(きんたいきょう)、海上の世界遺産嚴島神社(いつくしまじんじゃ)、そして断崖に建つ阿伏莵(あぶと)観音堂。広重が『六十余州名所図会』に描いたこの景勝地は、今も江戸時代と変わらない姿で迎えてくれます。では、広重目線で楽しむ瀬戸内の旅へと出かけましょう。 一、 錦帯橋(きんたいきょう) 写真提供岩国徴古館。歌川広重『六十余州名所図会 周防 岩国錦帯橋』大判錦絵 嘉永6(1853)年岩国徴古館蔵 広重お得意の鳥瞰図的構図で描かれた錦帯橋。広重の描いたこの橋は、昭和25(1950)年に流失するまで存在した。 錦川と錦帯橋 歌川広重晩年の傑作『六十余州名所図会』には全国68か所の名所が描かれています。その名作の地を訪ねる旅として和樂が選んだのが、瀬戸内沿岸の岩国、宮島(みやじま)、鞆の浦(とものうら)。ここには広重が描いた名所(広重は実際には足を運んでいない

  • 広重の浮世絵ワールドを巡る下町散歩!谷中・上野・湯島編 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    江戸のにぎわいに想いをはせつつ1日下町散歩 江戸に生まれた広重は故郷を愛し数多(あまた)の名作を手がけたことで知られています。その広重は、現代散歩の聖地、谷中、上野、湯島をどのように描いていたのでしょう。ここでは広重の浮世絵とともに下町散歩のおすすめルートをご紹介します。 広重の名画を巡る下町散歩、まずは江戸の人々にとって虫聞きNo.1スポットであった道灌山(どうかんやま)から始めましょう。道灌山は江戸城を築城した太田道灌の住居があった場所。江戸時代になると庶民にも開放され、秋の虫の音、花見、月見の名所として大変な人気でした。当時はここに集まる観光客目当てに多くの団子屋が店を出したそうです。その眺めはJR西日暮里駅の線路にとって代わられましたが、目をつぶると広重も聴いた虫の音が聞こえてきそうです。 道灌山(東京・日暮里) 歌川広重『東都名所 道灌山虫聞之図』大判錦絵天保10~13(1839

  • 谷根千をぐるり!広重が描いた浮世絵目線でほっこり! | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    全国を浮世絵に描いた風景画の天才、歌川広重(うたがわひろしげ)。東京に生まれた広重は、名勝・景勝地を描いたと同じように、東京の下町に暮らす人々の生活の一部を切りとったような景色を愛し、描きました。湯島天満宮にお参りする人々、その鳥居の脇の茶屋で宴を楽しむ男性たち。満開の桜の上野公園や千駄木の団子坂。そして庶民の憩いの場であった〝虫聞き〟の名所、道灌山(どうかんやま)。 前回の「散りゆく桜の下…上のお花見、下町散歩」でご紹介した湯島から上野公園に続き、日は上野公園から歩を進め、広重が描いて谷中、根津、千駄木の、通称〝谷根千(やねせん)〟へまいりましょう。 写真/東京では希少価値となった木造3階建て建築の「はん亭」 上野から根津へ… 清水観音堂(きよみずかんのんどう)から弁天堂、不忍の池(しのばすのいけ)の縁を通って根津方向へ。不忍通りでひときわ目を引くのが、木造3階建てのレトロな建物、

  • 【掘り出し物展覧会】不思議な魅力の美術展「廃墟の美術史」に行ってきた! | INTOJAPAN / WARAKU MAGAZINE

    新聞記者、雑誌編集者を経て小さな編プロを営む。医療、製造業、経営分野を長く担当。『難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことを真面目に』(©井上ひさし)書くことを心がける。東京五輪64、大阪万博70のリアルな体験者。人生で大抵のことはしてきた。愛知県生まれ。日々是自然体。

    【掘り出し物展覧会】不思議な魅力の美術展「廃墟の美術史」に行ってきた! | INTOJAPAN / WARAKU MAGAZINE
  • 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    1981年12月20日寬仁親王殿下の第一女子として誕生。学習院大学を卒業後、オックスフォード大学マートン・コレッジに留学。日美術史を専攻し、海外に流出した日美術に関する調査・研究を行い、2010年に博士号を取得。女性皇族として博士号は史上初。現在、京都産業大学日文化研究所特別教授、京都市立芸術大学客員教授。子どもたちに日文化を伝えるための「心游舎」を創設し、全国で活動中。

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