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ブックマーク / www.bunka.pref.mie.lg.jp (7)

  • 歴史の情報蔵・三重の歴史がよみがえる/県史Q&A

    昭和59年度に着手しました県史編さん事業も早や30年が過ぎ、その間に順次刊行しました『三重県史』は、各巻とも三重県らしい特徴を出した編集となっており、幅広く利用いただいているところです。関係各位のこれまでのご協力に感謝申し上げるとともに、引き続きご支援賜りますようお願い申し上げます。 また、少しでも多くの方々に県史編さん事業に対するご理解とご協力を賜るため、機関誌『三重県史研究』・叢書『県史あれこれ(一)(二)』等の発行、さらにはホームページでの情報発信などを実施しています。 ところで、三重県域の歴史に対する関心も高まりつつあるようで、県史編さん班にも三重県の歴史に関する問い合わせが多く寄せられております。 こうした問い合わせを平成10年に『県史Q&A』として1冊のにまとめました。 このコーナーはそれをインターネットで公開するものです。当ホームページが三重県の歴史を知り、地域を再認識する

  • 庚申信仰 江戸期に流行-誕生寺・庚申塔に戦国期の年号

    一志町誕生寺所蔵「石造阿弥陀如来立像」 近世期を中心にして、ごく最近まで全国的に広く行われていたものの一つに「庚申(こうしん)信仰」がある。 「庚申講」と呼ばれる信者の集団が、干支で言うところの庚申(かのえさる)の日に一戸の宿に集まり、庚申をまつってお神酒・精進料理などを祭壇に供え、念仏を唱えた後、雑談をして時を過ごす。多くは、夜を徹して行われる。 庚申信仰は、道教に説く三尸(さんし)説を母体として、密教や修験道、民間信仰や習俗などが複雑に組み合わさって成立したもので、それによると、人間の体内には三尸という三匹の虫がいる。これらは常に人間の罪を監視しており、庚申の晩に隙を見て天に昇り、天帝にその罪を報告する。その行為によって、人間は早死にすると考えられていた。しかし、庚申の夜に寝なければ、三尸は体内から出ることができず、天に昇ることもない。したがって、庚申の日に身を謹んで徹夜すれば、早死に

  • 地元誌に見る改修工事―明治~大正期の熊野街道

    海野隧道(古里歩道トンネル)ー『三重県の近代化遺産』よりー 2004年(平成16)7月、熊野古道が「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録された。そして、今年の2月10日には尾鷲市に「熊野古道センター」も開館した。多くの人たちが熊野古道を訪れ、峠の石畳道を歩き、道標や路傍の石仏に昔日の面影をしのぶことができるようになった。この古道は、今後も文化遺産として保護が進められていくであろうが、東紀州地域の発展には道路の改修や高速道路の建設も必要であり、現在一部開通した近畿自動車道紀勢線の東紀州への早期延長が強く望まれている。 東紀州地域は、古くは峠を歩いて越す熊野古道や海運が主たる交通の手立てであったが、熊野灘が荒れているときは何日も航海を見合わせなければならず、明治期以降、車馬の通行できる街道の整備が課題となってきた。1886(明治19)年~88年には、一部で街道改修工事がなされ、県庁文

  • 歴史の情報蔵・三重の歴史がよみがえる/発見!三重の歴史

    県史編さん事業を進めていく中では、新しい事実の発見など、様々な驚きを抱くことがあります。そうしたことを情報発信するため、平成15年7月より毎日新聞三重版において、毎週水曜日「発見!三重の歴史」を連載いたしました。 このコーナーは、その原稿をインターネット上で公開するものです。 当ホームページを通して三重県の理解を一層深めていただき、歴史おもしろさを知っていただければ幸いに思います。 なお、公開に当たり写真提供など御協力いただいた方々には、この場を借りてお礼申し上げます。 続発見!三重の歴史(2008年10月20日更新)もご覧ください 見たい時代をクリックしてください 原始・古代 中世 近世 近現代 民俗

  • ノミ痕に独自の精神性-諸国遊行で造仏した円空

    津市真教寺の十一面観音立像 江戸時代前期、造仏活動を行いながら諸国を遊行した「円空」という僧侶がいた。彼が生涯をかけて彫った仏像は、当時の形式化した職業仏師の像とは異なり、作者の持つ宗教的な精神性が粗削りの作風の中に見事なまでに表現されている。それらは今も高い評価を得ていると同時に根強い人気を誇っており、円空仏に関する展覧会や出版物も多数見ることができる。 円空は、寛永9(1632)年に美濃国竹ヶ鼻(現岐阜県羽島市)に生まれた。若くして出家したのち、美濃・飛騨地方から東日を中心として諸国を巡り、遠く北海道にもその足跡を残している。また、12万体の造仏を祈願したと伝えられ、現在、大小四千体を越える仏像が確認されている。そのほとんどは生まれ故郷の中部地方を中心に残されており、円空作品全体の約9割を占めている。最も数が多いのが愛知県で、次いで岐阜県である。 延宝2年(1674)の夏、円空は志摩

  • 三重県|三重の文化(文化総合)

    「三重県文化振興条例」(令和5年9月26日施行)第9条に基づき、文化の振興及び文化により生み出される価値の活用に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、「三重県文化振興計画」を策定しました。 詳しくは、こちらをご覧ください。 三重県文化振興条例 「三重県文化振興条例」を令和5年9月26日に公布・施行しました 「三重県文化振興条例」は、文化の振興および文化により生み出される価値の活用に関し、基理念を定め、県の責務等を明らかにするとともに、「文化の振興」、「文化にふれ親しみ、創造する環境づくり」、「文化を育み、継承する人材の育成」、「三重の歴史的資産等の保存、活用及び継承」、「文化を生かした地域の活性化と魅力の発信」に取り組んでいくことを規定しています。 01 三重県文化振興条例(文) 02 三重県文化振興条例(概要).pdf 03 三重県文化振興条例(解説).pdf 県立文化施設

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