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2008年12月21日のブックマーク (3件)

  • カウントダウン - 内田樹の研究室

    金曜日の教授会が終わって、年内は会議があと一つ、授業が一つでおしまい。 これで「サラリーマンとして迎える年末」も残り2シーズンとなった。 いろいろなものがカウントダウンで消えてゆく。 「初級フランス語の授業」はもうあと2週で終わりである。 2009年度からはクラス担当をはずしていただいたからである。 28歳から教壇に立ってフランス語の文法を30年教えてきた。 それもあと2週、前未来と中性代名詞と半過去まで教えて、私の「フランス語教師人生」は終わる。 そのあと、フランス語を教えるという機会はもう二度とないであろう。 「ゼミ生面接」も今年が最後である。 今の2年生(来年度のゼミ3年生)といっしょに私も卒業するからである。 毎年12月に数十人の2年生と膝突き合わせて、その知的関心の奈辺にあるかを聞き取るという、たいへんおもしろいイベントであったけれど、それももうおしまい。 学院標語のマタイ伝を拝

    yam1226
    yam1226 2008/12/21
    「武士道といふは死ぬ事と見附けたり。~」(山本常朝、『葉隠』) 「家職」という言葉を読んで、若いときの私は「視野の狭い人だな」と思った。 今は違う。
  • 失敗したときは対面ベースで謝罪すること - 発声練習

    はてな匿名ダイアリー:単著 自分は、今考えると血迷っているとしか思えないのだが、「卒論の先生は日語の論文誌を下らないと思っている→ただし、先生の名前が自分の後ろに付く以上、やはり先生としては見ないわけにはいかないだろう→今回は自分のわがままで日語の論文誌にしたいといいだしたのだから、自分の単著で論文誌を出したら先生は責任を負わずに済むのではないか」などと考えてしまい、「この論文を単著で出したらどうなるのですか?」と卒論の先生に聞いてしまった。 理系では、学生が単著で出すのはあり得ない。 (文系では、どんなに先生が直したとしても単著で出すのが基かもしれないが・・・) 当然、卒論の先生は怒ってしまった。 自分はすぐに、謝罪のメールを送ったが、それ以上に、自分自身が情けなかった。 結構良くある話ではないかと。私も研究室で進めている研究の流れにある研究成果において単著の論文を投稿して指導教員

    失敗したときは対面ベースで謝罪すること - 発声練習
  • 「おせっかいな人」の孤独 - 内田樹の研究室

    鹿児島に行った話を書き忘れていた。 鹿児島大学におつとめの旧友ヤナガワ先生に呼ばれて、鹿児島大学が採択された教育GPの一環として、キャリア教育について一席おうかがいしたのである。 キャリア教育については、もし「労働のモチベーション」をほんとうに上げようと望むなら、「自己利益の追求」という動機を強化しても得るところはない、と私は考えている。 その話をする。 これについては、『潮』と『新潮45』の近刊にも書いているので、繰り返しになるが、私はこう考えている。 「仕事」には「私の仕事」と「あなたの仕事」のほかに「誰の仕事でもない仕事」というものがある。そして、「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考え方をする人のことを「働くモチベーションがある人」と呼ぶのである。 道ばたに空き缶が落ちている。 誰が捨てたかしらないけれど、これを拾って、自前のゴミ袋に入れて、「缶・びんのゴミの日」に出すの

    yam1226
    yam1226 2008/12/21
    「災厄は先送りせねばならない」ということと「災厄の芽は気づいた人間が摘まなければならない」ということが私たちの社会の常識に再度登録されるまで、私は同じことを執拗に繰り返さねばならない。