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ブックマーク / www.nippon.com (12)

  • 検証アベノミクス:経済政策として不十分だった真因

    安倍晋三政権に始まり、菅義偉政権へと継承されていた「アベノミクス」。しかし、「新しい資主義」を標榜(ひょうぼう)する岸田文雄首相の登場により、その看板が下ろされようとしている。そこで、アベノミクスとは何だったのか、日経済にどんな影響を与えたのか、安倍氏は所期の目標を達成したと言えるのか、経済評論家の加谷珪一氏が総括する。 岸田政権は所得の再分配を重視する「新しい資主義」を掲げている。岸田氏は自民党総裁選の段階から「小泉改革以来の新自由主義的政策を転換する」と発言しており、安倍政権や菅政権の経済政策とは一線を画す方向性を明確にしてきた。だが、アベノミクスとは、そもそもどのような経済政策だったのか、この部分をはっきりさせなければ、岸田政権の新しい資主義についても正しく評価することはできないだろう。 初期に打ち出された「3の矢」の意味 安倍政権の経済政策であるアベノミクスの評価は真っ二

    検証アベノミクス:経済政策として不十分だった真因
    yyamano
    yyamano 2022/07/13
  • レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん

    80年代半ば、レゲエ音楽にデジタル革命をもたらし、“モンスター・リディム”と称される「スレンテン」。その誕生の裏側には、カシオ計算機(社:東京都渋谷区)の電子キーボードと新卒の女性開発者の存在があった。スレンテンのルーツ・奥田広子さんが、初めてベールを脱ぐ。 スレンテンのルーツはカシオトーンの音源 ジャマイカのシンガー、ウェイン・スミスの『Under Mi Sleng Teng(アンダ・ミ・スレンテン)』は、レゲエの世界に革命をもたらしたと言われる。友人のノエル・デイヴィーと2人で、カシオの電子キーボードを使って作曲したダンスホール・レゲエだ。1985年に大ヒットすると、デジタル音の心地よく、常習性のあるリズムは、またたく間に世界中に広がっていく。 レゲエでは、ドラムとベースのリズム体を「リディム」や「バージョン」、「オケ」などと呼び、これを繰り返すことで曲に鼓動を生む。同じリディムで複

    レゲエ界に革命を起こしたリズム「スレンテン」は日本人女性が生み出した:カシオ開発者・奥田広子さん
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    yyamano 2022/01/03
  • 【新刊紹介】右に行こうか、左に行こうか。街の迷宮への誘い:栖来ひかり著『時をかける台湾Y字路』

    【新刊紹介】右に行こうか、左に行こうか。街の迷宮への誘い:栖来ひかり著『時をかける台湾Y字路』 Books 社会 文化 暮らし 国際 2019.11.02 アーティスト・横尾忠則さんのY字路シリーズから着想を得た著者が、なぜかY字路がとても多い台湾の街の隅々まで歩きながら調べ上げた。迷宮のように入り組んだ台湾の路地裏めぐりにかんする新しい楽しみ方を提示する一冊。 Y字路の定義とはなんだろう。 まずは言葉どおり「Y」のかたちをした三叉路のことであるだろう。そして、この言葉を発明したのは横尾忠則氏である。日を代表するグラフィック・アーティストである横尾氏の代表作「Y字路シリーズ」は、氏の故郷のY字路風景を起点として、さまざまなY字路風景に過去・現在・未来・空想・現実の表象を描きこんだ、魅惑的な絵画シリーズだ。 インターネットで検索してみると、Y字路を愛好する人は少なくなくて、それぞれに自分の

    【新刊紹介】右に行こうか、左に行こうか。街の迷宮への誘い:栖来ひかり著『時をかける台湾Y字路』
    yyamano
    yyamano 2021/02/20
    “時をかける台湾Y字路”
  • 日本を想い続ける台湾人―元祖・台湾哈日(日本大好き)族、哈日杏子

    1990年代末、台湾に「哈日族」と呼ばれる、日が好きでたまらない若者たちが出現。台湾の大人と日人を驚かせた。「哈日」という言葉を創作した漫画家でエッセイストの哈日杏子さんが、今も続く日への熱い想いを綴った。 2013年現在、みなさんは「哈日(ハーリー、またはハールー)症」と聞いて、どんなことを思い浮かべるでしょうか。懐かしいと思うでしょうか。それとも初めて聞く言葉でしょうか。まずはこの「哈日症」について説明しましょう。 日が好きでたまらないという造語「哈日」 「哈日」という語は、私が創った言葉です。台湾で話される北京語には従来なかった言葉で、1996年に出版した4コマ漫画『早安日(おはよう日)』の中で初めて用い、自分のペンネームにも使いました。「哈」は台湾語(台湾で話される閩南語[びんなんご=中国福建省南部の地方語])の「ha」から来ており、元の意味は「とっても欲しい」「欲しく

    日本を想い続ける台湾人―元祖・台湾哈日(日本大好き)族、哈日杏子
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    yyamano 2020/10/26
  • お弁当名店・崎陽軒の台湾進出:日台弁当文化のこれだけの違い

    このほど台北駅に、シウマイ弁当でおなじみ、100年以上の歴史を持つ横浜の老舗『崎陽軒』の海外進出1号店が誕生した。日の駅弁専門店の台湾初進出は現地でどう受け止められているのだろうか。また、崎陽軒は台湾習慣をどのように反映させたのだろうか? 日台湾の弁当文化の違いとは一体何なのだろう? 日のシウマイが台湾に進出 台湾人は温かい料理を好む。そんな台湾人は日式の冷めた弁当を受け入れることができるのだろうか? この問題について崎陽軒は大きな決断を下した。台湾では温かいシウマイ弁当を販売することにしたのだ。売り場にはモクモクと白い蒸気を上げる蒸し器も置かれている。中身は加熱中のシウマイだ。こうして崎陽軒はシウマイが「温かい」ことをアピールしているのである。 え? そもそも冷めてもおいしいシウマイ弁当が、台湾では熱々のシウマイ弁当になっている? 日人にとっては不思議なことかもしれない。

    お弁当名店・崎陽軒の台湾進出:日台弁当文化のこれだけの違い
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    yyamano 2020/10/26
  • 『柳しま』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第64回

    歌川広重『名所江戸百景』では第32景となる「柳しま」。浮世絵師の大先輩・葛飾北斎が信仰し、吉運を開いたという柳島妙見の周辺を描いた一枚である。 2つの頂きを持つ山の正体は? 現在の墨田区南東部の広域に、古くは「柳島」と呼ばれた一帯があった。広重の時代には、隅田川と中川を東西に結ぶ北十間川(きたじっけんがわ)の南側、南北を流れる横十間川(よこじっけんがわ)の両岸に「柳島」を冠した町や村が点在した。この絵は春の景として、横十間川が北十間川と交わる手前に架かる柳島橋(現・墨田区業平5丁目、江東区亀戸3丁目)周辺を描いている。 中央の建物は柳島橋西詰めにあった料亭「橋」で、晩春の季語・若鮎(わかあゆ)の料理が評判だった。当時のグルメにも載る有名店で、この絵のスポンサーだという説もある。その左側、朱塗りの塀に囲まれるのが、法性寺(ほっしょうじ)内の「柳島妙見堂(みょうけんどう)」で、江戸っ子たち

    『柳しま』:浮世写真家 喜千也の「名所江戸百景」第64回
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    yyamano 2020/05/03
  • 日本人は銃剣で子どもを殺していたのよ——「親日」と「反日」の狭間で

    「親日台湾」という言葉に違和感 日に住んでいると、初対面の人から「出身はどこ?」と聞かれるときがある。それなりに日語を巧みに操っているので、ほとんどの場合、相手は日の地名が返ってくるのを想定している。そこで「台湾」と答えるとちょっとしたカミングアウトになるのだ。 ありがたいことに、「台湾」と答えて嫌がられることはあまりない。逆に、「私、すごく台湾が好き!」と言ってくれる人が多かった。東日大震災以降、「台湾は親日国」という印象がかなり定着したように思われる。実際に台湾旅行した日人も「台湾人は日人に優しい」と口々に言う。各分野での民間交流が進んでいることもあり、日では今、ちょっとした「台湾ブーム」が起こっているようだ。嫌われるよりかはもちろん好かれる方がいいので、台湾出身者としてはこの状況をありがたく思っているが、一方、「親日台湾」といった言葉を耳にするたびに、少しばかり違和感

    日本人は銃剣で子どもを殺していたのよ——「親日」と「反日」の狭間で
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    yyamano 2019/07/18
  • 台南に求められる開発と保存の「バランス」

    と見どころがいっぱいの台南近頃の台湾は、中国との関係や、地震の影響を受け、屏東の墾丁や花蓮の太魯閣、嘉義の阿里山など、台湾を代表する観光地の観光客数が激減し、軒並み打撃を受けているらしい。その中で、南部の「台南」は、観光客の減少が見られず、成長し続けている数少ない地方都市だ。 なぜ台南は人気があるのか?台湾人の親戚や、友人に聞けば、みんな「因為有美!(おいしいべ物があるから!)」と答える。われわれ日人にとって、台湾べる台湾料理はどこでもおいしいが、台湾人にとっての美の街といえば台南を連想するのだ。熱々のスープに新鮮な牛肉をさっと通した「牛肉湯」や、台南の沿岸地区で養殖されている虱目魚(サバヒー)を使った「虱目魚粥」、プリプリのイカが入った「小巻米粉」など、おいしい台南の小吃(小皿料理)は枚挙にいとまがない。 また、孔子廟に赤崁楼、林百貨店、台南文学館など、台南には見るべき歴史

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    yyamano 2018/10/02
  • 「国籍」は揺らぎ続ける—世界の潮流から取り残された日本の国籍法

    2018年3月、外国籍取得に伴う日国籍喪失は「違憲」だとして、欧州在住の男性らが提訴。また、昨年の蓮舫議員の二重国籍問題を巡る論議は記憶に新しい。現在の日の国籍法は、時代の要請に沿うものなのか。歴史的経緯や時代的背景を踏まえ、移民問題を研究する社会学者が検証する。 最近、二重国籍問題や日国籍喪失を巡る裁判などがニュースになり、日の国籍の在り方に改めて注目が集まっている。二重国籍は、国際結婚から生まれた子の国籍選択の規定(22歳になるまでに日国籍を選ぶか否かを決める)に深く関わる。そもそも、日で最初の国籍法は国際結婚に対応するためのものだった。 19世紀に生まれた「先進的」国籍法近代日の国籍法は明治6年(1873年)の太政官布告第103号に始まるといわれる。この布告は外国人と結婚した日人女性および日人と結婚した外国人女性の国籍の在り方を決めたものだ。そして、これが最初の国籍

    「国籍」は揺らぎ続ける—世界の潮流から取り残された日本の国籍法
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    yyamano 2018/05/09
  • テレサ・テン没20年。今も変わらぬ「アジアの歌姫」人気

    没後の売上げ300万枚 80年代に日でも数々のヒット曲を生んで人気を博した「アジアの歌姫」テレサ・テン(鄧麗君)が、タイのリゾート地チェンマイで喘息発作のために急逝してから2015年5月で20年が経った。相変わらず彼女のヒットソングはカラオケリクエストの上位にランクしており、没後に日で発売されたCDやDVDの売上総数は300万枚に近づいている。日人にこれほどいつまでも愛されている外国人歌手は珍しい。その抜群の歌唱力や愛くるしい容姿、それだけが人気の理由ではないはずだ。 写真提供:ユニバーサルミュージックジャパン テレサ・テンは音楽好きな母親の影響を受けて、小さい頃から中国の伝統歌謡に親しんでいた。そのため歌詞の大切さがよくわかっていたのだろう。「詞」とはもともと、「曲子詞」(歌謡文芸)を縮めた言葉である。中国では「詩」よりも一段低い位置に甘んじていたが、宋代にその叙情性が認められると

    テレサ・テン没20年。今も変わらぬ「アジアの歌姫」人気
    yyamano
    yyamano 2018/02/23
  • 『BRUTUS』台湾特集表紙問題:台湾人が不満を感じた理由 | nippon.com

    7月15日に発売された日の雑誌、『BRUTUS(ブルータス)』台湾特集号の「表紙」が台湾メディア上で「炎上」と言っていいほど大きな話題になった。 この騒動の前提として、『BRUTUS』はすでに流行に敏感な台湾の人たちから格別な支持を受けていたことがある。台湾の書店やカフェ、クリエイターの手元には必ずと言っていいほど置いてあるこの雑誌は、若い世代の台湾カルチャー、つまり日や米国・欧州の文化を吸収しながら「台湾文化とは何か」を考えつつけん引してきた世代にとって、なくてはならない雑誌で、だからこそこれだけ注目が集まったと言えよう。 「街の表情」を巡り賛否両論表紙は台南の有名な美街である「国華街(グオホアジエ)」の路上写真。 これまでの日の雑誌の台湾特集では、あくまでも主役は「べ物」や「街の雑踏の中にいる人物」だったが、今回の主役は「街の表情」そのものである。 台湾で論争の発端となった意

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  • 大衆音楽の「戦後」はいつはじまったのか?

    GHQ主導のラジオ番組「のど自慢」や進駐軍クラブから多大な影響を受けた戦後歌謡曲。しかし、敗戦で日の大衆音楽が生まれ変わったわけではない。戦後初期に焦点を当て、戦後歌謡史を検証する。 俗に「歌は世につれ、世は歌につれ」という。世が歌につれることはあまりないし、そもそもある歌謡が単純に世相一般を反映していると考えることにも疑問がある。とはいえ、戦後日において、歌謡が人々の集合的な記憶と深く結びついてきたこともまた間違いない。稿では、「歌」と「世」が人々の記憶の中で撚り合わされるさまざまな仕方にも留意しながら、戦後初期の大衆音楽史をひもといてみたい。 終戦後初のヒット曲「リンゴの唄」は戦時中につくられた 並木路子は1921年東京浅草に生まれ、5歳まで台湾で過ごす。1936年、松竹少女歌劇学校に入学。翌年、浅草国際劇場で初舞台。数々の舞台を踏み、戦時中はフィリピンや上海を慰問団として訪れる

    大衆音楽の「戦後」はいつはじまったのか?
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