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歴史に関するziglarのブックマーク (48)

  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 20 (スターリン最後の反撃)

    朝鮮戦争が西欧諸国に与えた衝撃は翌1951年後半頃にはすっかり醒めてしまいます。極東の戦争がヨーロッパには飛び火してこないとほぼ確信されたからですが、ドイツ国内の再軍備気運も同時に落ち着いてしまいます。こうした隙を突くようにして提示されたのがソ連からのドイツ中立化提案でした。 西ドイツの再軍備はNATOの傘下に入る前提がある限り西欧諸国にとっては非常に有望な計画でしたが、東側、すなわちソ連にとっては今まで通常兵力で話にならない程に弱体だったNATO軍に西ドイツ軍が加わることは無視できない問題でした。核戦力での劣勢を通常戦力での優勢で補っていたソ連にとって新しい西ドイツ軍の誕生は絶対値として12個師団以上の地上兵力増強と新たな海空軍部隊の出現を意味していますから冷戦の行く末を変える一大事です。 そこで病床にあった晩年のスターリンは最後の取引を持ち掛けます。その切り札は「ドイツの再統一」でした

  • 南アルプスを越えられなかった中央自動車道

    国土交通省の交通政策審議会で、JR東海が計画しているリニア新幹線のルートが南アルプス経由に内定した。あてが外れたのは長野県。1989年以来、迂回(うかい)しても経済効果が見込めるとの理由で、対案の伊那谷ルートを推進してきた。これが覆った。 逆に、いったん南アルプス経由と決まったものの、後に伊那谷経由へと覆ったのが中央自動車道だ。ルート変更を巡る逆転劇があったのは半世紀前のこと。当時の記録が山梨県身延町の「身延町誌」や国会会議録検索システムなどに載っている。歴史を少し振り返ってみよう。 1957年の国会で建設法が成立 敗戦からの復興期、交通網整備の必要性が叫ばれた。国土を貫く高速道路を通して新たな都市と農村の建設を促進する法律「国土開発縦貫自動車道建設法」が1957年(昭和32年)の国会で成立した。超党派による議員立法だ。 中央道の建設計画は同法に基づいている。ルートは途中、静岡市北部の南ア

    南アルプスを越えられなかった中央自動車道
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 7 (「対ソ戦のプロフェッショナル」)

    ドイツの将軍達が戦史を書くのは歴史を重視するプロシア陸軍以来の伝統とも言われます。けれども敗戦後に書かれた回想録は必ずしも事実に根ざしたものとは限りません。ハルダーの下で戦史編纂作業の統括をつとめたホイジンガーなどはどう考えても立ち会っていないだろう場所や部署での会話や状況をまるで自身がその場にいたかの如く書き上げたことで批判されていますが、トップに立つ人物の回想がこの有り様ですから他の将軍達の叙述にもルールに従って大幅に脚色された部分が含まれることになります。 そして1948年頃になるとヒトラーだけでなく、国防軍総司令部のカイテル、ヨードルといったOKWの将軍達も批判の的になり、「諸悪の根源はヒトラーと国防軍総司令部であって陸軍参謀部は純粋に軍事的な組織である」と明確に主張されるようになってきます。「武装親衛隊は戦闘部隊であって一般のヒトラー親衛隊とは区別しなければならない」という武装

    ziglar
    ziglar 2011/05/29
    タイトルの意味がやっと飲み込めてきた。実際よりも強大な敵と、有能だが味方のせいで力を発揮できなかった自分たち。だからこその「幻」なのか。
  • いろいろクドい話 » 幻の東部戦線 6 (ドイツ軍戦記執筆のルール)

    敗戦後、捕虜となったドイツの将官には連合軍からの尋問と戦犯としての裁判が待っていました。ニュールンベルク国際軍事法廷です。この裁判の結果は紹介するまでもありませんが、開廷までの間に被告となった将軍達の弁護資料として大規模な供述書が作られています。 これが「将軍供述書」と呼ばれる文書ですが、この文書は連合軍側からの一方的な尋問によるものではなく、ドイツの将軍達の自主的な主張が将軍達の手でまとめられているところに特徴があります。 序言 ブラウヒッチュ(元陸軍総司令官) 1920年~1933年までのドイツ軍 マンシュタイン及びヴェストファル(元西部軍参謀長) 1933年~1938年3月31日まで ( 同上 ) 1938年春~1942年秋まで  ブラウヒッチュ及びハルダー(元陸軍参謀総長) 1942年秋~1944年春まで  マンシュタイン及びヴェストファル 戦争最終年         ( 同上 )

    ziglar
    ziglar 2011/05/26
    ドイツには、戦後自らをソ連との戦いに役立つと売り込む必要があったというのは、気がつかなかった。国防軍賛美にも、単なるナチスとの差別化以上の意味があったということか。
  • TwitLonger — When you talk too much for Twitter

    輪島裕介 2010 『創られた「日の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』 光文社新書 ノート 【第一部】 近代日大衆音楽史を三つに区分 第一期 レコード会社専属制度の時代(昭和初期[20年代後半]~30年代[50年代後半]) 第二期 フリーランス職業作家の時代(昭和40年代[60年代末]~昭和末期[90年代]) 第三期 J-POP以降の時代 演歌=自由民権運動の壮士の演説歌 → 第一期末の演歌士≒流しの芸人たる添田唖蝉坊・知道親子による「創建神話」 第一期あたりでの「演歌」の支配的な説明。 「艶唄」は「演歌」の頽落形態ととらえられる。 【第二部】 第三部において解説される「新左翼知識人」が日の土俗的原型をみた「艶歌・演歌」に 実際には「民謡調」「浪曲調」「流し歌」「やくざ歌」「ムード歌謡」「ナツメロ」といった多様な(かならずしも日土着とはいえない)スタイルの音楽が流れ込んでい

  • それにつけても金のほしさよ やる夫がフューラーになるようです 第36章 意志の勝利

    1 名前: ◆Qx5/ucOlCU [sage] 投稿日:2011/01/29(土) 15:08:33.05 ID:AjT+FIdT0 _,--,___  __ _   ___,--,__ \ /   .| l l ─┐  ニニ    '-  ,-, / ./ // / /__    __/ /  ̄ | ̄ / ユ ̄ /  ̄   / /_/ /__/ // /__. /   / S W O R D F Ü H R E R     / /  ̄ /  //   //__//__/  ̄      ̄ ̄  ̄ ̄ /i ||: |                    最終話 労働は自由 終 す               ||: | わ べ              ||: | .         ら て          ||: | せ を            ||: | る           

    ziglar
    ziglar 2011/01/31
    お疲れ様でした。
  • 『戦国の城:美濃松尾山城』中井均(歴史群像No.105)を読んで 「秀元様、なんか関ヶ原で合戦になったみたいですが」「は? なんで? 大垣は?」 | Drupal.cre.jp

    私の関ヶ原の合戦の一番古い記憶は、小学校のときに読んだ「まんが日歴史」でお坊さんのような大谷吉継が「ふ、小早川の裏切りは予定のうちよ」とうそぶいている場面である。 その裏切り者とされる小早川秀秋がいたのが、松尾山だ。関ヶ原を見下ろす山の上である。 その後、関ヶ原を題材にした小説漫画映画ゲームやらを通して、あれこれ妄想を膨らませてきた私の中で、空白というか、意味不明のまま保留の棚に置いておいたのが、実は小早川の裏切りではなく、毛利秀元の不可解な動きである。 もちろん、東軍と内通していた吉川広家が秀元を押さえたなどの理由はあるだろうが、それにしても、妙な位置で遊軍になっている。 いったいなんで、彼らはこんなところに取り残されたのだろう? その長年の疑問であるが、中井均さんの『戦国の城:美濃松尾山城』の記事を読みと図版をながめていて、なるほど、と得心した。 南宮山の陣城は、大垣

  • 日中間の隔たりがこれほど大きく深い理由  JBpress(日本ビジネスプレス)

    動画投稿サイトの「ユーチューブ」で今、意外な大ヒットとなっているのが、小さな漁船を巡る40分あまりの動画だ。既に日人と中国人を中心に150万人を超える人々が、この海のドラマを閲覧した。 スケートボードに乗るブルドッグを撮影した40秒ほどの動画「Tyson the skateboarding dog」の閲覧者数に肉薄する勢いである。 題材となっている中国籍のトロール漁船は、今年9月、日中関係を2005年以降で最悪の状況に追いやった事件の主役だ。先週漏洩したこの映像は、無人でありながらその領有権が激しく争われている尖閣諸島(中国名は釣魚島)の近海で、中国の漁船が日の海上保安庁の巡視船に体当たりをしている様子を示そうとしたものだ。 ビデオ流出で再び火がついた論争 この映像が世に出たことで、日が漁船船長を逮捕したことを巡る論争に再び火がついている。9月にはこの逮捕が日中の外交問題に発展した。

  • media debugger - 尖閣諸島=釣魚諸島の歴史的経緯は?

    尖閣諸島=釣魚諸島の沖合で海上保安庁の追跡を振り切ろうとして巡視船に衝突し、海保に逮捕された中国漁船の船長の拘置が延長された。事件については、9月9日の段階で各紙が一斉に社説で報じている(▼1)。内容は今さら説明するまでもなく、(1)「逮捕は当然」であり(読売・朝日)、「日の対応を非難する中国側に理はな」く(毎日)、「政府が「法令に基づき厳正に対処していく」(仙谷由人官房長官)としているのは当然」であり(東京)、むしろ「事件発生から逮捕まで半日近くかかったのは疑問」(産経)であり、(2)「ネット世論が混乱を煽(あお)った5年前の「反日」暴動を再現させるようなことがあってはなるまい」(読売)、「ネット上でも対日批判の書き込みが相次ぎ、北京の日大使館前では抗議活動があった」(朝日、毎日・東京も同様)、「単なる違法操業でなく、漁船を装った情報収集や工作活動の疑いもある」(産経)などとして、(

  • 南京事件論争についての私見:考察NIPPON

    南京事件についてはまだまだ不勉強ですので、私見を述べるのもはばかられますが、現時点での自分の考えを整理しておくのも一興かと思いますので、少し書いておこうと思います。 (もちろん、「現時点での意見」ですので、今後変化していくかもしれませんし、今の意見がさらに強化されるかもしれません。) ここ最近では、4ほど当時の中国大陸の日軍の軍紀の乱れについてエントリーを書きました。 ・支那事変勃発から一年半で732名も ・支那事変時の軍紀の乱れの特徴 ・南京事件を批判して自決した軍人がいた ・南京事件の「皇軍」に対する当時の日人の嘆き 誤解されると嫌なので先におことわりしておきますが、 軍紀が乱れていた → 日軍は酷かった → だから日は悪い国。 なんて、ちょーシンプルなことを言うつもりは毛頭ありません。 乱れていたのには、何か原因があるはず、 ・何でそうなってしまったのか ・どこに問題があっ

    ziglar
    ziglar 2010/09/08
    必ずしも南京事件当時の状況ではないだろうが、「軍務にあたる期間が長くなった」「ゲリラ対策として、小部隊が分散して駐屯(統制が効きにくい)」等々が指摘されていたような。
  • ミニスカートが作られた目的は、誘惑じゃなくて税金対策 - みやきち日記

    産経新聞に曾野綾子氏が書いたコラムが話題を読んでいるようです。全文は強姦するのが男の性なら去勢するのが自己責任でしょ - フランチェス子の日記で読めますので、未読の方はまずそちらをどうぞ。 あたしがこのコラムで気になったのは以下のくだりです。 ヨーロッパ在住の日人が驚いているのは、日の女子校が、どうして制服にあんな短いスカート丈を許すのか、ということである。あれでは男たちに手を出してください、といわんばかりですね、と彼らは言う。 太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと言うのは、女性の側にも責任がある、と言うべきだろう。なぜならその服装は、結果を期待しているからだ。 それ、根底から間違ってますよ曾野綾子さん。 ミニスカートは1950年代に英国でマリー・クワントによって発明されました。クワントがミニスカートを作った目的は男性の誘惑ではなく、 税金対策(当時の英国では丈が短ければ『子供服

    ミニスカートが作られた目的は、誘惑じゃなくて税金対策 - みやきち日記
    ziglar
    ziglar 2009/12/05
    こんな税金があったんだ。さすが慣習法の国、英国。
  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

    ziglar
    ziglar 2009/04/20
    これで、「10年前の」話なんだよな。
  • Дневник Сейтена:「台湾=親日」

    NHKが、台湾の日統治時代について扱ったドキュメンタリーにおいて、統治時代の差別や構造的暴力について扱い、統治を肯定しない論調で語った。これに対して「反日」だと叫ぶ声が散見される。 「反日」という扇情的なコトバの意味するところを窺い知るのは難しい。が、おそらくは、「当は台湾は『親日』的で日統治時代を肯定的に捉えている」のに、否定的な声を拾い集めて前面に押し出し、日時代を否定的に語っているとして怒っているらしい。つまり前提として「台湾は『親日』」という認識がある。そうした「自分の認識に反する」番組制作がなされたので、日を貶めるために恣意的に「真実とは反する」放送をしたとでも言いたいのだろう。 しかし「台湾=親日」という幻想にこそ辟易しますね。 戦後台湾は、蒋介石一派による省人の虐殺・弾圧、中華民国と中共との対立、それに拍車を掛け下支えた冷戦の文脈、戒厳令下における暴力と民主

    ziglar
    ziglar 2009/04/13
    言葉が、本人の意図とは別に、端無くも、秘めていた思いをあらわにしてしまうことも、あるものだ。
  • 利根川歩き - fujioikn's diary

    「関東平野の隠れキリシタン」を読んでいたら私の住んでいる深谷市の北を流れる利根川流域のことがしきりと出てきた。 徳川家康が生きていた頃、関東平野は利根川をはじめ諸河川が暴れる未墾の土地であり、江戸を発展させるためにはこれの開墾が急務であり、同時に利根川および諸河川の洪水が江戸をもたびたび襲ったためこれの治水が必要であった。 家康は伊那備前守忠次に命じて主に利根川流域の開墾と治水にあたらせた、これは当時の大事業であり、莫大な人員の動員と、当時最新式の技術が採用された。 全国から人員を動員するためこの工事に働く人たちをある種の治外法権においた、その例が大名行列があれば一般の農民町民は平伏させられたが、この工事で働く人たちは平気で働き続けたという。 家康はある時期からキリスト教を弾圧し始めるが、その隠れキリシタンが多勢この治外法権の工事団に入りこんだ、その証拠に利根川沿いにある古い墓地の墓石から

    利根川歩き - fujioikn's diary
    ziglar
    ziglar 2008/10/24
    「関東平野の隠れキリシタン」測量技術は宣教師から伝えられた?これは面白そう。
  • http://www.asahi.com/life/update/0310/TKY200803100193.html

    ziglar
    ziglar 2008/03/11
    昔はあまり遺骨に執着しなかった、というのは、意外なようだが、豊かになったからこそ関心を持てるのだと考えれば、納得できる。これもまた、比較的新しい「伝統」なのだろうか。
  •  豚速(`・∞・´)

    お知らせなのですよ。 試験的にスレ探しのお手伝いをしてくれる方を募集しています。 下記にある掲示板にまとめて欲しいスレ、安価絵、糞スレ等の URLを書き込んで頂けると嬉しいです。 選考の基準は特にありませんので、どんどん書き込んであげて下さい。 [読]で読む。[書]で書き込めるようです。

    ziglar
    ziglar 2008/03/10
    「ルワンダ中央銀行総裁日記」これを読む限りでは、ごく普通の、生まれたてて頑張っている小国。ここであの大虐殺が起きたのだと考えると、やりきれなくなってくる。
  • エジソンの直流固執と日本電気の創業 - 雑種路線でいこう

    「なかのひと」でみるとNECや日ユニシス、富士通の方が熱心に読んで下さっているようだし、ちょっとしたトリビアをひとつ。知っているひとは知っているが、日ユニシスも日SGIも外資ではなく日企業である。*1日ユニシスの筆頭株主は三井物産で、日SGIの筆頭株主はNECだ。むしろキヤノンやソニーの方が外国人持ち株比率でみると外資に近い。 ところでエジソンが直流に拘ったのは有名な話だが、大阪電燈でエジソンの意見に逆らって交流の良さを主張した岩垂邦彦氏は、エジソンの意見に逆らうとは何事かと会社を追われ、当時AT&Tに対し通信機器を一手に納めていたWestern Electricの日総代理人になった。 その一方、「毎日歩き続ける」ことが、天才の視野を狭めてしまうこともある。エディソンがその典型的な例だろう。彼は最後まで交流(AC)の良さがわからず、直流(DC)にこだわりつづけた。 当時、日

    エジソンの直流固執と日本電気の創業 - 雑種路線でいこう
    ziglar
    ziglar 2008/01/13
    「国際通信の日本史」通信傍受を避けるために英国のケーブル網に接続するとは!当時の人たちのスケールに圧倒される。/ID:Poohkid 確かに、無線利用でもロシア軍に先んじていたそうですからね。
  • Home - soccerunderground.com

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    ziglar
    ziglar 2007/08/22
    まさに「独立愚連隊」の世界。
  • svnseeds’ ghoti! - タイムリーにも

    先日書いた「結局先の大戦は、巷間流布する言説とは裏腹に、国民の熱狂的支持のもと始められたものであるなあ」という最近の僕の感想ですが、これに関連してかんべえさんのところ(8/4付)で大変面白そうな「日中戦争下の日」(ASIN:4062583925)というが紹介されていたのでメモしておきます。 すなふきんさんにコメントでご指摘いただいたとおり「巷間流布する言説」というのは大げさだったかなとも思うのですが、しかしかんべえさんのような方でも「『ああっ!』と思った」らしいので、まあそれほど外してもいないのかな、と思った次第。 これは方々で指摘されていることですが(うろ覚えですが例えば中村隆英「昭和史I」(ASIN:4492060588)など)、明治以降日中戦争まで、日が経験した日清・日露や第一次大戦(これはまあタナボタみたいなものですが)の戦争については、すべて日側が勝利したおかげで、国民の

    svnseeds’ ghoti! - タイムリーにも
    ziglar
    ziglar 2007/08/12
    「いっそアメリカと戦争しちまえばいい。ナニ、負けたってかまうめえ、アメリカ相手ならそうひどいことにゃなりゃせんだろ。」確か、「〈民主〉と〈愛国〉」の中にこんな一文あり。
  • http://wing2.jp/~hoi2aarwiki/index.php?%A5%A2%A5%A4%A5%EB%A5%E9%A5%F3%A5%C9%B8%F2%B6%C1%B6%CA%20-An%20Irish%20Symphony-