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宇宙とロシアに関するamanoiwatoのブックマーク (2)

  • ソチと消された宇宙飛行士 | その他 | sorae.jp

    ロシアのソチで6日、第22回冬季オリンピックが開幕した。これから23日までの間、世界中のアスリートたちが熱い戦いを繰り広げる。 ところで、ソチといえば、宇宙開発史の中においても関係が深い場所である。 1961年4月12日に人類初の有人宇宙飛行に成功したユーリ・ガガーリンと、その同僚の宇宙飛行士たちの"6名"は、翌5月に休養のため、黒海に面したリゾート地であるソチを訪れた。 そのとき撮影されたのが上に掲載した写真である。しかし上と下の写真を比べると、後列の真ん中にいる人物が消されているのが分かる。 この消された宇宙飛行士の名前はグリゴーリィ・グリゴーリエヴィチ・ネリューボフという。彼は1934年3月31日にウクライナで生まれ、ソ連空軍のパイロットとなった。彼は優秀なパイロットで、1960年3月7日に、ユーリ・ガガーリンら20名と共に、宇宙飛行士の一人として選ばれ、さらに翌年、ヴォストーク宇宙

    ソチと消された宇宙飛行士 | その他 | sorae.jp
  • ソユーズ1号

    男の友情 1966年1月。ソ連の宇宙開発を主導していたコロリョフの死は、現場を大混乱に陥れた。彼の存在は、あまりにも大き過ぎた…ライバルであったグルシュコが彼の死をどう感じたかはわからないが、そう急に、彼の力で収拾できるものではなかった。 しばらくの混乱の後、第一設計局の長として、長年コロリョフと行動を共にしてきたバシーリ・ミーシン(Vasili Pavlovich Mishin)が任命された。彼はコロリョフがドイツに視察に赴いた際(開発史(4)参照)からの盟友で、コロリョフの主席補佐を務めてきた。技術者としての力も強く、R-7ロケットを作り上げたのは、実質彼だとまで言われる。 当時、ソ連の宇宙開発は行き詰まりを見せていた。1965年のウォスホート2号の飛行が危機一髪だらけであったことから、同型の宇宙船への信頼性が揺らぎ、その後の計画が疑問視されていた。ミーシンの初仕事は、それらを正式にキ

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