ムガル朝の第3代皇帝アクバルがアーグラを首都に定めて赤砂岩による広大な居城を建設すると、後のデリー城と同じく「赤い城」とよばれた。首都はアクバル帝の名をとってアクバラーバードともよばれたが、彼による建造物はわずかしか残っていない。むしろ後継者のシャー・ジャハーン帝が城内にも城下にも燦然と輝く建物を多く建て、ムガル朝の建築芸術を絶頂へと導くのである。この栄光の都も 17世紀には首都がデリーに移されると凋落を始め、その後の略奪やシパーヒー(セポイ)の反乱によって、赤い城のかつての栄華は闇に沈んだ。今は多くの建物が修復されているとはいえ、近くを高速道路が通るなど、歴史的環境は損なわれつつある。 「神はただひとり、天地の創造者である。そしてアクバルこそが、地上における神の代理人である。」こう布告したのは、すでに 30年以上も帝位にあり、みずから「大帝(アクバル)」と名乗ったムガル朝第 3代皇帝、ジ