「美濃のマムシ」と恐れられ、梟雄(悪逆非道な英雄)として知られる戦国大名「斎藤道三」。 「下克上」(下の者が目上の人を討ってのし上がる事)の代名詞とされている人物です。 一介の油商人から一国一城の主にまで登りつめた彼は、まさに戦国の象徴と言え、司馬遼太郎の「国盗り物語」など、様々な小説やドラマで扱われてきました。 ただし、彼の前半生には謎が多く、伝承に彩られています。 そして多くの研究者が独自の新説を唱えているため、近年になるほど逆に実像が解りにくくなっています。 彼はどんな戦国大名だったのか・・・ ここでは定説・通説を中心にご紹介いたします。 彼がどこで生まれ、誰に育てられたのか、イマイチはっきりしていません。 ただ、11才になってから京都の「妙覚寺」というお寺に預けられ、僧侶としての修行をしていたようです。 しかしいつしか、還俗して(僧侶を辞めて)「松波庄五郎」と名乗る、量り売りの油商