太宰治の作品に見られる虐待の影 五十嵐宗雄 上野発夜行寝台急行津軽に、見送りの級友らによる万歳三唱に送られて乗り込み、弘前の大学へ向かったのは40年以上前ではあったが、我が青春の舞台となる弘前に熱い気持ちを抱きながら、太宰治の「津軽」を読んだ記憶は未だ色あせず記憶に残っている。見知らぬ北国弘前を「津軽」が暖かく語り、微笑んで迎えてくれた。 太宰論は従来より極めて多いが、生誕100年に当たる今年、その評論は特に目立つ。かつて手が付けられていなかった、作品の映画化も始まった。太宰を評価しない人は多く、彼らは「人間失格」のような暗く逃げ場のない世界を生理的に嫌う。太宰を評価する人でも「はしれメロス」と「ヴィヨンの妻」が同じ作家によるものとは信じ難いとか、揚げ句は「津軽」、「富岳百景」、「お伽草子」の様なものだけを書いていれば良かったとする意見まで見られる。多くの人は彼の二面性に戸惑っているように