語り部として樺太アイヌの歴史・文化を伝える楢木貴美子さん=札幌市北区で2022年8月10日、真貝恒平撮影 30年前の1992年、85歳で亡くなった樺太アイヌの母チヨさんの遺品を整理していた楢木貴美子さん(74)=札幌市=は、チヨさんの手記を発見する。「なんで稚咲内(わかさかない)に来たんだろう。砂浜で泣き崩れてしまった」。手記には、家族には言えない心情が赤裸々につづられていた。 サロベツ原野が広がる北海道北部の豊富町に稚咲内地区がある。楢木さんが幼少期に育った地だ。楢木さんが生まれる前、家族は樺太(現ロシア・サハリン州)で暮らしていた。しかし、太平洋戦争末期の45年8月、旧ソ連軍が日ソ中立条約を破棄して樺太に侵攻。樺太アイヌの多くが移住を強いられ、楢木さん一家は父の故郷である青森県弘前市に逃れ、楢木さんはそこで9人兄妹の末っ子として生まれた。 楢木さんが生まれて間もなく父が他界。楢木さんが