とうとうか... 遅すぎたくらいだよ じゃあ、ここからすごいものを投稿しますね https://t.co/kISgb3C5q8
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応援してくださっている皆さま、関係者の皆さま 弊社所属 櫻井孝宏について、報道がなされております件につきまして 日頃より応援してくださっている皆さま、関係者の皆さまに 多大なるご迷惑とご心配をおかけしておりますことを、深くお詫び申し上げます。 今回の記事に掲載されている女性から、櫻井は1000万円を請求されており、 指定期日までに対応がない場合、当該女性の納得のいく方法・手段を実施すると 伝えられておりました。 法外な金額であったことから、櫻井が個人で委任した弁護士を通じて要求を断ったところ、 報道がなされた次第です。 このような背景があるため、弊社といたしましても顧問弁護士と対応を協議しております。 重ねまして、この度は皆さまへ多大なるご迷惑をおかけしております事を 心よりお詫び申し上げます。 皆さまの信頼回復に誠意をもって対応してまいります。 2023年1月18日 株式会社インテンショ
なんで謝らなくちゃいけないの? アジアを侵略してたのは欧米帝国主義のほうなんだぜ。 大東亜戦争は、日本にとって自存自衛の戦いだったし、白人からアジアを解放する偉業まで成し遂げた正義の戦争だよ。 日中戦争はむこうから仕掛けてきたんだ。日本は罠にはめられただけ。 通州事件って知ってる? 中国人によるすさまじい残虐行為。 南京で三十万殺されたとかの捏造じゃなく、こっちは現実に起こったことで、日本の居留民が三百人も虐殺されたんだ。 日本人一人の命って中国人千人に勝るんだし、はっきり言って、中国側の被害なんてどうでもいいよ。 太平洋戦争だって、意地悪なアメリカに無理やり開戦に追いこまれたんだ。 石油を止められ、日清戦争以来、尊い犠牲のうえに築かれた海外での権益すべて手放すよう脅迫されたんだから。 卑怯者でなければ、勝ち目がなくても戦うしかなかっただろ? 東京裁判なんて戦勝国のでっち上げさ。 広島や長
日本総領事館警察通州分署の事件直後の調査によると、1937年7月29日の通州事件における犠牲者は、内地人*1208人中114人死亡、鮮人*2213人中111人死亡、合計で225人が死亡している。 この他に、支那駐屯軍麾下の通州守備隊や憲兵隊があり、事件当時通州にあった120人中約30人が戦死している。 犠牲者の殺害場所 通州守備隊の戦死者約30名は、通州城内新城方面にある守備隊敷地で生じている。主として戦闘による死亡者である。 近水楼は虐殺場所として名前はよく知られているが、この近水楼内で殺された犠牲者は10名足らず、生き残った安藤利男ら11名は近水楼から城内北部の冀東政府関連施設に1時間ほど監禁された後、付近の城壁前の湿地で殺されている。この城内北部で殺されたのは、近水楼から連行された者の他、別の場所から連行された者、合わせて約70人程度である。 この他、通州城東門付近で殺されたという記
本日は、「通州事件」について……などと、しれっと始めてみましたが、この事件のことを知っている人はどの程度いるのでしょうか。 「保守」ってる方や愛国者様なんかは、貴重な「対南京事件カード*1」として「押さえている」んでしょうが、「日本悪くない」論に特別な興味を持たない方は、ご存じでない割合が高いんじゃないかと予想してます。 通州事件は、中国の河北省東部に樹立された対日協力政権(というと聞こえがよいが要は傀儡政権)である、冀東(きとう)防共自治政府の治安維持部隊(保安隊)による反乱事件です。保安隊は日本守備隊、特務機関などを襲撃、軍人や冀東政府関係者だけでなく一般の日本居留民を殺害しました。 「保守」な方々は、この事件をもって「中国人の残虐性」を声高に訴えることが多いのですが、他にも、「中国は南京大虐殺ばかり宣伝するが日本人が虐殺された事件もある」とか、「南京事件での日本軍の残虐行為の原因は通
1937年(昭和12年)7月29日午前2時過ぎに北京の東の通州 (現在は北京市通州区) で起こった「通州事件」。 これは日中の軍事衝突が開始した7月7日の盧溝橋事件から、本格的全面戦争状態に突入した8月13日の第二次上海事変の間に連続して起こった日本人襲撃惨殺事件で最大規模のものであり、当時通州にあった冀東防共自治政府の中国人保安隊が、通州に居住していた日本人と朝鮮人の軍人と民間人230人を残虐な方法で虐殺した事件である。 7月25日の廊坊事件、26日の広安門事件に続いて起こったこの日本人大量虐殺事件は当時日本でも大々的に報道され、それによって対中世論が一気に悪化したと、当時を知る方はそのように話している。 まだ死体も全部は片付けられていない事件4日後の8月2日、生々しい状況下での通州事件の生存者による座談会が行われ、それが昭和12年10月号の月刊『話』に掲載されている。 盧溝橋事件から3
1937年7月29日、中国で多くの日本人が命を落とした通州事件が起きた。一時は日本でも“忘却”されていた歴史だが、85周年を迎えた今、“再発見”され、多くの注目を集めている。関連書籍の出版が相次ぐほか、ツイッターでも記念日当日にトレンド入りするなど、関心を集めている。 二次大戦中のプロパガンダが21世紀日本の歴史認識にも影響を与えている。 そう警鐘をならすのは、『増補新版 通州事件』(志学社、2022年)を出版した、愛知学院大学の広中一成准教授。悲惨な事件だったからこそ、冷静に事実と向き合うべきと強調している。 写真は広中一成准教授(本人提供) 通州事件と傀儡政権――まず、通州事件とはどのような事件だったのかについて教えてください。 広中一成: 1937年7月29日、北京市に隣接する通州で、多数の日本人が殺害された事件を指します。当時、通州には大日本帝国によって作られた「冀東政権(きとうせ
戦慄!凄惨!血に飢え、たけり狂った冀東軍の200名の日本人居留民虐殺事件を当時同盟記者として生き残った筆者が発表 初出:文藝春秋臨時増刊『昭和の35大事件』(1955年刊)、原題「通州の日本人大虐殺」(解説を読む) 「通州に何事か起きた!」立ち上る黒煙に”冀東保安隊の寝返り” 昭和12年7月29日。北平(今の北京)の城壁の上に立った市民は東方、城門の向うに、ウッスラ白煙の動くのを見た。やがてそのうす煙りは、黒いかたまりとなり、一条の大きな円柱を作って高くのぼっていった。北平の東で目ぼしい所といえば、まず、30キロ程の先の通州である。通州に何事か起きた! 市民はすぐにそう直感したことであろう。それほど北支は、日本軍と宋哲元軍の衝突の結果蘆溝橋事件とか広安門事件とか続出の騒然たる物情であった。通州の異変と判断しても、それがどんな状況や真相なのか、その朝、北平の日本人で誰も分ったものは1人として
通州事件は、日中戦争勃発直後の1937年7月29日、中国・北京近郊の小都市、通州(現北京市通州区)で起きた冀東(きとう)防共自治政府保安隊による反乱事件である。冀東政府とは、中国を侵略した日本軍が樹立した傀儡政権で、保安隊は冀東政府を防衛する中国人部隊であった。通州事件では、通州に住んでいた日本居留民225人(諸説あり。死亡者の約半数は朝鮮人)が保安隊により殺害された。 戦後の日本では、通州事件は戦争責任をめぐる右派と左派の論争のなかで取り上げられた。このとき、両派はともに都合よく通州事件の事実を切り取って独自の解釈を展開した。その一方で、通州事件の歴史的意義を探る実証研究はなおざりにされた。 冀東政府について研究していた筆者は、以上のような通州事件の研究状況を問題視し、事件発生から80年目を前にした2016年12月、日中両国に残された史料や証言をもとに、星海社から新書『通州事件―日中戦争
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