2023/10/15 追記返してもらいました。 続きのノートで書いていましたが、こちらにも追記した方がよかろうと思い遅くなりましたが補記します。 おにぎりさん( @TDIyNT0BAID9mI9 )へ 初めまして。早緑いろは( @iroha_samidori)です。 ぶしつけなお願いとなりますが、単刀直入にわたしの要望をお伝えします。 わたしの千円返してください。 経緯①はじまり あなたが映画秘宝の元編集長にDMを送られたことを発端とする、「映画秘宝DM事件」の被害者であることは周知の事実です。 断っておきますが、わたしは映画秘宝のファンではありません。 むしろこの件で雑誌の存在を知ったレベルです。 ※そもそも映画自体、好きな俳優が出演する作品や話題作、予告編で気になった作品を年に二、三本見る程度です。 RTで本件のあらましが回ってきて、「ばかばかしいけど、怖い人には怖いわわよねえ」と眺め
日本のお城を巡ってます。天守があるところから跡形もないところまで、ちょっとずつゆっくりと。同時にグルメ系も紹介しています。 最上家は山形藩三代目義俊(義俊は改易後の名前ですが、めんどくさいのでこれで統一します)。が最上騒動と呼ばれる家督相続争いの結果、近江大森1万石(うち5千石は三河国内であって、実はきちんと拝領されてないという説もあります)の一代限りの高家となり、義俊も夭逝してしまったため、近江大森5千石の交代寄合となります。 さて、旧最上領(今の山形県の置賜地方(上杉領)を除く山形県全域と、秋田県由利本荘市あたり)ですが、今の県都山形市を中心とするあたりは鳥居忠政22万石、日本海側の庄内地方は酒井忠勝13万8千石とそれぞれ譜代の領地に。 鳥居氏領の北、酒井氏領の東、今の最上郡は鳥居氏の娘婿である戸沢政盛が6万8千石余で入ります。 今の秋田県由利本荘市あたりは小藩分立のような状態です。
日本のお城を巡ってます。天守があるところから跡形もないところまで、ちょっとずつゆっくりと。同時にグルメ系も紹介しています。 ※最上義光記念館の記事もごらんになってください。私の方では一部別の説でご紹介しています。 最上義光の武将に、鮭延越前守秀綱なる人物がいます。 関が原の合戦後、57万石の大大名となった最上義光から11,500石という、大名の家臣ながら小大名並の家禄を得ることになったのです。 これほどの家禄をもっていながらなぜ「乞食大名」の異名をタイトルにつけたのか。 海音寺潮五郎氏著の短編小説「乞食大名」(短編集『かぶき大名』収録)からそのままいただきました。 この短編小説こそ、鮭延越前守秀綱をモデルにしたものだからです。 1生まれから鮭延氏当主となるまで 秀綱は、いまの秋田県南部から山形県最上郡北部までを治めていた小野寺氏の家臣、佐々木貞綱の子として生まれました。佐々木氏は元々は近江
参考資料 1)三卿伝編纂所:毛利元就卿伝,マツノ書店,1984. 2)杉岡就房:戦記資料吉田物語,歴史図書社,1979. 3)山本浩樹:西国の戦国合戦,吉川弘文館,2007. 4)𠮷田龍司:毛利元就「猛悪無道」と呼ばれた男,株式会社新紀元社,2010. 5)毛利博物館:毛利元就 第二版,毛利博物館,2012. 6)安芸高田市歴史民俗博物館:毛利元就をめぐる女性たち, 安芸高田市歴史民俗博物館,2012. 7)安芸高田市歴史民俗博物館:安芸宍戸氏―毛利一族、四本目の矢―, 安芸高田市歴史民俗博物館,2018. 8)安芸高田市歴史民俗博物館:毛利隆元―名将の子の生涯と死をめぐってー, 安芸高田市歴史民俗博物館,2013. 9)安芸高田市歴史民俗博物館:毛利元就―「名将」の横顔ー, 安芸高田市歴史民俗博物館,2021. 10)福田直記編:棚守房顕覚書付解説, 宮島町,1975. 11)米原正義
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