タグ

2023年5月24日のブックマーク (12件)

  • 睡眠薬を飲んだ両親にビニール袋を被せ…「死にきれなかった」市川猿之助に迫る“自殺幇助罪”の捜査 | 文春オンライン

    歌舞伎俳優の市川猿之助(47)と両親が5月18日、東京都目黒区の自宅で倒れているのが見つかり、両親が死亡した事件。警視庁捜査一課は19日、司法解剖の結果、父親で歌舞伎俳優の市川段四郎さん(76)と母親の喜熨斗延子(きのしのぶこ)さん(75)の死因は、いずれも向精神薬中毒とみられると発表した。

    睡眠薬を飲んだ両親にビニール袋を被せ…「死にきれなかった」市川猿之助に迫る“自殺幇助罪”の捜査 | 文春オンライン
  • 「ジュリーさん知ってたでしょ」元忍者・志賀泰伸が初告白 紅白に出場した人気グループも被害者だった | 週刊文春 電子版

    「15歳で事務所に入り、30回以上は性的な虐待を受けました」。摂障害で体重は42kgに減るが、他のメンバーからは「オキニだもんな」。フラッシュバックに悩み、今も通院している。近藤真彦は小誌の取材に… 「ジャニーさんがいつ来るんだろうと怯えていました。じゃあ、辞めればいいじゃんという話なんですけど、それが被害なのかどうかが、わからない歳だったから」 小誌にこう重い口を開いたのは、ジャニーズ事務所のアイドルグループ「忍者」の元メンバー、志賀泰伸(やすのぶ)氏(54)である。 3時間半にわたり取材に答えた志賀氏 6人組グループの忍者は、美空ひばりの『お祭りマンボ』をリメイクした『お祭り忍者』で1990年8月にデビュー。4カ月後にはNHK紅白歌合戦に早くも出場した。激しいダンスが売りの、人気グループだった。 小誌は今年3月のBBCの番組放送以降、これまで12人の元ジャニーズJr.の証言を伝えてき

    「ジュリーさん知ってたでしょ」元忍者・志賀泰伸が初告白 紅白に出場した人気グループも被害者だった | 週刊文春 電子版
  • ジャニー喜多川の性加害問題は日本人全員が「共犯者」である

    <ジャニー喜多川「性加害」の問題について、メディアの責任は確かに大きい。でも、週刊文春が99年にキャンペーン報道をしても、日人の多くは大して関心を持たず、深刻に捉えなかった。その意味で、すべての日人はジャニー喜多川の罪を黙認し続けた共犯者である> ジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川(名:喜多川擴)が生前行っていた子供へ性的虐待が、世の中を揺るがせている。 14日夜に藤島ジュリー景子社長が「世の中をお騒がせしていること」について謝罪。15日夜には櫻井翔がキャスターを務める「news zero」でも放送され、16日には新聞各紙が社説などで大きく報じ、元ジャニーズJr.の男性2人が国会で法整備を訴えた。17日にはNHK「クローズアップ現代」が取り上げ、19日には元ジャニーズの近藤真彦がジュリー社長の動画について「うそはだめ。正直に話して」などと述べた。21日には現役ジャニーズタレント

    ジャニー喜多川の性加害問題は日本人全員が「共犯者」である
  • ジャニーズ・デビュー組から初の性被害告白 元「忍者」志賀泰伸氏(54)が「30回から40回くらいは性的虐待があった」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

    ジャニーズの対応は社会的に見て不足」との回答も スポンサー企業116社に緊急アンケート「ジュリー氏の説明に納得?」 から続く 【写真】現在は芸能界から離れている元忍者・志賀泰伸氏(54)を見る 「ジャニーさんがいつ来るんだろうと怯えていました。じゃあ、辞めればいいじゃんという話なんですけど、それが被害なのかどうかが、わからない歳だったから」 こう重い口を開くのは、ジャニーズ事務所のアイドルグループ「忍者」の元メンバー、志賀泰伸氏(54)だ。6人組グループの忍者は、美空ひばりの『お祭りマンボ』をリメイクした『お祭り忍者』で1990年8月にデビュー。4カ月後にはNHK紅白歌合戦に早くも出場した、激しいダンスが売りの、人気グループだった。 英BBCが番組でジャニー喜多川氏の性加害を取り上げて以降、小誌はこれまで12人の元ジャニーズJr.の男性たちの証言を伝えてきた。だが、実際にデビューまで果た

    ジャニーズ・デビュー組から初の性被害告白 元「忍者」志賀泰伸氏(54)が「30回から40回くらいは性的虐待があった」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
  • 市川猿之助を苦しめた澤瀉屋の呪縛 家族会議までに至った「梨園の異端児」の歴史的背景(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

  • 江戸の湯屋とお正月 - Saunology -Studies on Sauna-

    年末年始は家でゆっくりお風呂に入るという人もいれば、年末年始こそお風呂屋さんに出かけたいという人もいます。行きつけの銭湯の年末年始のスケジュールを確認してから新年を迎えた人も多いのではないでしょうか。昔の銭湯のお正月は、どんな雰囲気だったのでしょうか。今回は、江戸の湯屋のお正月についてまとめてみます。 お正月の湯屋のおひねり 元旦に風呂に入ると福が流れてしまう、元旦ではなく1月2日の朝を初風呂にするべき、というような説もあるようですが、『公衆浴場史』では「元旦に風呂にはいると福がくる」という俚諺が紹介されています*1。解説には次のように書かれています。 「一年の計は元旦にあり」といわれるとおり、元旦早朝に風呂にはいって、過ぎた一年をかえりみ、一年間の計画を考えれば、かならず名案が浮かぶものといわれている*2。 昔の銭湯、江戸の湯屋は年末年始も多くの人が入浴に訪れたようです。「初湯」は1月1

    江戸の湯屋とお正月 - Saunology -Studies on Sauna-
  • サウナと歴史 日本の蒸気浴の歴史 - Saunology -Studies on Sauna-

    サウナ歴史は長い 昨今のサウナブームの中で、サウナの「場」と言えばフィンランドのサウナロシアのバーニャ、というイメージを持っている人は多いのではないでしょうか。サウナに限らず、日人はもともとその土壌があったり歴史があるものも、場は海外だと思っていることが多々あります。 確かに狭義のサウナはフィンランドのサウナを指しますし、フィンランド式のサウナ場はフィンランドですが、広義のサウナは蒸気浴全般を指し、日にも長い蒸気浴の歴史があるのです。長いだけでなく、日人の入浴の歴史は蒸気浴が中心で、サウナがブームになる下地は古代から私たちのDNAに刻み込まれていると言っても良いかもしれません。 「風呂」はもともと蒸し風呂 蒸気浴の歴史をたどるために、まず言葉を整理します。 ・沐浴:「沐」が髪を洗うこと、「浴」が身体を洗うことで髪と身体を洗うこと。 ・蒸気浴:蒸し風呂など、蒸気を使っ

    サウナと歴史 日本の蒸気浴の歴史 - Saunology -Studies on Sauna-
  • サウナと歴史 『枕草子』の塩風呂の謎 - Saunology -Studies on Sauna-

    『枕草子』の塩風呂の謎 『枕草子』に石を使った塩風呂が出てくる、だから平安時代には石を使った蒸気浴が一般的だったのだ、という文献をいくつか見かけました。『枕草子』に出てくるらしいという塩風呂の記述とは、以下の文章です。 塩風呂等に入ると同しく、その所にてたつるやうと聞きしに、小屋あって、其の中に石を多く置き、之を焚きて水を注ぎて湯気を立て、その上に竹の簀を設けてこれに入るよしなり、大方村村にあるなり 石に水をかけて湯気を立てる蒸気浴、それが村ごとにあったという記述です。これが事実なら平安時代の日ではセルフロウリュが一般的だったということになります。しかしながらこの記述、実際に『枕草子』に出てくるものではなさそうです。 塩風呂という言葉 『枕草子』に塩風呂という言葉が出てくるということですが、「サウナ歴史の蒸気浴の歴史~中古~」で見たように、「フロ」という言葉が文献上に初めて登場す

    サウナと歴史 『枕草子』の塩風呂の謎 - Saunology -Studies on Sauna-
  • サウナと歴史 日本の蒸気浴の歴史~中世~ - Saunology -Studies on Sauna-

    サウナ歴史の蒸気浴の歴史」で見たように、中世については風呂の形式についての資料もあり、この頃には広く蒸気浴が行われていたことがわかっています。今回は中世の蒸気浴について詳しく見てみましょう。 蒸し風呂形式の「フロ」の定着 平安時代末期から文献にあらわれ始めた「フロ」ですが、鎌倉時代になると様々な資料に登場するようになります。そして、この時代の「フロ」は確実に蒸し風呂形式であったと考えられています*1。例えば、鎌倉時代の宮廷医、惟宗具俊による医学随筆集『医談抄』の「風呂事」という項目には次のような記載があります。 遊戯沈酔ノ人ノ所為ナリ、湊理ヲムシアケテ冷水ヲカケアラハヾ、ヒサシク雑談シテ風ヲ引ナルヘシ*2 「湊理」は皮膚のことです。皮膚を蒸し上げて冷水をかけて洗う、という内容で蒸気浴を行っていた記録の一つということになります。 また、室町時代になると公家の日記に「風呂」という言葉

    サウナと歴史 日本の蒸気浴の歴史~中世~ - Saunology -Studies on Sauna-
  • サウナと歴史 昔の風呂の設計図 - Saunology -Studies on Sauna-

    以前日の蒸気浴の歴史を概観したように、日には長い蒸気浴の歴史があります。風呂という言葉はもともと蒸し風呂を指す言葉で、日には古くから様々な蒸気浴風呂があったことがわかっています。しかし、昔の風呂の細かい実態はわかっていないことが多く、まだまだ謎に包まれています。その謎に迫る一つの鍵は、設計図・平面図です。今回は、昔の風呂の平面図を見てみます。 寺院の風呂 「サウナ歴史の蒸気浴の歴史~中世~」で見たように、絵巻などの絵画資料から、中世の寺の浴堂は蒸し風呂形式が多かったことがわかっています。しかし、奈良時代や平安時代の寺の風呂がどういう形式だったのかはあまりはっきりしていません。「サウナ歴史の蒸気浴の歴史~古代~」では、寺の浴堂で使われた銅釜が蒸気を発生させるための、つまりロウリュ用のものだったのではないかという解釈を紹介しました。寺の浴室について、平面図から改めて考えて

    サウナと歴史 昔の風呂の設計図 - Saunology -Studies on Sauna-
  • サウナと歴史 日本の蒸気浴の歴史~古代~ - Saunology -Studies on Sauna-

    サウナ歴史の蒸気浴の歴史」で見たように、日には長い蒸気浴の歴史があります。今回は、古代の蒸気浴について更に詳しく見ていきます。 蒸し風呂の始まり 古代の沐浴について詳細はわかっていませんが、日人は古代から蒸気浴をしていたようです。まず自然を利用した蒸気浴がありました。 窯風呂 窯の中で生の木枝や葉を燃やして、燃え尽きたら灰をかきだし、床の上に莚(むしろ)を敷いてそこに塩水を打ち、莚の上に横になって発汗する「一種のスチームバス」*1です。窯風呂はいつからとは特定できないようですが、かなり古くからあったらしいと考えられています。 石風呂 窯風呂の中で自然の洞窟を利用したものを「石風呂」と言います。洞窟の内側に、岸壁に沿ってシダや枯れ葉を積み上げて燃やし、燃え尽きた頃に海水に浸した莚を持って入り、灰の上にかぶせてさらに海水をかけて蒸気を立てるという形です*2。 こうした蒸し風呂は、

    サウナと歴史 日本の蒸気浴の歴史~古代~ - Saunology -Studies on Sauna-
  • 建物 | 庭園について | 名勝 養浩館庭園 特設サイト

    水と光に包まれる住まい ― 庭と融け合う数寄屋造りの建物 これほどまでに水を感じることのできる建物を、あなたは知っていますか? 他では体験できない、 めくるめく水と光の世界を、この数寄空間でぜひ味わってみてください。 水の魅力を味わいきる数寄空間 屋敷前には大きな池が広がっています。座敷の土縁(どえん)のすぐ先に、豊富な水が湛えられるという空間構成は、他に類を見ないものです。 また、御座ノ間をはじめとした座敷部分には、細め(3寸1分)の磨丸太(みがきまるた)や面皮柱(めんかわばしら)が使われており、数寄屋造(すきやづく)りならではの軽やかさがあります。深い軒(のき)も特徴的で、穏やかなくつろぎの場を生み出しています。 ※磨丸太(みがきまるた) = 樹皮をはがしてから磨いたもの ※面皮柱(めんかわばしら) = 四隅は削らず自然の丸みを残したもの 目線の高さが当時と同じ 庭園では、発掘された