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ブックマーク / konn3563.seesaa.net (1)

  • 青森県の生みの親 広沢安任

    広沢安任は天保元年、会津藩士・広沢庄助の次男として会津若松城下に生まれる。幼少の頃から学問に励み、藩校・日新館では抜群の成績を残した。安任が二十一歳のとき、少禄藩士だった父・庄助が病没したため家計が苦しく私塾の教授をして兄を助けた。また、安政二年には伊東図書とともに水戸へ遊学の旅に出て藤田東湖を訪ね、二十四歳の頃に藩校選抜によって江戸の大学「昌平黌」に入り二十九歳で舎長になった。熊沢蕃山・野中兼山の経済に傾倒して学問を修め堀織部正が外国奉行に就任した際、堀と親交を結び外国人と往来して西洋文明が日よりはるかに進んでいることを知り鎖国の愚かさを説いて開国論者となった。また、幕府とロシア国の間で国境問題が起こると函館奉行の糟谷筑後守の補佐を頼まれ奥州北部を経て蝦夷地へ入り初めて外国人との交渉を行った。その後、藩主・松平容保は京都守護職を拝命したので京都赴任の事前工作の為に藩士に先立って上洛する

    青森県の生みの親 広沢安任
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