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ブックマーク / storys.jp (4)

  • ヤクザに殴られてから刑事訴訟をするまで私のしたこと

    私もこのようなことになるまで怖かったです。ええ、過去形です。私の体験談を共有することで皆さんの恐怖が軽減できればと思います。 西暦2000年の話です。私は当時二十歳、すすきののカラオケ店に勤務しておりました。16時くらいから3人組の男の受付をしたところ、しばらくして別の部屋からクレームが入りました。いわく「勝手に部屋に入ってきて一緒に歌おうとする人たちがいるので注意して欲しい」とのこと。まずは電話の入った部屋へ向かい、思い当たる節はありましたので彼らの部屋に。どちらにも見あたりません。そうこうしているうちに別の部屋から出てきました。私は丁寧にお店のルールを伝えました。やりとりは要約するとこんな感じです。

    ヤクザに殴られてから刑事訴訟をするまで私のしたこと
  • ロッキングオン創刊の物語(6)ビートルズ武道館

    四谷第一小学校(文化放送の前にあったが、今は廃校)四谷第一中学校(今は四谷中学)を出て、神宮外苑の国学院高校に入学。勉強はとにかく出来なかった。何かを覚えることが苦手だった。高校では山岳部に入った。小柄で華奢な自分には、一番自分に似合わないクラブを選んだ。毎日、外苑で走ったりうさぎ跳びやったり、リュックに砂をつめて階段を登り降りしたりと、肉体を酷使するクラブ。 中学3年の時に親父がやっていた町工場の印刷屋が倒産し、家を売却してアパート暮らしになった。麹町4丁目の交差点のすぐ裏側。麹町といえばお屋敷町だが、どこにでも下町のアパートがあった。交差点のところには戦後の闇市のような市場があって、今では信じられないだろうが麹町にも庶民の生活臭があった。 四谷には、母方の両親や兄弟が住んでいて、麹町には別に、芸者をやっていたおばさんがいた。自動車会社の専務のお妾さんで、黒板塀に囲まれた家は、長火鉢があ

    ロッキングオン創刊の物語(6)ビートルズ武道館
  • ロッキングオン創刊の物語(5)新宿・プレスリー・ビートルズ / 橘川 幸夫 | STORYS.JP

    僕は1950年の東京・新宿に生まれた。四谷若葉町である。四谷はイメージは高級そうだが実は下町である。戦後、戦地から復員してきた父と満州から引き上げてきた母が、四谷に新居を持った。父親は所の生まれだし、母親も御徒町の方の、東京の下町育ちである。僕の籍も、台東区柳橋だったので、最初はその辺で生活していたのを、四谷に移住してきたのだろう。信濃町の慶応病院で生まれて、家まで母親と僕を乗せたリヤカーを親父が引いてきたという。 最初に聞いた音楽は、小学5年くらいの時の、エルビス・プレスリーだった。友だちの家でレコードを聞いてすっかり気にいって、親にせがんでプレーヤーを買ってもらった。ただし、LPは高かったので、最初に買ったレコードはシングル盤で、谷啓の「図々しい奴」というものだった。当時、テレビでやっていた主題歌だったが、何度も聞いたので、イントロのフレーズは今でも覚えている。「あーたまーは悪いし

  • あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 | STORYS.JP(ストーリーズ)

    こんにちは! 個人でWEBサイトをつくりながら世界を旅している、阪口といいます。 僕は今の仕事をはじめてまだ稼げなかったとき、2011年9月~2012年4月まで、大阪・あいりん地区のドヤ街で暮らしていたことがあります。(詳しい経緯は「病で半年間寝たきりだった僕が、PC1台で世界を飛び回るようになった話。」で書いてます) そのとき、同じアパートで暮らしていた、とあるヤクザの元幹部である「中條さん(仮名)」という方にお世話になり、「仕事」というものについて、人生の指針となるアドバイスをいただきました。今日は、そのときのお話をシェアさせていただきます。 1泊1200円、三畳一間の部屋に籠城し、成果の出ない仕事に励む日々。 当時、僕は1泊1200円・三畳一間のカビ臭い部屋に籠城しながら、延々とWEBサイトを作り続ける生活を送っていた。 写真のとおり、机を買うお金もなかったので、BOOK-OFFで

    あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。 | STORYS.JP(ストーリーズ)
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