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  • 「鬼滅の刃」の主人公、炭治郎の実家が雲取山だという情報が出回っているけど、雲取山に登っても(おそらく)意味はない

    映画の無限列車編は猗窩座どのが煉獄さん狙いのヤンホモみたいになってましたが、彼が強さを求めるようになった理由とかバックボーンが判るとめちゃくちゃ切ないんですよ…鬼になった時に人間だった時の記憶が消えちゃってるんですけど、それでも術式展開の模様は非業の死を遂げた婚約者の髪飾りから来てるとか、鬼になっても女性はべないとかすごい一途で純粋な人なんだよ…それだけに悲しい…全ては無惨様が悪い(ここ重要) はい、というわけで題に入ります。 大人気で映画もヒット中のマンガ/アニメ作品「鬼滅の刃」。 その主人公の炭治郎の故郷は、東京都の奥多摩と設定されている。そして、どうやらアニメでのロケ地が雲取山だったらしく、聖地認定されて登ってる人もいるようなのだが… 言ってしまうと、雲取山に登っても意味が無い。 何故なら、炭焼き小屋とは集落の近くの山に作るもので、雲取山の山頂だと集落から遠すぎるからだ。 聖地巡

    「鬼滅の刃」の主人公、炭治郎の実家が雲取山だという情報が出回っているけど、雲取山に登っても(おそらく)意味はない
  • ヨーロッパ中世とか騎士とかそのへんのライトな資料。

    ヨーロッパ「中世」っていうと一般的にはローマ以後ルネッサンス以前、なので実際には5世紀~15世紀あたりなんだけど、たぶん多くの人は「騎士とかお姫様とかお城とかのあるあたり!」ってイメージするんだろうな。そうすると12-13世紀あたりが中核になってくるわけですよ。 いきなりだけどここがまずポイントで、資料探すときにタイトルに「中世」と書かれてても、その「中世」は歴史としての中世全体なのか、「中世」っぽい要素が全て出揃う最盛期の一時期特化なのかはによって異なるので注意だ。 とはいえ一般書だと大抵、中世といえば最も「中世らしい」二百年くらいの時期に絞って書いてきてるのだが。 ***************** というわけで、ファンタジー小説とかでよく使われるこの最も「中世らしい」時代の資料を適当にメモしておく。 それぞれのは、各著者の好みによって傾向や表現スタイルが違う。 なので、一冊の

  • 「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話

    歴史上の民族としての「ケルト」と、近代に作り出された「ケルト的なもの」の間には、深い溝がある。多くの人が持っているイメージは商業的な、そして近代のナショナリズムが生み出した「ケルト的な」幻想に過ぎない。 ――という話はわりと昔から言われていたのだが、最近の研究を久し振りに読み返してみたら、まさかの展開になっていた。 「そもそも島のケルトはケルトじゃない」 「中世以降のケルトは自称してるだけだった」 なんとアイルランドもウェールズも「ケルトを自称する別の何か」でケルト人の子孫じゃなかったのだ。 ******************************** 【旧来説】 ・ケルト人はローマに大陸から追い払われて島の片隅にしか残らなかった ・ケルト人が移住していったから製鉄技術が広まった ・「島のケルト」と「大陸のケルト」は少し違うものとして扱われる このあたりは知ってる人も多いだろうし、いま

    「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
  • 丹沢名物・塔ノ岳の白い猫に会いに行ってきた。

    ファンタジー小説風に曰く、 「山の頂きに棲む、鋭き眼光持つ白き獣。その瞳は澄んだ青空のような色をしているという…。」 というわけで 丹沢名物の白い野良に会いたくて、ちょっくらぷらりと行ってきた。 彼は2014年の冬頃から、どういうわけか山頂付近に出没するようになった、名物のである。(たまに丹沢山のほうにもいたりする) 塔ノ岳の尊仏山荘にはミー君という仙人がいるが、こちらの白い彼は山荘に飼われているわけではなく、ふらりと現われてはまた去っていく気ままなNORA。ブルーアイと、えさはねだるくせに触らせてくれないビジネスライクなドライさが売り。 見てのとおり丸々としてやがるが、これはお弁当スポットを押さえて訪れる登山客からエサをねだっているからなのだ。その営業がまた巧い…。 彼の戦略は「マンツーマン」。 群れからはぐれて座っている中高年の登山客をピンポイントに狙い、「にゃあ~ん…」とまさに

    丹沢名物・塔ノ岳の白い猫に会いに行ってきた。
  • 古代エジプト宗教からキリスト教へ至る道 -コプト教のはじまりからの流れ

    資料を漁っていたら 殉教者 聖ホル を見つけて盛大に吹いた。 * ホルス神と同じ名前… 初期にエジプトで使われた十字架がアンクと区別のつかないまんまな形をしていたことも、古代エジプトの神殿を改造してそのまま教会にしていたことも、マリア(聖母)崇拝が盛んなことも、実は全部繋がっていた。十字架とアンクが同列に扱われ、神殿の至聖所の暗がりに教会の原型を見出し、聖母マリアの処女懐胎の上に女神イシスが死んだ夫との間に息子をもうける神話を重ねる。 古代エジプト宗教をそのまま改造したのが、エジプトにおける初期キリスト教と見てもいいだろう。 古代エジプトには沢山の神々がいたが、そもそもファラオ時代においても、それらの全てが等しく崇拝されていたわけではない。 地域によって人気の神様は異なるのが普通だったし、自分の住む町の守護神を特別に崇めたり、職業によって一位の神が違ったりしていた。そうした中、キリスト教の

    古代エジプト宗教からキリスト教へ至る道 -コプト教のはじまりからの流れ
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