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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/fuw6606 (1)

  • 64 それは佐渡から始まったー木食弾誓(たんせい)とその後継者たち(2) - 石仏散歩

    前回は(と、いっても1年も前のことになるが。)、弾誓(たんせい)の佐渡での開眼と離島を決意するまで、が内容でした。(NO41をお読みください) 今回は、佐渡を出てからの弾誓の足取りを追います。 慶長9年(1604)、年の瀬も押し迫った凪ぎの日、弾誓は佐渡を離れます。(慶長9年は宮島潤子氏説、五来重氏は慶長2年としている。) 悟りを開いて得た教えを光明仏として布教したいと念じたからでした。 出航した佐渡の港や着岸した越後の港がどこか、記録にはありません。 分からないと言えば、船賃を払ったのか、乞然としてるとはいえ修験僧、只で乗せてもらったのか、そうしたことも分かりません。 舟を下りた弾誓が向かった先は、善光寺。 今や生きる阿弥陀仏となった弾誓が阿弥陀三尊を尊とする善光寺にお参りするのは当然のことでしょう。 善光寺から、彼は虫倉山の尾根伝いに西へと向かいます。 虫倉山(長野市旧中条村) 古

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