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ブックマーク / busho-heart.jp (2)

  • 川越は、蔵の町「だけ」じゃない!ここは徳川家康のお気に入りスポット?!

    さて、突然ですが問題です。 「小江戸の川越」といえばなにをイメージするでしょう? 蔵の町並み?時の鐘?川越名物さつまいも?いえいえ、それだけではないんです! 川越は江戸の守りの重要拠点 「小江戸」という二つ名の通り、川越は江戸時代に川越藩の城下町としてさかえた地ですが、実はここ、古来より軍事上の要所として重要視されていました。 川越に城が築かれたのは室町時代。 天正18年(1590年)徳川家康が関東へ移封されて以降は、江戸の北の守りとして川越藩を置き、酒井重忠をはじめとした有力な譜代大名や親藩が藩主となってこの地を治めるようになります。 城下町として整備されたのは江戸時代に入ってからです。 蔵造りの町並みは、今も大切に保存されています。 川越シンボルである時の鐘は残念ながら耐震工事中でした。 (耐震工事は平成27年7月下旬から平成28年12月頃までを予定) キャリアの象徴!川越藩 川越藩の

    川越は、蔵の町「だけ」じゃない!ここは徳川家康のお気に入りスポット?!
  • 今川義元の本陣跡と墓碑、そして悲劇の家臣・松井宗信のお墓がある高徳院(桶狭間の戦い)

    豊明市にある高徳院は、桶狭間古戦場伝説地の隣りにあるお寺です。 今川義元の仏式墓所や陣跡の石碑、今川軍の重臣・松井宗信の墓碑があるので伝説地とともに桶狭間史跡めぐりでは欠かせないスポットとなっています。 特に松井宗信は今川義元の重臣であり、「桶狭間の戦い」で討死してしまった武将なのです。 まとめページ:世紀の大番狂わせ桶狭間の戦いを紐解く 高徳院に今川義元の仏式墓所 高徳院はお寺に入るとすぐに今川義元陣跡と書かれた石碑が建っています。 緑区にもおけはざま山の今川義元陣跡の看板がありますが、桶狭間の戦いは山の尾根で移動をしていたのでそれぞれを通っていたのかもしれません。 今川義元のお墓と言われるものは、高徳院の竹やぶの中にあります。 お墓は目の前の伝説地にもあるので、どちらが正しいのか真相はわかりませんが、お墓が近距離で2つもあるというのを楽しめるのではないでしょうか。 高徳院には松井

    今川義元の本陣跡と墓碑、そして悲劇の家臣・松井宗信のお墓がある高徳院(桶狭間の戦い)
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