【とうこうじ いまがわよしもとくびづか】 永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いにおいて海道一の弓取りと呼ばれた今川義元は、織田信長の奇襲によって討ち死にした。討ち取られた首級は、翌日には首実検を経て織田軍によって須ヶ口に晒された。 それを取り戻したのは、今川家の重臣・鳴海城を守備していた岡部元信である。今川勢敗退の後も城を守っていたが、交渉の末、城を明け渡す交換条件として首級を受け取ったのである。 首級を受け取った元信は、そのまま本拠地である駿府へは戻らず、今回の戦いで自らの戦功がないとの理由で、刈谷城に攻め込んで城主の水野信近を討ち取っている。そのせいもあってか、義元の首級は腐敗が進んでしまい、結局、西尾にある東向寺で埋葬したのである。 東向寺は、義元の叔父にあたる徳順上人が第4代住職を務めており、義元とは非常に縁のある寺院であった。おそらくそれを知って元信はこの地に首級を埋葬したのであ
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