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ブックマーク / okinawa-plan.info (1)

  • 「玉陵」にまつわる歴史物語

    玉陵碑に刻まれたリスト 玉陵が造られたのは1501年。琉球王国時代の第二尚氏王統と呼ばれる政権のとき。第二尚氏三代目の尚真王(しょうしん王)が、亡き父・尚円王を葬るために造らせたお墓です。 玉陵が造られた頃、いやそれよりもっと前から、王宮内では激しい権力争いがあったようです。 それを物語っているのが、玉陵の墓室の前に建てられた石碑、玉陵碑(たまうどぅんひ)。 この石碑には、玉陵に葬られる“資格”がある者のリストが刻まれています。リストにあるのは尚真王とその母・宇喜也嘉(オギヤカ)、妹、そして尚真王の息子娘たち。 なのですが、不自然なことに尚真王と妃の間に生まれた長男・尚維衡(しょういこう)の名前がありません。 実は尚維衡は策略にはまり王宮から追い出された人でした。そして長男であるのに王位を継ぐことはなく、尚真王の跡を継いだのは五男の尚清(しょうせい)でした。 さらに過去には、尚維衡の祖父・

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