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ブックマーク / tentofour.hateblo.jp (3)

  • 『響け!ユーフォニアム』 第12回で描かれる「鏡」としての他者 - ねざめ堂

    なにかと周囲に流されやすく、楽器もなんとなく成り行きで決めたようなキャラクターだった久美子が、ユーフォニアムにたいしての自分の気持ちを確認する、という「主人公覚醒回」だった第12回。 …なんですが、その「覚醒」は自分の中だけでもたらされるものではなくて、契機になったのは、久美子の周囲の「他者」の存在であったことだよ…というあたりが非常にストレートかつ丁寧に描かれていたエピソードでした。今回もすばらしかった…というか、なんで毎回こんなに凄いの!? 文中はネタバレ注意です。 ◯「鏡」としての他者 前回の記事で、『響け!ユーフォニアム』とテーマ的な関連が強い京アニの過去作品のひとつとして『中二病でも恋がしたい!戀』を挙げました。「他者」の存在の重要性、自分の姿を映しだす「鏡」としての他者。 「私は、勇太が信じてくれた自分を信じる。」(第9話 六花) 「自分を知るには、外に目を向けるべきなのです

    『響け!ユーフォニアム』 第12回で描かれる「鏡」としての他者 - ねざめ堂
  • 『響け!ユーフォニアム』3年生メンバーたちの関係性に萌える - ねざめ堂

    ※タイトルどおり、3年生メンバーたちの関係性に萌えてるだけのゆるーい記事です。第7話までのネタバレがありますので、ご注意ください。 『響け!ユーフォニアム』が毎週素晴らしすぎて幸せです。 どのエピソードも何回も観返してるんですけど、演出・作画・撮影効果・音響などなど、すべての面が隅々まで充実していて、全く飽きません(楽器を触ったときの微かなノイズのバリエーションとかさー!)。 以前このブログで、 『氷菓』で考える、技術と表現の関係 という記事を書いたことがあって、読んでいただけると嬉しいですが、この中で書いたのは ①デフォルメされた「絵」を使った表現であるアニメは、元来くっきりとした喜怒哀楽の描写を得意とした。 ②でも技術の進歩によって、喜怒哀楽の「あいだ」、もっと曖昧な中間領域の感情(=ほろ苦さ)の表現が可能になった。 と、だいたいこのようなことでした(要約すると当たり前すぎて空しいな)

    『響け!ユーフォニアム』3年生メンバーたちの関係性に萌える - ねざめ堂
  • 『響け!ユーフォニアム』で描かれる「異質な他者」の可能性 - ねざめ堂

    ※『響け!ユーフォニアム』第10話までのネタバレを含みますので、ご注意ください。 ◯前提:京都アニメーション作品の文脈 これは、去年の春に『ハナヤマタ』の放映が始まったときの「ランゲージダイアリー」相羽さんの記事なのですが(言及リンクありがとうございます)、 aiba.livedoor.biz 現在の日のアニメが描いている物語をより楽しむうえで、素晴らしい視点を提供してくれる記事です。 相羽さんの指摘をなぞらせてもらうと、いまの日って先進国と言われてはいるけれど、目の前には問題が山積みで、日々の生活のなかで無力感や虚無感を感じる場面も多い。 この灰色の日常なんなの、なんとか「輝き」(失われた「生の実感」とか*1)を取り戻すことはできないの?という試論を京都アニメーションは作品を通してずっとやっていて、その「輝き」は、たとえば『涼宮ハルヒの憂』で、「世の中こんなもんさ」とモノトーンな日

    『響け!ユーフォニアム』で描かれる「異質な他者」の可能性 - ねざめ堂
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