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do動画に関するamanoiwatoのブックマーク (22)

  • 素人芸を逆手に取ったチャンピオン タモリ - シャルル・パナール博士の異常な愛情

    しつこいようだがこの動画は凄い。 話されている内容の深さは勿論、進め方、そして一切の編集なし1秒も狂わずキッチリ10分にまとめている。 芸能界に今や芸人など掃いて捨てるほど居るがこれを出来る芸人は一人も居ない。 悲しいかな、ほとんどの日人がそれに気付いていない。 それはこの素晴らしい動画のアクセス数の少なさが物語っている。 上岡龍太郎が芸能界から引退して早10年が経過したがこの偉大なる芸人を知らない若い世代は当に可愛そうだと思う。 彼等がテレビを全く観ないのも仕方ない。 上岡龍太郎の芸人論で私が引っかかったのは 素人芸を逆手に取ったのが萩欽一でありタモリである の箇所だ。 この動画が放映された1990年の時点では萩欽一はテレビ界から姿を消していた。 だが1980年代に視聴率男の異名を誇った欽ちゃんを上岡は高く評価していたのだろう。 問題はもう一人のタモリであ

  •  その天才集団は、『いついなくなってもいいようなねこ』のような名前を付けた - 「何かを忘れた気がするけれど

    つい先日、赤身マグ朗と共に僕は話したのですが、日で正当な評価を受けられなかった2大バンドは、ブルーハーツとたまだったと僕は語りました。ブルハはもっともっと上の伝説にならなければいけなかったけれど、日には既にそういう存在が求められていなかった。カリスマが必要ではなかった。むしろ享楽的に人々が求めていたのは、見た目が奇異な一発屋だった。 当時のインタビューなどを交えたに、こんな記載があるようです。 たまの悲劇。 日歌謡史に、そう呼ぶしかない現象が起きたのは、昭和が平成に変わった年のことである。 それは、芸術家として音楽をやろうとした四人の青年が、世間によって見世物にされるという珍事だった。 また、こんな話もあります。 当時『週刊明星』のインタヴューにおいて、ヴォーカルの知久寿焼は、 「百人のうち三人がボクたちの音楽当に好きで、あとの九十七人が“そんなに言うならちょっと聴いてみよう”

     その天才集団は、『いついなくなってもいいようなねこ』のような名前を付けた - 「何かを忘れた気がするけれど