ヒグマの腹から出てきたのは頭の皮、内臓、ゴムぐつ…そしてタライいっぱいのサナダ虫【敷香人喰い熊事件】 社会・政治 投稿日:2023.06.17 06:00FLASH編集部 南樺太(現サハリン島の南半分)は、日露戦争後の明治38年(1905年)以降、約半世紀の間、大日本帝国が占領統治した。 同島は北海道と同じく大自然の宝庫であり、ヒグマの密生地帯であった。 樺太のヒグマはおとなしく、人間に向かってくることは滅多にないと長らく言い伝えられてきた。しかし、筆者が地元紙『樺太日日新聞』(明治43年~終戦)をほぼすべて閲覧した印象では、決してそんなことはない。 【関連記事:ヒグマの血を満身に浴び、下敷きとなって圧死…助けてくれた恩を仇で返して返り討ち】 冬が長く、夏の極端に短いこの地方では、いったん果実が不作となると、里に下りて見境なく牛馬を喰い殺し、場合によっては人間をも襲った。 樺太庁管轄のため
![ヒグマの腹から出てきたのは頭の皮、内臓、ゴムぐつ…そしてタライいっぱいのサナダ虫【敷香人喰い熊事件】 - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8dcc06fd1293dd01b52a5c50e14b0f35ae819c57/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fdata.smart-flash.jp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2023%2F06%2F16201302%2Fhiguma_AC_1_thumb.jpg)