6月26日、 米国で機密暴露の罪に問われ、英国で収監されていた内部告発サイト「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジ被告がついに自由を勝ち取った背後には、オーストラリア政府の粘り強い外交努力があった。写真は同日、キャンベラの空港に到着し、飛行機から降りるアサンジ氏(2024年 ロイター/Edgar Su) [キャンベラ/シドニー/ロンドン 26日 ロイター] - 米国で機密暴露の罪に問われ、英国で収監されていた内部告発サイト「ウィキリークス」創設者ジュリアン・アサンジ被告がついに自由を勝ち取った背後には、オーストラリア政府の粘り強い外交努力があった。 アサンジ氏は米検察当局との司法取引に合意。26日に米自治領サイパンの連邦裁判所に出廷し、起訴されていた計18件の罪のうち米スパイ活動法違反の罪について有罪を認めた。禁錮刑を言い渡されたが、英国の刑務所での収監期間を差し引かれ、約14年ぶり
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