タグ

関連タグで絞り込む (2)

タグの絞り込みを解除

哲学に関するendorのブックマーク (2)

  • 哲学の耐えられない軽さ - 書評 - 人権と国家 : 404 Blog Not Found

    2008年03月21日03:45 カテゴリ書評/画評/品評Psychoengineering 哲学の耐えられない軽さ - 書評 - 人権と国家 いただいたTBの中で書が言及されていたので、久しぶりに読み返してみた。 人権と国家 Slavoj Zizek / 岡崎玲子訳 Enemy of the Sun - この箱庭の中で結局のところ、リベラルな経営者や資家が説くグローバル資主義の世界とは、一見それ自体が世界を横断する自由な思想に見えて、実は全く逆の、はっきりとした限界性を持った箱庭的な世界なのだと思う。書「人権と国家」は、ジジェクを、「レイコ@チョート学校」で高校生デビューした「文系の英才」岡崎玲子がインタビューした記録と、ジジュク人の論文とでなっている。 ではジジェクとは誰か?日語版と英語版のWikipediaの紹介は微妙に異なっている。 スラヴォイ・ジジェク - Wikip

    哲学の耐えられない軽さ - 書評 - 人権と国家 : 404 Blog Not Found
  • 言語論的転回

    #2です。 お礼欄、拝見しました。うーん、これは簡単に書くのがむずかしいなぁ。 哲学のなかでつねに〈ことば〉は、たとえば〈意識〉のように、中心課題ではないにしても、洞察の対象ではあったんです。 たとえば〈わたしの意識〉を確実さのよりどころとしたデカルトは、窓の外を歩いている他者がどこまで確実な存在か、疑ってみます。 帽子の下、衣服の下には「自動機械」が隠れているのではないか、と。 いや、自動機械ならば 「目の前で話されるすべてのことの意味に応じて返答するために、ことばをいろいろに配列することは、人間ならどんなに愚かな者でもできるが、機械にできるとは考えられない」(『方法序説』) つまり、〈ことば〉は人間を人間ならしめているものだ。そして、その〈ことば〉を媒介として、人間は他者と交流している。 近代の端緒から、このような認識はあった。 そして、ヘーゲル。 人間と社会の関係を考察するときに、ヘ

    言語論的転回
    endor
    endor 2007/12/31
  • 1