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日本赤軍と連合赤軍〜14 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ
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日本赤軍と連合赤軍〜14 : どーか誰にも見つかりませんようにブログ
◆連合赤軍大量リンチ殺害事件〜遠山絶命まで 1972年の元旦、その新年の朝、進藤隆三郎が息を引き取って... ◆連合赤軍大量リンチ殺害事件〜遠山絶命まで 1972年の元旦、その新年の朝、進藤隆三郎が息を引き取っていた。森恒夫の暴行に拠るものと推定できる左肋骨6本骨折と肝臓破裂であった事を考慮すると、かなりの生命力を発揮したものと見られる。 1972年1月2日の朝、植垣康博と青砥幹夫が榛名ベースに到着する。この植垣と青砥が、この榛名ベースに合流した最後の人物となる。 翌3日、この日、連合赤軍の「CC」(Central Committee)と呼ばれる中央委員についての序列が発表された。 第1位:森恒夫 第2位:永田洋子 第3位:坂口弘 第4位:山田孝 第5位:寺岡恒一 第6位:坂東国男 第7位:吉野雅邦 つまり、このCCが新団体・連合赤軍の幹部と正式に決定するというものであった。また、このCC以外は、平の兵士という意味でもある。共産主義者系の組織では、この序列そのものは厳格な意味を持っており、7位より