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徳川家康が生き延びたのは奇跡に等しい…「三方ヶ原の戦い」で武田信玄が描いた完璧すぎる家康殲滅プラン 信玄があと1年長生きしたら歴史は変わっていた
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徳川家康が生き延びたのは奇跡に等しい…「三方ヶ原の戦い」で武田信玄が描いた完璧すぎる家康殲滅プラン 信玄があと1年長生きしたら歴史は変わっていた
1572年、徳川家康は侵攻してきた武田信玄と三方ヶ原で対決した。この「三方ヶ原の戦い」は、家康の生涯... 1572年、徳川家康は侵攻してきた武田信玄と三方ヶ原で対決した。この「三方ヶ原の戦い」は、家康の生涯で唯一の敗戦といわれている。歴史評論家の香原斗志さんは「戦国最強といわれる武田信玄が立てた計画は完璧だった。信玄があと1年でも長生きしたら、徳川の世は訪れなかっただろう」という――。 信玄が家康に抱いた「三ヶ年の鬱憤」とは何か 戦国時代にはひとりの武将の死が天下の分け目になったことが何度かある。そのなかでも大きいのが、本能寺の変による織田信長の死と並んで、武田信玄の死だと思われる。 アカデミズムの世界では歴史に「もしも」はないといわれるが、もし信玄が長く生きていたら、徳川家康の命は安泰だったかどうか。信長にしても、本能寺の前にどうなっていたかわからない。それくらい信玄には勢いと力があったのである。 武田信玄が家康の領国である遠江(静岡県西部)、三河(愛知県東部)に向かって甲府をたったのは、元

