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空襲と原爆の犠牲者悼 「因島にも大きな空襲があったんだということを忘れないで」
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空襲と原爆の犠牲者悼 「因島にも大きな空襲があったんだということを忘れないで」
最後に司会の星野哲司さんは、「因島にも大きな空襲があったんだということを忘れないで、平和を築く力... 最後に司会の星野哲司さんは、「因島にも大きな空襲があったんだということを忘れないで、平和を築く力の一つになりたい」と集まりを締めくくった。 「友の会」元会長 村上秀雄さんの話 《被爆者となった経緯》 戦局の悪化に伴い昭和20年から徴兵検査年齢が18歳になると、第2国民兵に位置づけられ、「8月17日広島歩兵隊に入隊せよ」との召集令状を受ける。16日広島市に入り被爆した。街は黒こげでその夜は市内に宿泊。その後因島に帰る。 《原爆被爆者手帳の取得》 戦後、日立造船因島工場の鋳物工場に復帰。昭和52年から同64年まで因島市会議員を務めた。昭和52年秋、入市被爆者として手帳の取得をすすめられ、53年7月10日取得。 《被爆者団体への参加》 36年に結成された因島原爆被害者友の会に入会。同じ時期に広島に入市した者への手帳取得の説明と手続き、会費徴収などの活動をした。平成5年会長就任。県被団協の活動もす