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さびしさの運用について
「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪... 「このさびしさをどしたらいいの」ということを延々考えて、人生単位で見てもそれはそれは長い時間を浪費しました。 その中でまず気付いたことは「人はさびしいとおかしくなる」ということでした。 ひっくり返すと、人がおかしなことやってるときは、だいたいさびしいんだよな。 さびしさを動機にして人や自分を裁いても、よけいさびしくなるばかり。 なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。 一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。 もうそこからは何もうまれないのでした。 さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、自分さえも許せなくなって、狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。 おかしなことだ。 さびしさとは無縁に見える、幸福そうなあの人と、わたしは何が違うんだろう。 考えればなにもかも違うように見えたし、でも本当のところはどこがどう違うのかよくわからない。 ただ、自分がさびしさにふ
2019/11/13 リンク