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70年代の日本はこんなにぶっ飛んでいた…!坂本龍一、布施明も参加した「中毒性の高い」日本語ロック、3枚の「激レア名盤」を大公開(門脇 綱生,SOUND FUJI編集部) @gendai_biz
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海外でも人気の高い『切狂言』1964年、24歳の時にチト河内らとロック・バンド「サンライズ」を結成。66... 海外でも人気の高い『切狂言』1964年、24歳の時にチト河内らとロック・バンド「サンライズ」を結成。66年には、ミッキー・カーチスの目に留まり上京。67年に、サンライズを前身から発展する形で、ギターのいない稀有なGSバンド「ザ・ハプニングス・フォー」を結成。同年にシングル「あなたが欲しい」(ジャケットデザインは横尾忠則!)でデビューを果たす。 この頃から、クニ河内自身がオリジナルの日本語曲の作詞作曲を手掛けていたが、メンバー自身が作詞の大部分を行っていた例は当時珍しかったことに加え、その海外指向の高さから、日本のロックの海外進出を夢見ていた内田裕也に見出され、同バンドとクニ河内は、伝説的ライブ・アルバム『ロックンロール・ジャム '70』('70)の仲間入りを果たしている。 5枚のアルバムを残したザ・ハプニングス・フォーはGSが衰退した後の72年に解散し、クニはソロ活動を展開。72年の唯一の