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松本清張が仰いだ京都の“怪物”序章 一本の電話|THE KYOTO|京都新聞
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松本清張が仰いだ京都の“怪物”序章 一本の電話|THE KYOTO|京都新聞
還暦を迎えた65年に社業から身を退き、夏雄さんに任せて、自身は研究と著述に専念した。 清張は73年から... 還暦を迎えた65年に社業から身を退き、夏雄さんに任せて、自身は研究と著述に専念した。 清張は73年から朝日新聞に連載した古代史が題材の長編推理小説『火の路』(原題『火の回路』)の執筆に際し、4歳年上の嘉一郎を頼った。 もちろん、清張のブレーンは嘉一郎だけではなかった。 『火の路』では、古代仏教寺院や神社建築史の権威として知られた京都大学名誉教授の福山敏男氏(1905~95年)も相談相手だった。 ただ、研究機関に所属しない民間の研究者は、嘉一郎以外にはいないとされる。 芥川賞から20年、不動の地位 清張は当時63歳。『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞して20年がたっていた。『砂の器』や『けものみち』などの社会推理小説や、『日本の黒い霧』『昭和史発掘』などのノンフィクション作品を手掛け、作家として不動の地位を確立していた。 昭和を代表する国民的作家が、京都とはいえ東京から遠く離れた地の一研究