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2014年6月18日のブックマーク (2件)

  • 書評・最新書評 : 神と肉―日本の動物供犠 [著]原田信男 - 三浦しをん(作家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    ■米の豊作を願い捧げられた命 肉が好きだ。しかし、日では明治になるまで、ほぼ肉はしなかったと聞いたことがあり、「すみません、動物をばくばくべちゃって」と少々うしろめたく思っていた。 だが書によると、日人は縄文時代からずっと、肉をべてきたのである。「これを持っていれば、肉をべても許される!」という、諏訪大社が発行するお札(ふだ)(「鹿免(かじきめん)」)まで存在した。やっぱりなあ、肉はおいしいもん。抜け道を探してでも、べたいものです。 ではどうして、表立って肉をべにくい風潮があったのかというと、飛鳥時代から国家が殺生と肉を禁じてきたからだ(ただし、当初は猪〈いのしし〉や鹿などの野獣をべるのは許されていた)。禁令が出た背景には仏教思想もあるようだが、一番の要因は、米を安定的に生産するためだった。稲は栽培が難しく、豊作を目指して、さまざまなタブーが人々に科された。「動物を

    書評・最新書評 : 神と肉―日本の動物供犠 [著]原田信男 - 三浦しをん(作家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
    feather303
    feather303 2014/06/18
    "一番の要因は、米を安定的に生産するためだった。稲は栽培が難しく、豊作を目指して、さまざまなタブーが人々に科された。「動物を殺生したから、米が不作になったのだ」という理屈で、肉食は禁じられていった。"
  • 神と肉 - 平凡社

    近代以前、日人は肉をべなかったとする通念は、歴史的事実に反するものであることが近年ようやく明らかにされてきたが、そればかりでなく、民間では、野獣や家畜を屠り神に捧げ共する儀礼がずっと続いてきた。中国、朝鮮、沖縄の事例をふまえながら、古代国家の建前により見えなくされた日の動物供犠、米のためにこそ肉を神に捧げる儀礼を、考古学、民俗学、なにより文献の読み直しによって可視化する。『歴史のなかの米と肉』姉妹編。 はじめに 序章 生命と儀礼 生命という存在/人間と物/儀礼の発生/儀礼と供物/野獣と家畜 第一章 沖縄の動物供犠から 第一節 沖縄と日 沖縄の位置/沖縄に残る肉文化 第二節 南島のシマクサラシ 除厄儀礼としてのシマクサラシ/シマクサラシの儀礼要素 第三節 志喜屋のハマエーグトゥ 大屋門中のハマエーグトゥ/ハマエーグトゥの次第/沖縄の水田と志喜屋 第四節 ハマエーグトゥの意義 ハ

    神と肉 - 平凡社